70年代初頭からチューリップのリーダーとして知られ、並行してソロ活動も行ってきた財津和夫(ざいつかずお)さん。
J-POP界のレジェンドであるだけに、2017年のがん公表に驚いた人は多かったことでしょう。
ここではがんのステージや、どのようながんだったのか、また復帰した今の状況について詳しくみていきます。
あわせて「天才」と呼ばれる理由についても考えてみたいと思います。
財津和夫のがんとステージについて
2020年に72歳を迎えた財津和夫さんは、1948年2月19日生まれの福岡県福岡市出身。
本名も同じです。
香椎高校在学中からビートルズに憧れ、卒業後の浪人時代にわざわざ上京してビートルズの武道館コンサートを体験しています。
チューリップの前身となるグループはすでに西南学院大学時代から存在し、チューリップとしてレコードデビューしたのが1972年。
翌年の『心の旅』がオリコンチャート1位となったあとも、『青春の影』『虹とスニーカーの頃』などのヒット曲を送り出しました。
チューリップは1989年にいったん解散しますが、その後も期間限定で何度か再結成。
財津和夫さんはグループの活動と並行して1978年からソロ活動も展開し、1993年にはチューリップのセルフカバー曲『 サボテンの花~ひとつ屋根の下より~』が高視聴率ドラマの主題歌として大ヒットしました。
2017年6月、チューリップ45周年ツアーの最中に大腸がんを公表した財津和夫さん。
5月末にツアー中の福岡で意識を失うほどの腹痛におそわれ、救急病院で腸閉塞と診断されます。
大腸がんの可能性ありと告げられ、早急な手術をすすめられましたが、財津さんは東京での手術を希望。
6月に東京で下行結腸がんの内視鏡外科手術を受けています。
大腸がんは発生した部分により結腸がんや直腸がんに分かれ、下行結腸がんは結腸がんの一種。
内視鏡手術とは、5ミリから2センチほどの切開創からカメラと手術器具を挿入して行う外科手術です。
これが財津和夫さんにとって初めての入院体験でした。
「これは現実だよな」と思いながら、このまま死ぬかもしれない、いや助かるかもしれない、という思いが交互に浮かんだそうです。
時間がたってようやく、こうなった以上はどうしようもないと受け入れることができたと語っています。
がんのステージについては公表されていないようですが、同志社大学客員教授・松本クリニック院長の松本浩彦先生によると、財津さんは腸閉塞で発覚したということで、おそらくステージ2より悪い状態だったのではないかとのこと。
【#けさクロ 70代になっての挑戦】
10年ぶりに新曲を作る#TULIP の #財津和夫 さん。これまでと違って
メロディーより歌詞を先に書く
手法に取り組んでいます。改めて詩の大切さに
気づかせてくれた
出会いがありました。https://t.co/gnKssB8YkX#新井秀和 pic.twitter.com/N6HZATPYg5— NHK おはよう日本 公式 (@nhk_ohayou) February 21, 2020
大腸がんの7割から8割は進行がんで見つかるそうで、腸閉塞もかなり進行した状態ということです。
がんから復帰した今、喜びを嚙みしめる
手術は成功したものの、続く抗がん剤治療には悩まされたという財津和夫さん。
副作用で手足がしびれ、味覚や嗅覚にも影響があらわれて食が進まず、すっかり痩せてしまいました。
それでも1年に満たない翌年の春にはソロコンサートツアーで復帰。
「みなさん抗がん剤治療を受けながら仕事をしておられますよ」という医師の言葉が大きな励みになったようです。
9月には闘病のためキャンセルしたチューリップのコンサートの振替公演と快気祝いを兼ねたツアーもスタート。
ファイナルを翌2019年7月7日に故郷の福岡で迎えています。
この日は奇しくもアマチュア時代から苦楽をともにしたギタリスト・安部俊幸さんの命日でした。
今は復帰できた喜びをしみじみと噛みしめながらステージに立っていると明かしている財津和夫さん。
復帰してしばらくたったこともあり、観客も病気は過去のこととして一緒に歌ってくれるそうです。
音楽以外のことを引きずらずに客席とステージがつながっている感じがして、とてもうれしいと述べています。
作曲家としての天才ぶりはチューリップにとどまらず
日本のポール・マッカートニーと称されることもある財津和夫さん。
日本のポピュラー音楽界を代表する天才メロディメーカーの一人でしょう。
『心の旅』『青春の影』『サボテンの花』といったヒット曲はもとより、『みんなのうた』に採用された『切手のないおくりもの』は小学校の音楽の歌集などにも掲載され、国民的な愛唱歌として今も歌い継がれています。
また松田聖子さんや中森明菜さん、藤井フミヤさんらさまざまなアーテイストへの楽曲提供も忘れることはできません。
とりわけ松田聖子さんへの提供曲は多く、『夏の扉』『チェリーブラッサム』『白いパラソル』といった一連のヒット曲は、アイドルとしての聖子さんの人気を不動のものに。
🍰お誕生日おめでとうございます!
1948年2月19日生まれ#財津和夫#白いパラソル#松田聖子
作詞:松本隆
作曲:財津和夫
1981年7月21日発売🎵風を切るディンギーで
さらってもいいのよ….. pic.twitter.com/H1RZBCIG0x— きりぼー🍀 (@kiribo0111) February 18, 2020
音楽にとどまらず、俳優業やエッセイ執筆なども行い、多彩な表現者として活動してきた財津和夫さん。
病魔を克服してステージに戻ってきてくれたのはうれしいかぎりです。
2022年のチューリップ50周年ツアーも大好評でしたね。
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