加藤鮎子、美人議員と話題!父は加藤紘一。高校など経歴&大学の同窓生に小泉進次郎

加藤 鮎子(かとう あゆこ)さんは国会の美人議員としてメディアからも注目されています。

父は総理候補として名前が挙がった加藤紘一さんで自身の経歴も凄いといわれていました。

今回は加藤鮎子さんの容姿や経歴、小泉進次郎さんとの関係などをリサーチして行きます。

加藤鮎子のプロフィール

生年月日: 1979年4月19日

出身地: 山形県鶴岡市

最終学歴: 慶応義塾大学法学部

所属政党: 自由民主党(谷垣グループ)

加藤鮎子は政界きっての美人議員

まずは加藤鮎子さんのビジュアルなどについてチェックして行きましょう。

現在の政界には元SPEEDの今井絵理子さんや元タレントの蓮舫さんなどが在籍しており、多くの男性議員の中でたくましくも可憐に咲く国会の花として存在しています。


自民党のサラブレッドである加藤鮎子さんも整った容姿で”美人議員”と評価されていました。

また、加藤鮎子さんが委員会の質疑に立つとベテラン議員たちも熱い眼差しを送ります。

いわゆる”今風の顔立ち”というタイプの美人さではなく上品さと知性を兼ね備えたルックスをしており、ファッションも有権者を意識して落ち着いた物を身に着けているそうです。

もちろん、多くの女性議員も政策や活動以上に外見を話題に上げられるのは心外でしょうが、この風潮は地方や国会議員における女性率の低さが原因なのは間違いないでしょう。

現在の政界には元SPEEDの今井絵理子さんや元タレントの蓮舫さんなどが在籍しており、次の総選挙では自民党が元ミス日本グランプリの松野未佳さんを擁立する動きもありました。

この中で小泉純一郎元首相は「女性活躍だ」と意義を説明していますが、結局のところ政治家の名門である松野家と元ミス日本というブランドを活かそうとしているに過ぎません。

若くてきれいな女性が国会議員になるのは華やかでイメージも良くなりますが、ただの客寄せパンダに終わるか芯のある政治家になるかは当選後の活躍や行動にかかっています。

加藤鮎子さんが”お飾り”で終わるのか、それとも史上初の女性総理になるのか要注目ですね。

加藤鮎子の父は大物政治家だった

次は父親である加藤紘一さんについて簡単に振り返ってみましょう。

加藤紘一さんは東京大学法学部を経て外務省に入省、国家公務員時代にアメリカのハーバード大学へ留学するなど文句の付けようがない素晴らしい経歴の持ち主でした。

そんな中、1965年5月3日に亡くなった父・精三の後継者として立候補を求められ、1972年12月10日投開票の「第33回衆議院議員総選挙」に山形2区から自民党公認で出馬して初当選。

1978年には39歳(当選2回)で第1次大平内閣の内閣官房副長官に起用されて話題となり、1984年に発足した第2次中曽根改造内閣で防衛庁長官(現在の防衛大臣)として初入閣を果たします。

以後は官房長官や党幹事長、政調会長などを歴任して「次期総理候補筆頭」と言われるほどになりましたが、2000年の加藤の乱が失敗に終わったことで政治生命は絶たれました。

終わった後から明らかになった話ですが、当時の森喜朗首相や野中広務幹事長は”次は加藤”と内心で思っていたらしく、乱を起こさなければ間違いなく総理になれたと言われています。

大人しい官僚タイプだった加藤紘一さんが謀反(むほん)を起こしたのか諸説ありますが、有力なのは加藤派の前身(宮沢派)の親分だった宮澤喜一元総理がそそのかしたという説。

両者とも故人になってしまったので真相は闇の中ですが、宮澤喜一元総理は加藤紘一さんではなく河野洋平さんに派閥を譲りたかったらしく、邪魔になったから・・との話です。

結局のところ動くべき時に動かず、動かなくて良い時に動いたことが失脚を招き、地元選挙区で分裂選挙を起こしてしまった挙句に落選するという気の毒な最期を遂げました。

国会議員を引退後の2016年9月9日、東京都内の病院で肺炎のため死去(77歳没)

真面目で誠実、策略などが苦手で政治のケンカに弱かったとの評価もありますが、その不器用っぽさやリベラルさを採り入れた政策に共感する人は今でも少なくないそうです。

加藤鮎子の経歴(学歴)や小泉進次郎との関係

ここでは加藤鮎子さんの経歴や小泉進次郎さんとの関係を見て行きましょう。


1979年4月19日に加藤紘一さんと愛子さんの三女として生まれ、中学校を卒業するまでは父の地元である山形県鶴岡市で過ごしています。

高校は東京都港区にある「慶應義塾女子高等学校」へ進学しており、最初の1年間はアメリカのカリフォルニアに留学をするなど早くも凄い経歴を築いていました。

高校3年の頃に政治家を強く志すようになり、そのために慶應義塾大学(法学部)へ進んでいます。

大学を卒業後は堀紘一さんが設立した「株式会社ドリームインキュベータ」に入社し、その後は郵政民営化に反対した野田聖子さんの秘書を務めてリアルな政治の現場を体感。

より広い視野と知識を身に付けるためにアメリカの「コロンビア大学国際公共政策大学院」に留学して国際公共政策を学び、帰国後は父・紘一さんの秘書をするようになりました。

留学したコロンビア大学の同窓生には政治学を学んでいた小泉進次郎さんがおり、当選後の現在(2023)はともに自民党の次世代を担うニューリーダー候補として注目を集めています。

政治思想や手法は少し違いますが、お互いに認め合って切磋琢磨しているのが印象的です。

2013年に父の跡を継いで山形3区の支部長になり、2014年12月14日投開票の「第47回衆議院議員総選挙」で父を破った阿部寿一さんを僅差で下して初当選を飾りました。

その差はわずかに「1,488票」という結果でしたが、次に行われた2017年10月22日の「第48回衆議院議員総選挙」では約22,000票もの差をつけて再選を果たしています。

当選後は自民党女性局次長や環境大臣政務官、内閣府大臣政務官などを歴任し、2020年9月14日に自民党総裁に就任した菅義偉総裁の下で党副幹事長に起用されました。


これから先、加藤鮎子さんがどのような経歴を歩むのか気になるところですが、彼女の物語は始まったばかりで筋書きの無い可能性に満ちた将来が大きく広がっているはずです。

物語のエピローグが父に恥じない内容となるかどうか、これからの言動に注目したいですね。

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