かつてトレードマークの着流しとスキンヘッドでバラエティ番組に多数出演し、「ゲージツ家」「クマさん」として親しまれた篠原勝之(しのはらかつゆき)さん。
いつのまにかメディア露出が激減してしまったことから、その後の状況が気になる人が多いようです。
脳梗塞を患ったという情報をはじめ、子供や結婚した妻、2023年現在の住まいについてみていきます。
篠原勝之は2023年現在もゲージツ活動
自らを「ゲージツ家」と呼び、文筆家やテレビタレントとしても活動していた篠原勝之さん。
「鉄のゲージツ家」の異名が示すとおり、スクラップ鉄の溶接オブジェで広く知られますが、ガラスや土や石などを素材にした作品も創作してきました。
主に80年代から90年代にかけて『ビートたけしのTVタックル』『笑っていいとも!』といった人気番組に多く出演していましたが、2010年以降は全国ネット番組へのレギュラー出演はしていないそうです。
貴重なテレビ出演となったのが、NHK Eテレで2019年11月10日に放送された『こころの時代』。
放送当時は山梨県北杜(ほくと)市にアトリエを構えていました。
母の死や脳梗塞の発症など紆余曲折がありながらも、ゲージツ活動は続けていたようです。
山梨県の山岳地帯を拠点としておよそ25年がすぎた2021年、篠原さんは奈良県に移住。
新たな土地でも創作・執筆活動は継続していくとのことでした。
「鉄器時代から土器時代へ」とご本人が述べているように、2023年現在は陶芸を中心とした創作活動を行っているようですね。
今朝もやる事は土くれ戯び。薄っすく丼みたいなデカい盌。あと二時間は縁側からボカポカの援軍、あとひとつイケるな。 pic.twitter.com/AiPe20rWtR
— 篠原 勝之 (@ge_jitsukaKUMA) December 29, 2021
GARAと御蓋山を眺めた。 pic.twitter.com/dBKgPlDYz3
— 篠原 勝之 (@ge_jitsukaKUMA) December 13, 2021
ツイッターには日々のようすが頻繁にアップされています。
2023年に81歳を迎える篠原勝之さんですが、お元気そうな姿が見られます。
77歳の時に脳梗塞を発症
脳梗塞を患ったという情報は事実でした。
時期は2019年9月のことで、同月18日のツイッターでご本人が報告しています。
それによると、少しろれつが不自由に感じたため、朝一番に病院でMRI検査を受けたところ、脳梗塞が発覚。
そのまま専門病院へ搬送されて緊急入院したとのこと。
とはいえ症状は軽く、やや滑舌が悪くなった程度で他の機能に影響はなかったそうです。
それでも老いを実感した2週間の入院生活になりました。
それまで脳梗塞の経験がなかったこともあり、最初は脳梗塞と思わなかったという篠原さん。
じつは紙一重で助かったことを医師に教えられて、人間はいつどうなるかわからない、自分は守られていると感じたと振り返っています。
岩井俊二監督「Love Letter」。孫娘を背負って猛吹雪の中を駆ける馬力ある76歳を演じたときは52歳。監督の美しい映像に溶け込んでいます。その「おじいちゃん」の年齢をとっくに超えて、まだ旅はつづいています。 pic.twitter.com/ZHqxSn8m0S
— 篠原勝之(KUMA)公式 (@kumasfactory) March 12, 2021
なにはともあれ、大事に至らなくてよかったですね。
篠原勝之の子供は二人。結婚した妻がいた
篠原勝之さんには結婚歴があり、一男一女がいることがわかっています。
「結婚生活は18年くらい」「シングル歴は36歳から」という発言から、若くして結婚し、36歳で離婚したことが明らかです。
離婚に至った理由は、篠原さんが家に帰らなくなったから。
浮気ではなく、ゲージツ活動のためでした。
もともと入籍したのも妻が妊娠したから。
子供の存在が不明になってはかわいそうと考えての結婚でした。
いざ結婚をしてみて、自分には向いていない生活スタイルということに気づいた篠原さん。
幸せな結婚生活だとか、ホームというものを欲するようになったら、ゲージツはやめなければならないだろうと述べています。
篠原さんにとっては、やはりゲージツの魅力が勝り、自分はゲージツ家として生きたいということなのでしょう。
妻は子供たちを連れて実家に戻ったとのことです。
その後、篠原さんが再婚したという情報はありません。
2021年より、住まいは奈良県に
篠原勝之さんは北海道札幌生まれ、室蘭育ち。
家出して上京したのは17歳の時でした。
創作の拠点を東京の下町から山梨県北杜市に移したのは90年代中頃のこと。
アトリエの隣に住まいがあり、東京で仕事がある時は上京していました。
奈良県に移住した時期については、2021年4月23日に「引っ越してひと月近く」とツイートしていることから、3月でしょう。
住まいを構えた具体的な場所は突き止められませんでした。
ロッキャオの島バナナ。スティーブ、少し色づいたぞ❗️今日もやるこたぁ同じ土くれ日。 pic.twitter.com/OOI2h4xgQZ
— 篠原 勝之 (@ge_jitsukaKUMA) December 20, 2021
「人生、やり残したコトがあって上等。ただ往ける処まで往く」 pic.twitter.com/c0nm7rWZj6
— 篠原勝之(KUMA)公式 (@kumasfactory) February 16, 2021
移住理由のひとつに、寄る年波でアトリエが広すぎると感じはじめたことがあったそうで、山梨のアトリエは手放すことになりました。
年齢を重ね、鉄のオブジェからガラス、そして陶芸とゲージツ活動は変遷してきましたが、そのダイナミックな作品群と同じく、創作意欲は衰えを知りません。
好奇心のおもむくままに、さまざまな造形を創作し続けてきた篠原勝之さん。
これからも何ものにも縛られない、自由で異色なゲージツ家人生を送っていくことでしょう。
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