室田日出男の死因とは。 息子と家族について。出演映画と経歴まとめ

東映ニューフェイスの4期となりデビューして以来、昭和の悪役俳優として知られた室田日出男(むろた ひでお)さん。

2002年に64歳で亡くなるまで、暴行や薬物などの話題に事欠かない人でした。

役柄同様、私生活でも強烈なインパクトを残した室田さんについて紹介します。

死因や息子の存在と家族についてなど私生活の他、そのキャリアについても出演映画と経歴からたどっていきましょう。

室田日出男のプロフィール

本名:室田日出男

生年月日:1937年10月17日

身長:180cm

出身地:北海道小樽市奥沢町

最終学歴:北海道札幌東高等学校

所属事務所:なし(故人)

室田日出男の死因


室田さんは2002年6月15日に、肺がんが原因で亡くなりました。

飲酒癖があったため腎臓に異常をきたしており、1992年の時点で、映画「死んでもいい」の撮影中に倒れています。

10時間ほどの大手術で一命をとりとめますが、それからしばらくして肝臓の肥大により再入院。

さらに1995年には、吐血して緊急入院していることからも、死因こそ肺がんですが晩年はさまざまな病魔との闘いを繰り広げていたことがうかがえます。

室田日出男の息子と家族

室田さんの家族については妻である鞆子(ともこ)さんの他、その間に息子の室田晃さんがいます。

晃さんも俳優として活動していますが、父親ほどには強面の強烈な印象はなく、むしろ人のよさそうな雰囲気で親しみが持てる容貌です。

さらに趣味がベース演奏で、「ピラニア楽団」という楽団を率いて演奏活動を行っています。

この「ピラニア楽団」の由来は、父がかつて東映の大部屋俳優を中心に結成した「ピラニア軍団」にちなんだもの。

室田さんは亡くなる直前、病室のベッドに起き上がり晃さんに向かって「いい仕事があれば俺はまだやるんだ」と発言しており、晃さんとしては父のプロ魂を直接感じたことでしょう。

暴力的な性格でしかも仕事人間という、決して家族にとっては良い父親ではなかったと思いますが、息子が役者としての父親に敬意を表していることは「ピラニア楽団」という名前からうかがうことができます。

室田日出男の出演映画と経歴の紹介

日本を代表する名脇役と位置づけされている室田さんですが、順風満帆とは言い難い経歴の持ち主でもあります。

デビュー以来、任侠映画などに出演してキャリアを積みますが、『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』の際は酒に酔って窓ガラスを割って降板となります。


さらに組合活動に情熱を注いでいた結果、東映から干され、結果的には契約解除されてしまいました。

1978年には覚せい剤所持で逮捕され、大河ドラマ『黄金の日々』を降板し、謹慎生活に入ります。

その暴力的で喧嘩っ早い性格により、仕事が順調に進まない時期もありましたが、室田さんが名脇役であることは事実です。

筆者は、表現者という存在は挫折を繰り返すほど、その悔しさをも武器にスキルを磨き上げることがあると考えています。

室田さんもそんな表現者の1人だったからこそ、薬物での謹慎生活が終わったのちは、目覚ましい活躍を見せたのでしょう。

復帰作である1979年の映画『人妻集団暴行致死事件』では、妻を汚された男の深い悲しみを見事に表現し、その演技は名演と評価されます。

続く1980年には『影武者』、『野獣死すべし』と立て続けに名作に出演、翌年の『魔界転生』では宝蔵院胤瞬役で、緒形拳さんに匹敵する強烈なインパクトの演技を見せました。

1992年、『死んでもいい』、『修羅の伝説』でブルーリボン賞を受賞したことで、ついに名優としての地位を確立したと言えます。

晩年にはすっかり好々爺の面立ちで、渋い演技を確立した室田さん。

まさにこれから、老人役として新境地を開こうという矢先の死でした。


晃さんは、「オヤジはやりたい放題だった。節制などしたことがなかった。いい人生だったと思う」と語り父親を偲んでいます。

一度きりの人生を存分に楽しんだ、まさに昭和の硬派な男優にふさわしい豪快な生き方だったのでしょう。

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