坂上二郎の娘が女優&息子はタレントに。妻はだれ?飛びますエピソード&死去は震災前日

萩本欽一さんとのコンビで国民的人気となった坂上二郎(さかがみじろう)さん。

唯一無二のキャラクターで世代や性別を問わず誰からも愛される存在でした。

坂上二郎の娘は女優として活動していた

萩本欽一さんと結成した「コント55号」で一世を風靡した坂上二郎さん。

中学卒業後、鹿児島の呉服店に勤務していた時に出演したのど自慢大会で優勝。

これがきっかけとなり歌手になるため上京。

ですが歌手への道のりは厳しく様々な職業を経て漫才コンビ獅子てんや・瀬戸わんやさんの門下に。

こうしてお笑いの世界に足を踏み入れた坂上二郎さん。

自身も漫才コンビを結成して活動するも程なくして解散。


その後はピン芸人として浅草フランス座のコメディアンとして活動。

この時に出会ったのが萩本欽一さん。

ただ、年齢もキャリアも坂上二郎さんの方が上だったため、会話を交わす事は殆どなかったそうです。

そしてその後、中川プロダクションに所属して活動するように。

ですが事務所が大幅なリストラをした事で坂上二郎さんも退所する事となってしまいます。

事務所をリストラされた後、どうにかこうにか食いつないでいた坂上二郎さん。

芸能界に見切りをつけて転職しようと大型免許を取得。

ただ、たまたま麻雀の人数合わせで萩本欽一さんに電話をした事でコント55号を組む事に。

元々は即席のコンビでしたが出演した舞台で人気を博した事で正式なコンビとして活動する事に。

当時の園芸ブームもあり日本中に旋風を巻き起こしたコント55号。

お笑いコンビとして確固たる地位を築き、その後の芸人にも大きな影響を与える存在となりました。

そのコント55号の活動と並行して坂上二郎さんは俳優としても活動。

コント55号が活動を中断してからは本格的に俳優業を行うようになりました。

晩年は度重なる脳梗塞により思ったような活躍は出来ず。

ですが坂上二郎さんがコメディアン、俳優として日本芸能界にその名を刻んだ事は間違いないでしょう。

そんな坂上二郎さんですが、実はその2人の娘も女優として活動していたんです。

坂上二郎さんの長女は「有沙美希」の芸名で主に松竹歌劇団で活動。

そして次女の坂上亜樹さんは子役として大映ドラマを中心に出演。

ただ、どちらも出演作等の情報があまり無いため女優として成功したとは言えないでしょう。

完全な「親の七光り」となってしまったようです。

坂上二郎は息子も芸能人だった

坂上二郎さんの子供は2人の娘の他、息子が1人。

その息子も芸能活動をしていたんです。

芸能活動をしていた事、名字が同じ事から「坂上忍が息子」という噂も。

ですが坂上二郎さんと坂上忍さんの間に血縁関係はありません。

坂上二郎さんの本当の息子の名前は坂上大樹さん。

俳優、タレントとして活動し、トーク番組「二郎さんのOh!マイおやじ」では坂上二郎さんと親子で司会を担当。

坂上二郎さんが息子の坂上大樹さんと司会を務めるトーク番組。

当時はきっと大きな話題となった事でしょう。

ですが、残念ながら最高視聴率が11%と結果はあまり振るわず。

番組で共に司会を務めたのは坂上二郎さんが坂上大樹さんを売り出すために出来る最大限のサポートだったはず。

ただ、それが結果に繋がらなかった事からマスコミに叩かれてしまったそうです。

坂上二郎さんはプライベートをあまり語らくなったのはこれ以降。

きっとマスコミに叩かれた事が相当ショックだったのでしょうね。

坂上二郎さんが避難された事については坂上大樹さんも責任を感じてしまったはず。

そのためか現在は芸能活動はしていないようです。

坂上二郎の妻はどんな人?

坂上二郎さんが結婚したのは1958年のこと。

お相手は一般人の瑤子さん。


コント55号を結成したのが1966年なので、まだ下積みの頃に結婚していたんです。

きっと妻の支えがあったから坂上二郎さんはコメディアンを続けられたのかも知れません。

コント55号として大ブレイクした際には自分の事のように喜んでくれた事でしょう。

ブレイク後は多忙な坂上二郎さんを支えながら3人の子供の育児。

それらを両立させるなんて、なかなか出来る事ではありませんよね。

また、坂上二郎さんが脳梗塞で倒れた際には献身的に介護。

後遺症で自分の手足を思うように動かせず、リハビリの際にストレスを感じる事も少なくなかったようです。

そのイライラから妻に怒りをぶつけた事もあったんだとか。

それでも坂上二郎さんを見捨てる事はなかった妻の瑤子さん。

時には心労で倒れそうになりながらもリハビリに付き合ってくれたんだとか。

富や名声が目当てでの結婚であれば辛いリハビリに付き合う事は無かったでしょう。

ですが、八つ当たりされながらもリハビリに付き合った瑤子さん。

心の底から坂上二郎さんを大切に思っていた事が良く分かります。

坂上二郎さんの妻はまさに「糟糠の妻」という言葉がピッタリと言えますね。

「飛びます」は忘れ去られたギャグだった

坂上二郎さんの代表的なギャグと言えば「飛びます飛びます」。

坂上二郎さんの真似をする際には欠かす事が出来ないギャグとなっていますよね。

このギャグが産まれたのはコント55号のコント「結婚コンサルタント」でのこと。

坂上二郎さんが両手で2機の飛行機を作り「飛びます飛びます」と舞台上を走り回った事から誕生したものでした。

ただ、当初は数あるコントの中のギャグの1つに過ぎませんでした。

そのため、それ以降「飛びます飛びます」を特別に多用するような事はありませんでした。

その後も特に取り沙汰される事がなかった「飛びます飛びます」。

そのまま埋もれていくと思われましたが1980年代になって転機が訪れます。


当時のお笑いブームの波に乗り大ブレイクした片岡鶴太郎さん。

坂上二郎さんのモノマネをする際に「飛びます飛びます」のギャグを多用。

これがきっかけとなり「飛びます飛びます」は坂上二郎さんを代表するギャグに。

世間の要望に応えるように坂上二郎さんも「飛びます飛びます」をたびたび披露。

坂上二郎さんがMCを務めたラジオ番組のタイトルにも使用され「飛びます音頭」という歌まで作られました。

もし片岡鶴太郎さんが坂上二郎さんのモノマネをしなければ「飛びます飛びます」が再び日の目を見る事は無かったかも。

ただ、時代を超えても人々を笑わせるギャグを生み出すなんて凄い事ですよね。

コント55号ならびに坂上二郎さんが今も高く評価される理由が分かる気がします。

大震災の前日に死去した坂上二郎

2003年に脳梗塞を発症した坂上二郎さん。

その後、一度は復帰するも2010年に脳梗塞を再発。

そして2011年3月10日に脳梗塞により亡くなってしまいます。

坂上二郎さん程の大物タレントの訃報は普通であれば暫くはその話題で持ち切りになるはず。

ですが、坂上二郎さんの訃報が大きく取り上げられたのは亡くなった当日だけ。

というのもその翌日に東日本大震災が発生してしまっているんです。

東北地方を襲った未曾有の大災害。

それ以降、メディアは東日本大震災の話題で持ち切りに。

そのため、坂上二郎さんの訃報が報じられることはありませんでした。

また、予定されていた坂上二郎さんの追悼番組も放送されず。


結局、追悼番組が放送されたのは翌年になってからでした。

世間の注目を避けるようにひっそりと旅立ったのも坂上二郎さん。

何だかそれも坂上二郎さんらしい、と思えてしまいますよね。

コメント