戦後文学の旗手として活躍した作家の井上光晴(いのうえ みつはる)さん。
戦争、貧困、差別をテーマにした社会派で、『ガダルカナル戦詩集』や『虚構のクレーン』などの代表作を残しました。
硬派な作風とは裏腹に、私生活では女性問題でトラブルを起こすことがあったようです。
光晴さんを支えた妻の詳細、娘で直木賞作家の井上荒野さんについて見ていきます。
また東京都調布市とのゆかり、若い頃に瀬戸内寂聴さんと不倫関係にあった事実に迫ります。
井上光晴のプロフィール
本名:井上光晴
生年月日:1926年5月15日
死没:1992年5月30日
身長:非公表
出身地:福岡県久留米市、長崎県崎戸町・佐世保市
最終学歴:高等小学校中退
井上光晴、器の大きな妻
まず光晴さんの妻について紹介します。
光晴さんは作家の瀬戸内寂聴さん(交際開始時は瀬戸内晴美)と不倫関係にありました。
しかし奥さんは、決して怒らなかったそうです。
それどころか寂聴さんと親友関係になったといいます。
後述しますが、寂聴さんは光晴さんとの不倫関係を清算するため、出家して仏門に入りました。
その後は彼と友人として交流を続けますが、彼の奥さんとも親密に交流していたのです。
原一男監督の『全身小説家』からのワンカット。
井上光晴と瀬戸内寂聴が講演旅行に行った時のワンカットで、瀬戸内寂聴の右に立っているのは、井上光晴の奥さん。
妻と元愛人と一緒にいても平然としている井上が怖いが、奥さんと瀬戸内寂聴が何事もないような雰囲気なのも怖い。 pic.twitter.com/0Tk2l7ASVh
— 中井寛一 (@ichikawakon) November 11, 2021
奥さんはきっと、最愛の夫が愛した女性であれば、たとえ不倫相手であっても許すことにしたのではないでしょうか。
愛する人の好きなものをすべて受け入れられる、驚くほど器の大きい女性だったに違いありません。
夫の晩年には口述筆記を手伝うなど、仕事面でもサポートを惜しまなかったといいます。
夫のためなら、不倫をも許し、全力で尽くせる女性だったのですね。
にわかには信じがたい話ですが、そんな奥さんの気持ちを理解するのに最適な小説があります。
井上夫婦の娘が書いた小説『あちらにいる鬼』です。
井上光晴の娘は井上荒野
光晴さんの長女である井上荒野さんも、父と同じく作家となりました。
男女の内面を生々しく描くことを得意とし、2008年に小説『切羽へ』で直木賞を受賞。
現代を代表する作家であり、何と父の不倫をテーマに小説を書いたこともあります。
それが2019年に発表した問題作『あちらにいる鬼』です。
荒野さんが5歳だった頃、父が当時の人気作家である瀬戸内さんと不倫をします。
小説では2人の不倫を静かに見守っていた母を含む3人の人間関係を描き、各メディアで話題となりました。
井上荒野『あちらにいる鬼』がすばらしい。娘の視点ではなく、こちらの妻(母親)とあちらの愛人(瀬戸内寂聴)の視点から男(父・井上光晴)の生態を描くという離れ業。『全身小説家』と併せて読むと、あの映画の違和感の正体がつかめる。虚構=小説でしかつかめない虚構の裏側。 pic.twitter.com/9OAhi9nwg0
— 森井良 (@ryo_morii) April 13, 2019
なぜ瀬戸内寂聴は尼なのか。井上光晴の妻と寂聴、二人から見た井上光晴。不倫によくある情愛、嫉妬、戦いの構図でなく諦めや悟りを淡々と描く。運命とは生命とは。作者は父より寂聴の影響を受けたのだなと繰り返し熱心に取材をしている様子から感じた。#読了 #あちらにいる鬼 #井上荒野 #朝日文庫 pic.twitter.com/v5rIe8IXV7
— ほんよみ (@le_sac_a_dos) November 13, 2021
同作はドキュメンタリー作品ではなく、瀬戸内さんから聞いた話を土台にした、あくまでもフィクション小説でした。
ただ実の親の不倫を題材に小説を書くなんて、随分大胆な発想ですよね。
父に関するゴシップをつづることで、気持ちが落ち込むことはなかったのでしょうか。
荒野さんは当初、父の不倫をテーマに小説を執筆する予定はありませんでした。
ただ母の死後、編集者から「光晴さんと寂聴さんの関係を書きませんか」と提案されたそうです。
当時、両親は亡くなっていたものの、寂聴さんはまだご健在でした。
「大作家の過去を暴くような小説は書けない」と考え、最初は断ったといいます。
気持ちに変化があったのは、寂聴さんと一緒に食事をしたときのことです。
寂聴さんが光晴さんの名前を度々口にしていたため、彼への愛情が深かったことが伝わってきました。
「父との恋愛を、ずっと覚えていたいんだろう」と考えた荒野さんは、寂聴さんにも読んでもらう前提で小説の執筆を決意。
ついに両親と寂聴さんの関係をモチーフに『あちらにいる鬼』を書き始めたのです。
作品の帯や広告に掲載された推薦文は、驚くべきことに寂聴さんが執筆しました。
自身の過去について書かれたにもかかわらず、怒るどころか、絶賛していたのです。
井上光晴の娘、井上荒野がこの不倫をテーマに最近出版した『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)に「モデルに書かれた私が読み、感動した!!」推薦文を寄せている瀬戸内寂聴はかっこいいし、それを感謝する井上荒野もかっこいい…と思いました。 https://t.co/ihPNzZHiHV pic.twitter.com/pTi0sS73fJ
— 龍陽⛵海容 (@unbonvinblanc) November 11, 2021
瀬戸内寂聴、井上光晴との不倫の様子を井上のむすめである井上荒野が小説『あちらにいる鬼』として刊行したときに、「傑作です!!モデルであるわたしがいうだから間違いない!」と推薦していて、あまりの豪胆さに大好きになってしまったので悲しい
— らりを (@pndyk77) November 11, 2021
寂聴さんは心が広い人だったことがうかがえます。
もちろん父の不倫相手である彼女を慕い続けた荒野さんも、非常に寛大な性格なのでしょうね。
人間の深い心理を理解できる作家同士だからこそ、複雑な関係にあっても、お互いを思いやり合えたのかもしれません。
井上光晴は調布市で晩年を過ごす
光晴さんは1973年、東京都世田谷区桜上水団地から調布市多摩川へ引っ越しました。
文学賞の選考委員を務めるなど、中堅作家として活躍していた時期のことです。
調布市のことを非常に気に入ったようで、晩年まで暮らし続けました。
4年後には多摩に「文学伝習所」を開講し、後身作家の育成にも励んでいたそうです。
調布エリアは光晴さんにとって、快適に仕事ができる環境だったことがうかがえます。
1989年7月に大腸がんにより、調布市にある東山病院に入院しました。
がんは肝臓に転移してしまい、闘病生活を送りながら仕事を続けます。
1992年5月30日、東山病院で66年の生涯を終えました。
終焉の場所となった調布の街は、光晴さんの最愛の土地だったのでしょうね。
井上光晴は若い頃に瀬戸内寂聴と不倫
光晴さんが若い頃、具体的には36歳の年に不倫をしたいきさつは、長女の荒野さんが小説『あちらにいる鬼』で描いています。
不倫関係は荒野さんが5歳の頃から、7年間継続したそうです。
寂聴さんは「お互いに真実の愛さえあれば、不倫をしても良い」という考えの持ち主でした。
しかし光晴さんには他の不倫相手もいたため、結果的に寂聴さんの方から関係を清算することにしたようです。
光晴さんは多くの女性を、魅力的な口説き文句で喜ばせる色男だったといいます。
寂聴さんは「彼は私に真実の愛をくれなかった」と考えたのでしょう。
彼との不倫関係を清算すべく、出家して尼僧となりました。
その後も2人は「友人」として交流を続けたそうです。
交流は光晴さんが亡くなるまで続きました。
2人の気持ちは、常識人の感覚では理解しがたいかもしれません。
破局してからも、作家という特殊な職業の者同士にしか分からない、不思議なきずなで結ばれ続けていたように思えますね。
2人の作家の秘められた想いを探りたい人は、ぜひ『あちらにいる鬼』を読んでみてはいかがでしょうか。
どの登場人物に共感できるかは、人それぞれではありますが。
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