村松友視の現在。結婚相手と子供、家族について。プロレス愛と直木賞受賞

文壇外の作家を発掘する名編集者として活躍し、のちに専業作家に転身した村松友視(むらまつともみ)さん。

2022年現在、すでに80代の高齢ですが、お元気で執筆活動を続けているのでしょうか。

今回は、あまり伝わってこないプライベートに目を向けて、結婚相手や子供など家族についてリサーチしました。

また村松さんといえばプロレスということで、傑作エッセイ『私、プロレスの味方です』についても掘り下げます。

三度目の候補で受賞した直木賞と、その賞金の使いみちもまとめました。

村松友視は現在もマイペースで執筆活動

2022年に82歳を迎えた村松友視さん。

もとより作家はステイホームが通常営業なのですが、コロナ禍で机に向かう時間がいっそう増えたおかげで、充実した毎日を送っているようです。

『サライ』2021年2月号のインタビュー記事によると、最近のおもな仕事は連載エッセイの執筆と、賞の選考会のための候補作品を読むこと。


一時期多かった講演もほとんどなくなり、無理のない自然体の状態が続いているそうです。

81歳という年齢を考えると、ちょうどよい仕事量なのでしょう。

とはいえバイタリティーは健在で、執筆時間が増えたことで何回分も先まで書きためてしまうほどなのだそう。

4月にはBS放送の『BOOKSTAND.TV』にも出演。

村松さんと40年ぶりに再会した水道橋博士は感無量だったようですね。

プロレスや芸能人に材をとった独特な語り口の作品が人気の村松さんですが、80年代のサントリーオールドのCMを懐かしく思い出す昭和世代もいるでしょう。

「ワンフィンガーでやるもよし。ツウフィンガーでやるもよし」というコピーは流行語にもなりました。

3分50秒あたりから村松さんが登場します。

村松友視の結婚相手と子供、実家の家族について

村松友視の結婚相手と子供は?

村松友視さんの結婚相手や子供についても関心が寄せられていますが、ほとんど明らかになっていません。

ご本人の発言からわかったのは、33歳で結婚したことと、行きつけの「FUNKY」にはじめて連れてきてくれたのが妻だったこと。

「FUNKY」は東京・吉祥寺にあるジャスバーです。

結婚時の年齢から、中央公論社の編集者時代に身を固めたことがわかります。

子供については一切情報がありませんでした。

子供がいる可能性は十分にありますが、仮にいるとすれば、おそらく一般人なのでしょう。

村松友視の実家の家族は?

村松さんは自分の生い立ちを語る際、「上海仕込み、東京生まれ、清水みなと育ち」と紹介することがあります。

複雑な出自を端的に言い表すフレーズです。


中央公論社の編集者だった父・友吾さんは妻の喜美子さんと上海に渡り、『上海毎日新聞』の記者になりました。

喜美子さんは同地で身ごもりますが、出産前に夫が腸チフスで夭逝。

27歳という若さでした。

喜美子さんは未亡人となって日本に引き揚げ、翌年に東京で出産。

この赤ちゃんが村松友視さんです。

友吾さんの父、つまり祖父にあたる作家の村松梢風(むらまつしょうふう)さんは、若くして伴侶を失った喜美子さんの将来を憂い、他家に嫁がせて、生まれたばかりの赤ちゃんを養子に迎えて自分の子としました。

両親は死んだと聞かされて育った村松さんは、中学生の時に母が生きていることを知ります。

しかも、母は「親戚のおばさん」として何度も会っていた女性。

晴れて母と息子として対面したのは、祖父であり、養父である梢風さんの葬儀の席でした。

村松さんが就職・結婚をしてようやく、母が自分を見る「 不憫な子」というような眼差しが薄れたと振り返っています。

村松友視が提唱した新しいプロレスの見方とは

祖父が作家ということもあり、自然に作家を志すようになった村松友視さん。

本格的なデビューは、ひょんなことから叶いました。

ある編集者にプロレスのエッセイを依頼された糸井重里さんが、ものすごいプロレスフリークの編集者がいるから、と村松さんを紹介したのです。

軽い気持ちで一気に書き上げた『私、プロレスの味方です 金曜午後八時の論理』はベストセラーになり、村松さんは一躍有名人に。

少年時代から大のプロレスファンで、力道山vs.木村政彦戦はもちろん、アントニオ猪木vs.モハメド・アリの異種格闘技戦も生観戦していた村松さん。

70年代後半から80年代半ばまでの新日本プロレスブームは、古舘伊知郎アナウンサーをはじめリング外の立役者がたくさんいましたが、最大の貢献者は村松さんかもしれません。

同著が刊行された1980年当時、まだプロレスの地位は低く、とりわけインテリ層からは「低俗な娯楽」とみなされていました。

「プロレスはスポーツにあらず、シナリオのあるショーである」というわけです。


村松さんは同著で、「真剣勝負か八百長か」「勝ちか負けか」「スポーツは高尚、ショーは低俗」というように、白か黒かのジャッジでしかプロレスを見ない人たちに物申します。

いわく、「プロレスはスポーツでも演劇でもないジャンル」であり、「虚実の入り混じったグレーな存在」。

頭を柔らかくして見てみれば、奥深くて不可思議な魅力に満ちていると説いてみせたわけですね。

ひと言でいうなら、「たかがプロレス」から「されどプロレス」への転換です。

プロレスファンから「そうそう、そうなんだよ!」という共感の声が上がったのはいうまでもありません。

新しいプロレスの見方の提言が、多くの読者の心をつかんだということでしょう。

村松友視は『時代屋の女房』で直木賞

思いもよらずベストセラー作家になってしまった村松友視さん。

小説の執筆をすすめられて書いてみたところ、『セミ・ファイナル』と『泪橋』が二回続けて直木賞候補に。

このタイミングで専業作家への転向を決めて退職しますが、その直後の1982年に『時代屋の女房』で直木賞を受賞。

ちなみに、この時の選考委員は源氏鶏太さん、水上勉さん、村上元三さん、山口瞳さん、池波正太郎さん、阿川弘之さん、五木寛之さんという顔ぶれ。

山口瞳さんは選評で、「私、村松の味方です」という粋なコメントを残しています。

同作品は映画化、ドラマ化されて話題になりました。

骨董屋「時代屋」を営む独身の男性と、そこへやってきた女性の恋物語です。

受賞記者会見のあとは明け方まで飲み歩いていたという村松友視さん。

賞金の50万円は、母との上海旅行にあてました。

父の死んだ上海へ母を連れて行きたい、という思いがあったそうです。


夫と暮らしていた場所を訪ねる母を、村松さんはどんな思いでながめていたのでしょう。

この上海旅行は、直木賞受賞後の第1作『上海ララバイ』に結実しています。

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