吉幾三の家がホワイトハウス?年収が凄い&嫁との結婚式で警察沙汰。今どうしてる?

青森が生んだスーパースターと言えば吉幾三(よしいくぞう)さん。

明るいキャラクターで世代を問わずに今でも大人気ですよね。

吉幾三の家はホワイトハウス?

民謡歌手、鎌田稲一さんの9人目の子供として誕生した吉幾三さん。

鎌田稲一さんは昭和天皇の前で民謡を披露する程の腕前。

歌唱力に定評がある吉幾三さんをして「父は超えられない」と語るほど。

そんな父の元で生まれ育った吉幾三さんが歌手を目指したのは必然と言えるでしょう。


ところが父親は吉幾三さんが歌手になる事を反対したそうです。

自身が歌手だけにその厳しさを息子に味わわせたくないと思ったのかもしれませんね。

それでも歌手になる夢を諦められなかった吉幾三さんは父の反対を押し切って青森から上京。

上京後は名作曲家として知られる米山正夫に師事。

そして1973年にアイドル歌手「山岡英二」としてデビューすることに。

デビュー曲の「恋人は君ひとり」はCMソングに起用されるも売り上げは今一つ。

その後、2枚のレコードを発売するも歌手として成功を収める事は出来ませんでした。

ですが父親の反対を押し切って上京した吉幾三さん。

これで諦める訳にはいかないと1977年に「吉幾三」と改名してアイドル歌手からからフォーク歌手に転向。

再デビュー曲として発売した「俺はぜったい!プレスリー」が大ヒット。

同曲をベースに山田洋次さんが原案を務めた映画まで制作されました。

ただ、その後は再び鳴かず飛ばずの日々。

ですが、1984年には日本語ラップの元祖と言われるコミックソング「俺ら東京さ行ぐだ」で再び大ヒット。

その2年後には正統派演歌の「雪國」で自身初となるオリコン1位を獲得。

コミックソングから演歌までジャンルを問わずヒットを飛ばせるのは類まれなる歌唱力の賜物。

また、楽曲の大半を自作するシンガーソングライターという一面も持つ吉幾三さん。

ここまでマルチに活躍できるなんて、歌手になるために生まれてきたと言っても過言ではありませんね。

青森が生んだ国民的歌手の吉幾三さん。

やはりというべきか、自宅がもの凄い豪邸だと話題になっています。

生まれ育った地である青森県と東京に居を構える吉幾三さん。

豪邸と話題になっているのは青森県にある自宅。

外観が真っ白な事からついた異名が「ホワイトハウス」。

敷地は800坪とホワイトハウスの名に恥じない広さ。

間取りは6DKでリビングは35畳、お風呂が4畳半もあるんだとか。

1年のうち、3分の1を青森、3分の1を東京、残りは仕事のため地方で過ごすという吉幾三さん。

東京の家は仕事場のような感じらしく、ゆったり過ごすのはやっぱり青森の家。

都会の喧騒に揉まれた後は生まれ育った広大な自然が恋しくなるのでしょうね。

吉幾三の年収

長年に渡って芸能界の第一線で活躍し続ける吉幾三さん。

そのため、どうしても気になってしまうのが年収。

日本歌謡界きっての大御所となった吉幾三さんの年収は一体どれくらいなのでしょう。

気になる年収の前に、過去に情報番組で紹介された「芸能人生涯推定収入ベスト100」。

当然、吉幾三さんもランクインしており、その収入額は約17億円と報じられました。

ただ、これは年収ではなく生涯収入。

つまり、これまでの芸能生活で稼いだ金額です。

歌手としての主な収入減はCDの売り上げにテレビ番組の出演料とコンサート、ディナーショー等のチケット、グッズ代。

吉幾三さんは作詞作曲も手掛けていますので、楽曲使用料やカラオケの印税も大きいでしょう。

では、本題の吉幾三さんの年収。

一体どれくらい稼いでいるのか調べてみると意外な事実が判明。

何と吉幾三さんは給料制だったんです。

仕事量によって収入が変わる出来高制ではなく、どれだけ頑張っても大きく給与が変わる事のない給料制なんて意外すぎますよね。

ただ、吉幾三さんが所属するのは個人事務所の「吉プロモーション」。

そのため稼ぎのうち自身の給料とならない分は会社の収入になっているはず。

会社の収入という事は社長である吉幾三さんの収入と考えられなくもありません。


だから現在も給料制を続けているのでしょうね。

ただ、どれくらいの給料、収入となっているのか詳細な額は不明。

ですがこれまでの吉幾三さんの活躍ぶりから察すると、安定して数千万円の稼ぎはあると思われます。

吉幾三と嫁の結婚式で警察が出動

吉幾三さんが結婚したのは1975年。

お相手は当時、宮城県でOLをしていた寿佐子さん。

東京のミュージシャンと宮城県のOLが出会ったきっかけは船。

偶然、1973年に小笠原ツアーに参加していた吉幾三さんと寿佐子さん。

別々に参加していたため、行きの船では会話を交わすことはなかった二人。

帰りの船で船酔いしたため、デッキに出てギターを弾きながら歌を歌っていた吉幾三さん。

その歌を同じく船酔いした事でデッキにいた寿佐子さんが聴いた事が馴れ初めとなったそうです。

歌が出会いのきっかけになるなんて、さすがは歌手ですよね。

遠距離恋愛だったため気軽にデートも出来なかった吉幾三さんと寿佐子さん。

その代わりに長電話で愛を育んだそうです。

当時は歌手として芽が出なかったため様々な職を転々としていた吉幾三さん。


経済的に厳しい事は想像に難くありませんが、交際から約2年後の1975年に結婚。

ただ、お金がなかったため結婚式を挙げる事はありませんでした。

結婚後はOLとして働きながら吉幾三さんを支え続けた寿佐子さん。

その後、吉幾三さんが国民的歌手となった際には自分の事のように喜んだ事でしょう。

経済的にも十分余裕が生まれた事で結婚から10年後の1985年に晴れて結婚式を挙げた吉幾三さんと寿佐子さん。

吉幾三さんの故郷で行われた結婚式で町は大盛り上がり。

結婚式には当時の町長を始め、地元の名士が多く参列。

約1000人のファンもお祝いに駆け付けたそうです。

大勢のファンが駆け付けたため町に入るための道は一時通行止め。

20人もの警察が出動する騒ぎとなったんだとか。

長年、自分を支えてくれた寿佐子さんに「ご苦労さん」と声をかけた吉幾三さん。

すると寿佐子さんは首を振り「たいして苦労しなかった」と返したそうです。

まさに多くの人々の理想ともいえる美しい夫婦愛。

吉幾三さんが今も第一線で活躍し続けるのは寿佐子さんに楽をさせてあげたいという気持ちが大きいのでしょうね。

吉幾三の今

1952年生まれで2022年は70歳となる吉幾三さん。

ただ、2013年2月に不整脈の手術を受けている事から健康面を心配するファンも多いでしょう。

ですがそれ以降、吉幾三さんが体調を崩したという情報はありません。

きっと手術後はそれまで以上に健康に気を付けるようになったのでしょうね。

2018年には芸能生活45周年を記念するコンサートを行うなど精力的に活動する吉幾三さん。


今でも毎年のように新曲をリリースし、テレビやラジオにも多数出演。

また、2019年には方言ラップ「TSUGARU」を発売するなど遊び心も健在のようです。

日本歌謡界にとって、まだまだ欠かすことが出来ない吉幾三さん。

きっとこれからも多くの人々の心に響く素敵な歌声を聴かせてくれる事でしょう。

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