遠藤周作がさくらももこにいたずら。息子・父・母、結婚した妻について

キリスト教をテーマにした多くの作品で人間と宗教の関わりを描き、その一方で狐狸庵(こりあん)先生としてユーモアあふれるエッセイも残した遠藤周作(えんどうしゅうさく)さん。

愉快でいたずら好きな一面があったようですが、それを物語るさくらももこさんとのエピソードを紹介します。

あわせて一人息子や父や母のこと、結婚した妻についてまとめます。

遠藤周作がさくらももこにいたずら?

東京都豊島区で誕生した遠藤周作さんは、銀行員だった父の転勤により幼少期を満洲の大連で過ごしました。

両親の離婚にともない、母に連れられて帰国したあと、母や兄とカトリックの洗礼を受けてポール(パウロ)という洗礼名を授かります。


信仰に救いを求めた母からもたらされたキリスト教は、この時から遠藤周作さんの生涯の宿題になりました。

慶應義塾大学文学部仏文科大卒業後はフランスに留学し、リヨンでカトリック文学を勉強。

西洋の信仰であるキリスト教と日本人を分かつ隔たりに苦しみ、やがてそうした葛藤を自身のテーマとして文学で深めるために小説家を志します。

1955年に発表した『白い人』は、ヨーロッパの人々にとっての悪と罪を問いかけた作品でした。

この小説は芥川賞を受賞し、遠藤周作さんは脚光を浴びることに。

一方で狐狸庵先生として親しまれ、軽妙なエッセイでも人気を集めました。

ちなみに「狐狸庵」とは連載エッセイ『狐狸庵閑話』にちなんだもので、このタイトルは「こりゃあかんわ」のダジャレ。

「違いがわかる男」として登場したネスカフェゴールドブレンドのCMや、晩年に出演したNEC文豪MINIのコミカルなCMを覚えている人も多いでしょう。

非常に真面目な性格であるがゆえに、周囲を堅苦しくさせまいとおどけることがあったという遠藤周作さん。

さくらももこさんはエッセイで、ふざけてばかりのおじさんだったと愛情をこめて述べています。

ある時、遠藤周作さんと対談することになったさくらももこさん。

さぞやお堅い話になるのだろうと緊張していたそうですが、年齢を10歳ごまかされるなど終始ジョークで翻弄されてしまったとのこと。

あげくに「ぼくの電話番号」なるメモを渡され、電話するように言われたためにその通りにしたところ、つながったのは東京ガスだったといいます。

他人ごとと思えば笑えますが、当事者の気持ちになってみるとちょっときついです。

息子・龍之介は現フジテレビ社長

1956年6月3日に誕生した龍之介さんは一人息子です。

命名の由来は前年に受賞した芥川賞でした。

2020年現在はフジテレビ社長および最高執行責任者を務めています。

龍之介さんは幼稚舎から慶應義塾に通い、父と同じ文学部仏文科卒業後にフジテレビ入社。

ディレクター、編成部長、広報局長などを経て2019年6月26日に社長に就任しました。

手がけたドラマに『銭形平次』『旗本退屈男』などがあります。

父の周作さんは、常々龍之介さんに「大学を受験しても何もならない」と言い、大学受験を勧めなかったといいます。

これが原因で「高卒の社長誕生か?」という語情報がネット上に拡散したことがありました。

龍之介さんは当時、削除を求めることも考えたそうですが、角が立つのでしなかったと苦笑いしていたといいます。

父と母の離婚がきっかけでカトリック信者に

遠藤周作さんは1923年3月27日、第三銀行の銀行員だった父・常久さんと東京音楽学校バイオリン科の学生だった郁さんの次男として生まれました。

常久さんは東京帝国大学在学中に郁さんと知り合い、1921年に結婚。

同年に長男の正介さんが誕生しています。

遠藤家はかつて鳥取県にあり、鳥取藩の御典医を務めた家系でした。

祖父に跡継ぎがいなかったため、養子として迎えたのが常久さんです。

まもなく父の転勤により一家は満州に移りますが、父が愛人をもうけたことで両親の仲は破綻。

周作少年が10歳の時でした。

その後、父は16歳年下の女性と再婚。


兄弟は母に連れられて帰国し、母の姉の家に身を寄せました。

カトリック教会に通いはじめたのは、この伯母の影響だったそうです。

やがて母は音楽教師として勤めはじめ、親子三人は洗礼を受けることに。

江戸時代のキリシタン弾圧を描き、谷崎潤一郎賞を受賞した不朽の名作『沈黙』は、マーティン・スコセッシ監督が映画化を熱望し、2016年にようやく念願を叶えます。

これに先立つ1971年には、日本でも篠田正浩監督が映画化しています。

遠藤周作は慶應大学の後輩と結婚

芥川賞受賞の2か月後、遠藤周作さんは慶應義塾大学仏文科の後輩の順子さんと結婚しました。

順子さんは実業家・岡田幸三郎さんの長女です。

婚約時代から遠藤周作さんの結核治療を支え続けてきた順子さん。

最後まで病気との闘いの連続だった夫のことを、他界した夫の母から託されたような気がしたと語っています。

1996年に遠藤さんがこの世を去ったあと、初めての著書『夫の宿題』を発表しました。

志半ばで筆をおかざるをえなかった夫の思いを次の世代に伝えたいと願ってのことでした。


日本人の心に届くキリスト教を追求し、信仰の問題を真正面から描き続けた遠藤周作さん。

『沈黙』と『深い河』が棺に納められたのは、生前のご本人の遺志によるものでした。

今、遠藤周作さんは聖イグナチオ教会の地下納骨堂で永遠の眠りについています。

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