「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」という自己紹介とともに、80年代から90年代のテレビ界を席巻した上岡龍太郎(かみおかりゅうたろう)さん。
この記事では、同じ関西の人気者で東京進出の後輩であるやしきたかじんさん、弟子のテントさん、相方だった横山ノックさん、『パペポTV』の最終回に駆けつけたさんまさんを取り上げ、彼らとの関係についてまとめます。
上岡龍太郎のプロフィール
愛称:上岡さん
本名:小林龍太郎
生年月日:1942年3月20日
身長:165cm
出身地:京都府京都市左京区
最終学歴:京都西高校
所属事務所:米朝事務所
上岡龍太郎はやしきたかじんの東京進出にアドバイス
難しい言葉で相手を煙に巻きながら、過激さの中にユーモアをにじませた話芸で人気を集めた上岡龍太郎さん。
本名を小林龍太郎さんといい、1942年3月20日生まれの京都府京都市出身です。
トリオの正統派漫才で新風を吹きこんだ漫画トリオの「横山パンチ」として活躍し、解散後に芸名を「上岡龍太郎」に改名。
立て板に水のトークで大阪を代表するタレントとなったあと、『鶴瓶・上岡のパペポTV』が東京でも放送されるようになり、東京のテレビ界が上岡さんに注目。
「ポストたけし・さんま」として起用しようという機運が高まります。
東京嫌いを公言していた上岡さんは乗り気ではなかったものの、蓋を開けてみれば番組は大好評。
当時、東京にはえらそうな断定口調で物申す大人向けの司会者がいなかったのです。
良かったなあ3人組のパンチさん見つかったんや。#漫画トリオ #上岡龍太郎 #横山パンチ pic.twitter.com/gJazg3YQaC
— 植木すいか🍉🐟🍎 (@katokin760) May 4, 2017
以前も出したものですが、94年3月31日放送「EXテレビOsaka」最終回のエンディング部分です。出演者の顔ぶれからもわかる、少しアンダーグラウンドな雰囲気を漂わせた、深夜番組らしい深夜番組というのはこの番組が最後だった気がします。あと上岡龍太郎さんの最後の言葉がたまらないですね(^_^) pic.twitter.com/gQygZWDBOQ
— デいモん店長 (@showbymagical) March 31, 2019
上岡龍太郎さんと同じく、関西では大物スターだったやしきたかじんさん。
ふだんの地声と、歌う時の美声の落差があまりに大きいことから、関西では「スズムシの声を持つゴキブリ」の異名をもっていたのだとか。
上岡さんの「ふだんは芸人の声、歌っている時は歌手の声」というのは温情コメントでしょうか。
東京進出にあたって、たかじんさんは上岡龍太郎さんに相談し、入念に計画を練っていたといわれています。
ところが、たかじんさんの東京嫌いを決定づける出来事が。
有名な味の素激昂事件です。
テレビ朝日の生放送の深夜番組『M10』の司会者に抜擢されたたかじんさん。
しかしある日の料理コーナーで、指定したはずの味の素が用意されておらず、沸点に達します。
「あ、じ、の、も、と、は、どこじゃいやいやいやーッ!!」
たかじんさんはスタジオセットを破壊したうえにスタッフを殴り、生放送中に帰宅。
これだけを聞くと人格破綻者のようですが、ここに至るまでにはご本人の言い分もあったよう。
ただ、暴力をふるったのはよくなかったですね。
この騒動で、たかじんさんは番組を降板。
おまけに生放送で「味の素」を連呼したことから、味の素株式会社から1000本の味の素と感謝状が届くという展開に。
【とっておき?!のたかじん】
写真展から惜しくももれた作品をご紹介します。よーくみると。。。
なぜか表情がせつない!!#たかじんメモリアル展#やしきたかじん pic.twitter.com/dfpaq3CG4F— たかじんアワード (@takajinmemorial) March 28, 2016
さらに翌週、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』にゲスト出演した際は、上岡さんのアイデアでセットに味の素がこれでもかと並べられ、「これならええんやろ?」とドヤ顔されることになりました。
上岡龍太郎とテントは師弟の関係
めったにメディアに出演しないことから「ツチノコ芸人」と呼ばれていたテントさんは上岡龍太郎さんの弟子でした。
カルト的な人気があり、その先鋭的な芸風は師匠にも「登場するのが10年早かった」と言わしめたほど。
2016年9月27日、大阪市天王寺区の横断歩道を横断中に乗用車にはねられ、病院に搬送されましたが、およそ3時間後に息を引きとりました。
65歳でした。
愛弟子の葬儀で久しぶりに公の場に姿を見せた上岡さんの姿が報じられています。
引退後もテントさんが出演するライブに足を運び、客席からエールを送っていたという上岡龍太郎さん。
単独ライブ『テントひとりぼっち』に引退直前の上岡さんがゲスト出演した際は、二代目上岡龍太郎として芸名を譲ると言われるも、サインが書きにくいという理由で丁重に断ったとのことです。
上岡龍太郎さん、弟子・テントさん事故死に沈痛な表情「明日通夜があるので、そこで…」 https://t.co/Sx5phmxomI #芸能ニュース #スポーツ新聞 pic.twitter.com/xMefyls8Uw
— スポーツ報知 (@SportsHochi) September 28, 2016
上岡龍太郎が「横山ノックを天国へ送る会」で伝説の名口上
今も語り草になっている「横山ノックを天国へ送る会」での上岡龍太郎さんの献杯の挨拶。
この時、引退から7年がたっていました。
10歳年長のノックさんは漫画トリオとしてともに一世を風靡した盟友。
正式な師弟関係にはないものの、18歳の時に出会ってからおよそ50年、師匠であり父親のような存在だったと明かしています。
「横山パンチ」名義で登壇した上岡さんは、「ノックさん、あなたはぼくの太陽でした」とはじめ、故人の経歴から得手不得手、性格など知る限りの素顔をユーモアを交えながらも万感をこめて語り、最後は涙声に。
一流の話術と故人への深い思いがつくりあげた、まさに名スピーチといえるでしょう。
上岡龍太郎にとってさんまは理想の芸人?
テレビ話芸の理想として、さんまさんや鶴瓶さんをよく挙げていたという上岡龍太郎さん。
鶴瓶さんと出演していた『鶴瓶・上岡パペポTV』は台本なし、打ち合わせなしのぶっつけ本番で二人がトークを繰り広げる異色の番組。
観客とのかけあいも含めて、まるでアメリカのスタンダップコメディーのステージを観ているような錯覚にとらわれる希有な存在でした。
相手の切り返しを予測しつつ、真っ向勝負しているかような緊張感もあり、二人の芸人としての矜持を感じたのを覚えています。
後継番組としてスタートした『LIVE PAPEPO 鶴+龍』は上岡さんの引退にともない、2000年3月で終了。
最終回にはゲストとして島田紳助さん、さんまさん、間寛平さん、村上ショージさんが登場しました。
おそらくもう二度と見られない豪華共演ですね。
定年退職がない芸能界では、人気のあるうちは活動を続けてくれるものとファンは思いがちです。
けれども、それを覆す芸能人がいるのも事実。
上岡龍太郎さんもその一人ですね。
志村けんさんが亡くなられた時も喪失感を覚えましたが、個人的に、上岡龍太郎さんは今いちばん芸能界に復帰していただきたい芸人です。
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