岡本太郎の妻が養女だった理由。子供はいる?著名な母と父、複雑な生い立ちとは

不世出の天才芸術家と呼んでも過言ではない岡本太郎(おかもとたろう)さん。

亡くなった今でも多くの人々に影響を与え続けています。

岡本太郎は妻が養女だった理由

大阪万博の際に制作した「太陽の塔」があまりにも有名な岡本太郎さん。

世界中に衝撃を与えた太陽の塔は万博終了後も取り壊される事なく永久に保存される事に。

2020年には国の登録有形文化財にも登録され、今も大阪のシンボルとして多くの人々に愛されています。

またテレビ番組にも積極的に出演していました。


個性的なキャラクターでお茶の間の人気を博し、「芸術は爆発だ」のフレーズは流行語に。

「作品は知っていても作家は知らない」、「作家は知っていても作品を知らない」という事は少なからずあります。

ですが、岡本太郎さんは作家も作品も有名という数少ないケース。

特に近現代の美術家では稀と言っても過言ではないでしょう。

まるでタレントのようにメディアに出演する太郎さんには同業者から批判の声もあったかも知れません。

ですが、岡本太郎さんをきっかけにアートに興味を持った人も多いはず。

また、片岡鶴太郎さんやジミー大西さんなど、太郎さんに才能を見いだされた人も少なくありません。

日本の芸術界の裾野を広げた事は疑いようもない事実。

きっと人気を妬む人達が批判をしていたのでしょうね。

日本芸術界の発展に多大な貢献をした太郎さんを支え続けたのが岡本敏子さん。

生涯のパートナーであり妻と言える存在ですが、実際は妻ではなく養女。

つまり戸籍上は娘となっているんです。

二人が出会ったのは岡本太郎さんが主催した「夜の会」。

この会で親しくなった事から岡本敏子さんは太郎さんの秘書を務める事に。

そして私生活でもパートナーとなり実質的には妻のような存在となったようです。

ではなぜ敏子さんが妻ではなく養女となったのか。

太郎さんが敏子さんを養女にした理由は大きく2つ。

まず一つ目が太郎さんが結婚という形を好まなかったこと。

これには岡本太郎さんの両親があまり良好な関係でなかった事が影響しているそうです。

そしてもう一つが遺産相続問題。

もし岡本敏子さんが妻となっても全ての遺産を相続する事は出来ず。

遺産の一部は別の親族の手に渡ってしまうんだとか。

ですが、子供であれば全ての遺産を相続する事が可能。

そのため妻ではなく養女にしたようです。

公私に渡って太郎さんを支えてきた敏子さん。

そのため「自分の作品を管理できるのは敏子さんだけ」と思っていたそうです。

実際、敏子さんは太郎さんの死後、残された未完成の作品を完成させるべく尽力。

制作から仕上げの全ての工程で監修に携わったんだとか。

また、アトリエ兼自宅を改装して岡本太郎記念館として公開し自らは館長に就任しています。

これらの働きかけのおかげもあって岡本太郎さんは再び高く評価されるように。

愛する太郎さんが再び評価された事は敏子さんにとって何よりの喜びだった事でしょうね。

岡本太郎には子供がいるの?

岡本敏子さんを養女に迎えた岡本太郎さん。

いつ頃から養女となったのか詳細な年は分かりませんでした。

ただ、二人が出会ったのは1948年頃。

それから秘書となり私生活でもパートナーとなりましたが、すぐに養女になったという事は無いはず。

そのため暫くの間は事実婚のような状態だったのだと思われます。

その間に子供をもうけていても不思議ではありませんよね。

ですが、調べてみても二人の間に子供がいる、という情報は見つからず。

ですので岡本太郎さんには血の繋がった子供はいないようです。

子供がいないから岡本敏子さんを養女にしたのかもしれませんね。

もし子供がいたら、その子供も芸術家になっていたのでしょうか。

また、どんな父親になっていたのでしょう。

きっと常識では測れないような子育てをしていた事でしょうね。

岡本太郎は父と母も著名人だった


学力やIQ、収入などは両親の遺伝が大きく影響すると言われています。

ですが、芸術的な才能に関しては遺伝するか否か今も議論が続いているようです。

ここで気になるのが岡本太郎さんの両親。

日本を代表する芸術家の両親は一体どんな人達なのでしょうか。

そこで両親について調べてみると意外な事実が。

太郎さんの父、岡本一平さんは漫画家。

漫画に解説文を加えた「漫画漫文」というスタイルを確立。

「宰相の名は知らぬが、一平なら知っている」と言われたほどの有名漫画家となりました。

また、自分の名前を冠した「一平塾」を主宰して多くの漫画家を育成。

日本の漫画文化に多大な影響を与えた1人として知られています。

そして太郎さんの母、岡本かの子さんは歌人で小説家。

実家が大地主だった事からお嬢様育ちで若いころから文学に夢中な女性だったそうです。

若いころから投稿活動を行う等、歌人として活動。

小説に専念するようになったのは晩年になってからでした。

また、父方の祖父は北王子魯山人の師である書家の岡本可亭さん。

これらの事から岡本太郎さんの家系は芸術一家である事が分かります。

もしかすると才能は遺伝によるものが大きかったのかも知れませんね。

岡本太郎の複雑すぎる生い立ちとは


父と母だけでなく父方の祖父まで芸術家の岡本太郎さん。

将来は芸術家になるべく幼少期から教育を受けたと思う人もいるかも知れません。

ですが、太郎さんはそのような教育は全く受けていません。

それどころか非常に複雑な家庭環境だったんです。

父の一平さんは有名漫画家である一方、かなりの放蕩者。

お金使いも非常に荒く家の電気を止められた事もあったそうです。

そんな父に愛想を尽かした母の岡本かの子さん。

夫に対する愛情を失った事から自身を崇拝する堀切茂雄さんを家に招き入れ同居するようになりました。

家族に加えて母の崇拝者かつ愛人でもある男性も一緒に暮らす。

そんな複雑な家庭で岡本太郎さんは育ったんです。

このような家庭で育てば結婚する事を嫌がったのも無理はありません。

ただ、「普通」、「当たり前」の環境で育たなかった事で既成概念にとらわれる事が無かったのもまた事実。


その事が太郎さんが芸術家として評価される要因となったのは皮肉なもの。

もし岡本太郎さんが異なる家庭環境で育ったらどんな作風になっていたのでしょうか。

ただ、全く別の作風であったとしても高い評価を得ていたように思います。

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