漫画トリオ時代のツッコミ担当から一転して、青芝フック・キックではボケ役で人気を呼んだ青芝フック(小島斌/こじまあきら)さん。
かつての相方たちである横山ノックさん、上岡龍太郎さん、青芝キックさんはすでに芸能界にはいませんが、2023年現在青芝フックさんはどうしているのでしょうか。
また息子の噂や趣味の域を超えている競馬とゴルフ、トリオやコンビの解散理由に注目しながら、経歴をまとめます。
青芝フックは現在もタレントとして活躍中
青芝フックさんといっても、「誰?」と思う方がいるかもしれませんが、顔を見れば「ああ、この人ね、いたいた」と思いだす方は多いでしょう。
60年代に一世を風靡した漫画トリオでは「横山フック」を名乗っていました。
メンバーは横山ノックさん、横山パンチ(上岡龍太郎)さんという顔ぶれで、フックさんは「二代目横山フック」として加入。
漫画トリオ解散後は改名し、青芝キックさんと漫才コンビを結成。
青芝フック・キックでは一転してボケを担当し、二人のテンポのよい掛け合いは知性派の正統漫才と位置づけられ、玄人ウケする芸として高く評価されました。
2020年に82歳を迎えた青芝フックさん。
全国ネット番組ではほとんど姿を見かけませんが、2023年現在も和光プロダクションに所属し、元気にタレントとして活躍中です。
今は兵庫県のサンテレビやKBS京都テレビへの出演が中心であり、とくにサンテレビには「住んでいる」といわれるほど専属タレントと化しているようです。
放送中の『生×カラ!TV』の司会も務めていますね。
2020年3月にはBSフジ『クイズ!脳ベルSHOW』にもゲスト出演しました。
青芝フックさん生存確認。 #BSFUJI #BSフジ #脳ベルSHOW #クイズ脳ベルshow
上岡龍太郎さんはお元気なのかな。 pic.twitter.com/KpV8fMnfpY— 捨てられない (@POYO_16) March 9, 2020
またタレント業のかたわら講演活動も行っているそうで、講演のテーマは人生、健康、仕事、芸能と多岐にわたるもの。
「講演というより漫談、でも楽しかった」という聴講者の口コミもありました。
長い芸歴を生かしたユーモアあふれる語りには笑いと拍手が絶えず、大好評を博しているようです。
青芝フックの息子は青芝モンタ?
青芝フックさんに息子がいるかどうかは確認できませんでした。
プライベートに関する情報はないに等しい状態です。
息子と思われているのは、おそらく弟子の青芝モンタさんではないでしょうか。
青芝モンタさんはかつて青芝金太・紋太の漫才コンビで活躍。
解散後は「青芝モンタ」と改名してピン芸人になり、俳優としても活動しています。
青芝フックさんとの年齢差が18歳で、二人は青芝フック・モンタ名義で関西演芸協会まつりや法善寺寄席などに出演しているため、親子ではないかと思う人がいても不思議ではないでしょう。
青芝フックは芸じゃなく趣味に生きてる?
競馬とゴルフにかけては趣味の域を超えている青芝フックさん。
競馬歴とゴルフ歴を足すとゆうに100年を超えるそうです。
KBS京都テレビでは日曜の競馬中継の司会者を17年間担当し、すっかり競馬中継の顔に。
また競馬専門誌『競馬ブック』に連載していたコラムをまとめた『青芝フックのやじ馬でどないじゃ!』が 1999年に出版されています。
一方、『ゴルフ丼』ほかゴルフ番組への出演も多く、サンケイスポーツに10年間連載していた『ゴルフ雑句り』も単行本に。
今も月に2回ほどゴルフコンペを開催して楽しんでいるそうです。
ちなみに、この「おっサン」のモデルは、サンテレビで放送されていた競馬番組の司会者だった、タレントの #青芝フック 師という噂が…、やれやれ…(笑) https://t.co/OSx4YnCuCV pic.twitter.com/QOCZoHFTwm
— さとぽん (@satopon_19) May 19, 2020
トリオやコンビの解散理由&経歴まとめ
青芝フックさんは1938年3月12日、大阪府に誕生。
本名が小島斌です。
チャールズ・チャップリンやバスター・キートンに憧れて、大阪市立東商業高校卒業後に立原博さん、横山エンタツさん、白木みのるさんらに師事。
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芸人としての初舞台は1958年の梅田OSミュージックホールでした。
軽妙な語りには当時から定評があったようです。
1963年には横山ノックさんに誘われて漫画トリオに「二代目横山フック」として加入。
しかし1968年、ノックさんの参議院選挙出馬により漫画トリオは解散。
ここで一からの出直しを余儀なくされます。
ノックさんはその後も「すまんな、生活できてるか」と気にかけてくれたそうです。
「青芝フック」と改名したあとは、赤井タンクさんと青芝フック・赤井タンクを結成するも、まもなく解散。
アメリカでサムライのコントをやりたかったフックさんとキックさんの間で意見の相違があったようです。
青芝キックさんとコンビを組んだのは1971年。
青芝フック・キックでは1975年に第10回上方漫才大賞奨励賞、1980年にも第15回上方漫才大賞奨励賞を受賞。
1968年の第3回でも漫画トリオとして同賞に輝いていますから、三度受賞したことになります。
青芝フック・キックが解散したのは1996年でした。
一般的にはキックさんの体調不良が理由といわれていますが、フックさんご本人の言葉によると、コンビはを解消したけれど解散宣言はしていないとのこと。
競馬番組やゴルフ番組で自分が多忙になり、キックさんがとり残される形になってしまったそうです。
「キックちゃんをフォローできなかったのは僕の人生の汚点」と述べています。
漫画トリオのメンバーではただ一人芸能界に残っている青芝フックさん。
80歳を超えてなお元気な姿をみせてくれ、ユーモアあふれる話術で活躍してくれているのはうれしいかぎりです。
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