2000年に人気の絶頂で引退し、世間を驚かせた上岡龍太郎(かみおかりゅうたろう)さん。
そのうち復帰するだろうと思っていた人もいたのではないでしょうか。
表舞台を退いて20年、一部では死亡説まで浮上していますが、今回は上岡龍太郎さんの今を追いながら、引退理由に迫ります。
あわせて妻との馴れ初めや島田紳助さんとの共通点についても注目します。
上岡龍太郎のプロフィール
愛称:上岡さん
本名:小林龍太郎
生年月日:1942年3月20日
身長:165cm
出身地:京都府京都市左京区
最終学歴:京都西高校
所属事務所:米朝事務所
上岡龍太郎の今。死亡説も浮上
インテリ、理論派、毒舌の話芸が持ち味だった上岡龍太郎さん。
強い個性から好き嫌いがはっきり分かれた芸能人かもしれません。
1942年3月20日生まれですから、2023年は81歳です。
京都府京都市出身、本名は小林龍太郎さんです。
少し前にご本人の動画がネット上で話題になっていましたね。
きっかけは宮迫博之さんをはじめとする闇営業問題。
その動画とは、上岡さんが『鶴瓶・上岡パペポTV』で芸人と反社会的勢力との関係について語ったものです。
賛否両論はあると思いますが、SNSには「まあ、そういうことなんだろうね」といった納得のコメントが多く寄せられていました。
一連の吉本芸人の闇営業のニュースについて、同業者から一般人までいろんな事言ってるけど結局、30年前の上岡龍太郎のコメントに勝るものは無いと思っている。 pic.twitter.com/H91Q6ICLx4
— 立山たつあき (@outbyeu) June 27, 2019
もちろん上岡龍太郎さんの頃と今では時代が違い、芸人の気質も変化していることでしょう。
ですが、切れ味鋭い上岡節を懐かしく感じた人もいたはず。
上岡龍太郎さんが横山ノックさん、横山フックさんと漫画トリオを結成し、「横山パンチ」となったのは1960年、10代の時でした。
漫画トリオは時事ネタをからめた正統派漫才で旋風を巻き起こします。
本日は横山ノック先生の誕生日。
『落語野郎 大爆笑』 pic.twitter.com/42kZVcOH6j
— フリフリ (@furifuri66) January 30, 2020
80年代には東京に進出し、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などの冠番組を抱えて全国区でも人気者に。
2000年4月の引退以降は復帰することはありませんでした。
個人事務所の上岡プロモーションは引退と同時に解散。
芸能界を離れたあとは妻と観劇や旅行を楽しんだり、ゴルフ三昧の悠々自適な毎日を送っているとのことです。
もちろん親交のある芸能人や関係者への義理は欠かさず、冠婚葬祭などに顔を出すことはあり、そのようすが報じられることはありますが、基本的にメディア露出はしていません。
最近は認知症予防のためにAKB48のメンバーの名前を丸暗記しているのだとか。
ただ、頻繁なメンバーチェンジが不満のようで、「メンバーを固定せえって、誰か秋元康に言うといて!」と周囲に愚痴っていたそうです。
一部では死亡説も浮上していますが、まったくのデマということになります。
上岡龍太郎の引退理由の真相
引き際のあざやかさのせいか、上岡龍太郎さんは芸能界を突然引退したというイメージが強いかもしれません。
ですが、3年前の『鶴瓶・上岡パペポTV 新春スペシャル』で引退を公言していました。
いわく、2000年でデビュー40周年になり、自分の芸は20世紀で終わりにして、21世紀には新しい人生を歩みたい。
引退理由の真相ははっきりしないのが実状です。
引退理由としては、まず妻の言葉がきっかけになったという話があります。
これは芸能リポーターの井上公造さんが「本人に聞いた話」として明かしたもの。
ある日上岡さんが妻とテレビを見ていると、滑舌の衰えたベテラン芸人が登場。
自分はこういう姿を人前にさらしたくないから、もしそうなったら教えてほしいと言うと、そろそろねと返されたことで引退を決意したというものです。
また、お笑い評論家のラリー遠田さんは、上岡さんは自分はテレビに向かない芸人と自覚していたのではないかと分析。
つねづね「テレビ話芸の理想は明石家さんまや笑福亭鶴瓶」と口にしていたことを明かしています。
東京は大阪と勝手が違い、屁理屈キャラで毒舌を吐くと感じの悪い芸能人と思われがちなことを感じていたのは事実のようです。
ラリーさんは「自身のキャラクターを見極め、憎まれっ子のまま完璧に芸能界を去った」と述べています。
師匠だった立川談志さんは「芸人にあこがれ、あこがれ続け、なお芸人になろうしたが、結局は芸人になりきれなかった芸人」という圧巻の言葉で上岡さんを評していますが、これもラリーさんの分析と相通じるものがありますね。
最後に筆者の考えを述べてみたいと思います。
上岡龍太郎さんは、テレビ業界の行く末が見えてしまったのではないかと思うのです。
視聴者にも番組制作者にも媚びない物言いが最大の魅力でしたが、今は視聴者やスポンサーのクレームを恐れ、問題が起きない番組づくりをするようになりました。
ちょうど90年代後半はそうした傾向が顕著になりはじめた時期。
表現を制限され、業界に迎合して仕事を続けるよりは退くことを選んだのではないとも言われています。
どの司会者が好きかと問われれば、ダントツに上岡龍太郎。話術のキレも凄かったが、筋の通らぬ話になったら、たとえトークの流れが断ち切れシラケようとも、しっかり言う姿勢が好きだった。今この人の位置は誰なんだろう pic.twitter.com/fhP8stArWA
— フリート横田 (@fleetyokota) April 27, 2019
上岡龍太郎と妻の馴れ初めは?
妻は漫画トリオ時代からのファンであり、上岡龍太郎さんのほうから「君は将来、僕と結婚する」と口説き続けて結婚。
大勢のファンの中から見染めた女性ということになりますね。
一時期は関西ローカルのテレビ番組『奥さまリビング』に出演したこともあるそうですが、以降は主婦業と上岡プロモーションの社長業に専念していました。
ちなみに、馴れ初めを知った笑福亭鶴瓶さんから「あんた犯罪者や」と年齢差を突っ込まれていたことから、かなりの年の差婚だったようです。
残念ながら、名前や生年月日は不明でした。
上岡龍太郎と島田紳助のさまざまな共通点
島田紳助さんが心の師として敬愛する上岡龍太郎さん。
二人は師弟のような関係にあり、『EXテレビ』など共演も多かったですね。
上岡さんが引退することを知った紳助さんは、道しるべを失うから考え直してほしいと懇願。
返ってきた言葉は、もう君は僕の前にいるんだよというものでした。
二人はレギュラー番組を多く抱える人気絶頂期に、みずから引退を宣言して芸能界を去りました。
どちらも芸人であることに固執せず、頭の回転の速さを生かした笑いのとれる司会者として重用されたことも共通しています。
また紳助さんは、「俺はさんまや松本とは違う」とも発言していますね。
明石家さんまさんや松本人志さんが根っからの芸人であるのに対し、紳助さんはオートバイのレースに熱中したり、バンドを組んだりと興味の対象も多いようです。
人生をトータルで考え、引退後の日々も楽しめる自信があったからこそ、二人は自分から芸能生活に幕を引くことができたのではないでしょうか。
その時の人気や名声に執着せず、きっぱりと芸能界を引退した上岡龍太郎さん。
その潔さが、今も「もう一度あの毒舌が聞きたい」と懐かしむ声につながっているのかもしれません。
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