『蜘蛛の糸』、『羅生門』など、国語の教科書にも作品が掲載されている文豪・芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)。
作品を学校で習ったことはあっても、作家本人の性格までは知らない人も多いでしょう。
35歳で自殺をしていることを考えると、知識人らしく深刻な苦悩を抱えていたとも考えられますよね。
今回は芥川の性格を物語るエピソードを見ていきながら、天才の素顔を探っていきましょう。
また、作品に見られる聖書の影響と、その魅力についても併せてご紹介します。
芥川龍之介のプロフィール
本名:芥川龍之介
生年月日:1892年3月1日
身長:不明
出身地:東京市京橋区入船町8丁目(現在の東京都中央区明石町)
最終学歴:東京帝国大学英文科(現在の東京大学)
芥川龍之介の性格は? エピソードからうかがえる素顔
芥川はどのような性格だったのでしょうか。
神経質で悲観的な思考の持ち主だったとも言われていますが、実際にあったエピソードも織り交ぜながら、彼の素顔を見ていきましょう。
現在の東京都中央区で、牛乳製造販売業を営む新原敏三の長男として生まれた芥川。
しかし生後7か月のとき、母であるフクが精神異常をきたしてからは、伯母のフキのもとで育てられます。
11歳の年にフクが亡くなってしまうと、フキの兄である芥川道章の養子となり、以降芥川家で育つのです。
精神に異常をきたした母の死は、その後の芥川の人生に暗い影を落としたのかもしれません。
しかし、芥川は現代人がイメージするほど暗い性格ではなかったようで、むしろ社交的で交友関係も幅広かったと言われています。
詩人の室生犀星は、芥川が亡くなる前日に訪ねてきたにもかかわらず、取材で上野にいたため会えず生涯そのことを悔やみました。
明るい性格だった彼の死は、友人や知人にとって意外な出来事だったようです。
自殺をほのめかす言動は度々あったようですが、誰からも本気とは思われなかったのかもしれませんね。
彼の作品についても、師匠である夏目漱石の『吾輩は猫である』にちなんだ『吾輩も犬である』はユーモラスですし、巧みな色彩表現で知られる『蜜柑』は後味の良い作品で暗くはありません。
漱石が絶賛した『鼻』は、24歳の若さで書いた傑作で、ユーモアにあふれています。
良き師匠、良き仲間に囲まれていた彼の作品には、未来に希望を感じていたように思えるものも多いのです。
自殺理由は、「ぼんやりとした不安」があったためと言われていますが、おそらく人間関係のトラブルだった可能性は低いでしょう。
芥川の大親友だったのが、「芥川賞」の名付け親である作家・菊池寛です。
2人は大阪毎日新聞社の専属作家としては同期で、一緒に長崎旅行をするなど、公私ともに交流がありました。
菊池にとって芥川は快活な人物だったそうで、その自殺にはかなりのショックを受けています。
内面に秘めた苦悩を抱え込んでしまった結果の悲劇的な死だったのかもしれません。
菊池を始め友人たちはきっと、真剣に悩みを打ち明けてほしかったはず。
しかし芥川としては、友人たちの前ではあくまで快活な人間でありたかったのかもしれません。
そのため悩みを打ち明けたところで、深刻に悩んでいるように見えなかった可能性もあります。
友人思いで生真面目な性格だったことは間違いないでしょう。
芥川は天才作家か
芥川は天才作家と呼ばれていますが、その最大の理由は何でしょう。
おそらく若くして頭角を現しただけではなく、早くに亡くなったことも大きいかもしれません。
東京帝国大学在学中から同人誌『新思潮』で文学活動を始め、20代前半で『鼻』や『芋粥』といった傑作を発表しています。
確かに天才的と言える活躍ですね。
しかし彼の作品はほとんどが短編ですので、長編を書く体力はなかったのかもしれません。
作家として円熟期を迎える前に、若くして亡くなっているからこそ、「早世の天才」的イメージが定着している印象もあります。
どちらかと言うと飛びぬけた「天才」ではなく、「知識人」と言った方が的確かもしれませんね。
芥川作品について、聖書の影響とその魅力
実は芥川の作品には、聖書の影響が大きいとされています。
切支丹物(きりしたんもの)と呼ばれる作品群は、いずれも聖書を題材としたもの。
芥川はキリシタンではありませんでしたが、聖書については熱心に読んでいました。
晩年には室賀文武(むろが ふみたけ)というキリスト教徒と交流し、救いを求めて夜通し語り合ったこともあるそうです。
しかしキリスト教からは救いを得られず、自殺を選んでしまいました。
芥川は奇跡を信じ切れず、あくまでキリストのことも人間として扱っていた印象があります。
その結果、神の教えから希望を得ることはできなかったのでしょう。
切支丹物の1つ、『西方の人』ではキリストに自身を投影させて、神の子ではなく人間としてのキリストを描きました。
人間の罪を背負って死んだキリストは、最後の瞬間に「神よ、なぜ私を見捨てたのですか」と叫んだとされています。
それについて芥川はキリストも「“人の子”に外ならなかつた」とつづりました。
神の救いは存在せず、あるのは人間の悲劇的な死だけだと考えていたのでしょう。
ついに希望を失った芥川。
『西方の人』は単にキリスト教関連の作品というだけではなく、1人の知識人の絶望していく様子と聖書に対するとらえ方をうかがえる点が魅力と言えます。
今回は芥川龍之介について見てきました。
近代を代表する一流の知識人だからこそ、キリストの物語を信じられなかったことも、彼の悲劇だったのでしょう。
あらゆることに疑念を感じてしまう神経質な面、友人思いの誠実すぎる面も、その悲劇を後押ししてしまったのかもしれませんね。
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