ベストセラーエッセイ『九十歳。何がめでたい』で注目され、芥川賞候補となったこともある作家の佐藤愛子(さとう あいこ)さん。
佐藤さんの家族にも個性豊かな人々が多いようですので、詳細を見ていきましょう。
息子、娘、夫の森川弘さんの情報を確認します。
併せて、姉と孫の情報にも迫ります。
佐藤愛子のプロフィール
本名:佐藤愛子
生年月日:1923年11月5日
出身地:大阪府大阪市、兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)
最終学歴:甲南高等女学校(現在の甲南女子高等学校)
佐藤愛子に息子が1人
まず佐藤さんの息子について見ていきましょう。
佐藤愛子著「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」
入荷しました。
これが最後のエッセイとのことです。
自分の仕事の最後は自分できっぱり決める。
素敵です。
「増補版 九十歳。何がめでたい」文庫版も
同時発売です。 pic.twitter.com/Y3XX7sJmaT— くまざわ書店松阪店 (@kbcmatsusaka) August 6, 2021
佐藤さんには娘が3人と、息子が1人います。
息子さんは一般人で、職業や経歴など詳しい情報は公表されていません。
分かっているのは、1944年11月生まれのため、2023年に78歳を迎えることです。
佐藤さんは疎開していた静岡県静岡市清水区の実家で、息子さんを出産しました。
1945年8月15日、佐藤さんは岐阜県恵那市の旧大井町にあった夫の実家で終戦を迎えます。
翌年に復員した夫と息子さんを連れて、千葉県の柏市に移り、農業に携わりました。
息子さんは戦時中の記憶はほとんどないはずです。
それでも母の苦労を知り、きっと「自分が成長したら母に楽をさせる」と考えてきたに違いありません。
佐藤愛子の娘は森川夏、糸杉紗衣、杉山響子
佐藤さんは終戦後の1947年に長女、その後年代は公表されていませんが次女を出産しています。
長女は森川夏さん、次女は糸杉紗衣さんです。
夏さんは一般人のため詳細は不明ですが、2023年に76歳を迎えますから、孫にも恵まれているかもしれませんね。
紗衣さんは母と同じく作家となり、小説『ハロー・グッドバイ』を発表しています。
ただほかの作品に関する情報は見当たらず、今は活動していないようです。
忙しく働くのではなく、家庭を重視しながら、平穏な日々を送っているのかもしれません。
また佐藤さんは前夫の死後、再婚相手との間にも娘をもうけています。
再婚相手との間に生まれた一人娘は、杉山響子さんです。
エッセイやブログの記事を書きながら、文筆業に携わってきました。
1988年にミュージシャンでジュエリーデザイナーの杉山弘幸さんと結婚します。
娘にも恵まれて、幸せな家庭を築いている様子です。
佐藤愛子の夫は森川弘、元夫は田畑麦彦
1943年12月、佐藤さんは病院長の長男・森川弘さんと見合い結婚しました。
戦争で家計が苦しかったため、やむを得ず結婚したのです。
森川さんは陸軍航空本部に勤務し、飛行場設営隊の主計将校となりました。
終戦後は「自由になれる」と考えていた佐藤さんですが、復員した夫のモルヒネ依存症に悩む日々を送ることになります。
長男と長女、次女をもうけたものの、夫婦生活に愛はありませんでした。
結果的に夫とは別居し、母と暮らしながら小説を書き始めます。
子供たちは夫の両親が引き取りました。
1951年に夫が亡くなると、同人雑誌「文藝首都」の作家仲間・田畑麦彦さんと交流。
しばらく作品が書けずスランプに陥っていた時期、田畑さんと一緒に旅行したことが、結婚のきっかけとなりました。
1956年に田畑さんと結婚し、響子さんを出産します。
その後代表作『ソクラテスの妻』を完成させ、1963年度上半期に芥川賞候補となりました。
ソクラテスの妻/佐藤愛子 #読了
ソクラテスの妻、二人の女、加納大尉夫人を併録。
最初の二篇は男性の身勝手な憂鬱と悲哀、そんな男性に手を焼く女性の憤りと諦念を描く。(男性の気持ち少しわかる。。。)
一転して最後の一遍は戦時中の夫婦の悲哀。夫人が可愛いらしく、その分、切なさが募る。 pic.twitter.com/yB0TToTCi9— さっしみゃーご@読書垢 (@sashimyago) November 20, 2021
下半期の芥川賞でも『二人の女』で候補となります。
受賞には至りませんでしたが、これによって佐藤さんへの仕事依頼が増えていきました。
作家活動が軌道に乗り始めた矢先、1967年に夫の会社が倒産したことで、借金を背負うことになります。
佐藤さんが稼いだ原稿料は、田畑さんの借金返済に消えていきました。
1968年に田畑さんから「借金から身を守るために、偽装離婚しよう」と提案されます。
こうして2人は離婚しますが、その後田畑さんはほかの女性に籍を入れていました。
夫に騙された佐藤さんですが、作家として自立していたため、以降は家庭を作らず作家業に専念しています。
再婚願望がなかったわけではなく、
「2度も失敗したから、3度目に失敗しても大丈夫」
という自信が付いていました。
失敗を恐れず、3人目の伴侶を探していた時期があるようです。
ただ仕事が忙しくて、結果的に3度目の結婚はしませんでした。
佐藤さんは借金返済をはじめさまざまな困難と向き合うため、意欲的に小説を書き続けた結果、大成できたのでしょうね。
佐藤愛子の姉は『血脈』の早苗のモデル
佐藤さんの姉もまた波乱万丈な人生を送りました。
小説『血脈』で、姉は本名の「早苗」という名前で登場します。
早苗さんは実直な男性との結婚を望み、真面目な村井雄介さんという男性と結婚しました。
貞淑な妻として夫を支えましたが、融通が利かない鈍感な夫との生活が苦しくなっていきます。
ノイローゼ気味になっていった早苗さんは、精神病院に入院。
家庭内別居を始め、亡くなるまで夫との仲は改善しませんでした。
妹である佐藤さんと異なり、不幸な結婚生活に折り合いを付けられなかった点は気の毒ですね。
早苗さんが亡くなるまでの間、少しでも幸せを感じられる瞬間があったことを願うばかりです。
佐藤愛子の孫は桃子
佐藤さんが田畑さんとの間にもうけた響子さん。
杉山弘幸さんと結婚して、3年後の1991年に長女・桃子さんをもうけています。
佐藤さんの孫にあたる女性ですね。
祖母と孫の関係は良好で、20年間も2人で年賀状に掲載する面白い写真を撮り続けていました。
「運動会」「コギャル」などテーマを決め、構図を考えて小道具も用意します。
着ぐるみや女子高生などの衣装を身に付けた佐藤さんと桃子さんの姿は、非常にチャーミングでした。
響子さんはプロデューサーやカメラマンとして、完成をサポートしていました。
本格的なコスプレをした2人の姿を撮影し、年賀状にプリントして送付していたのです。
佐藤愛子先生の年賀状プレゼント、当選しましたー😆💕めっちゃ嬉しい🎵😍🎵
愛子先生と、孫の桃子ちゃんの泥棒さん、面白~い👍
文藝春秋さん、ありがとうございます✨✨✨ pic.twitter.com/9OnRrIu6z8— くえくえ⭐️ (@Terima_0616) January 2, 2017
20年間、3世代が協力し合って作った年賀状写真は、佐藤さんが著作『孫と私の小さな歴史』に収められています。
こういう写真にはかなわないと思う。大切さが全然違うし。と、思ってしまう。孫とおばあちゃんのコスプレを娘が撮影してる、佐藤愛子の年賀状とエッセイ。 pic.twitter.com/tmwI4gaUH9
— kazmir (@kazkazmir) May 15, 2016
家族のきずながうかがえる写真の数々を眺めれば、あたたかい気分に浸れますよ。
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