芥川也寸志の妻(草笛光子)との再婚と離婚。息子、娘たちの仕事&死因について

作曲家として日本音楽会に多大な貢献をした芥川也寸志(あくたがわ やすし)さん。
偉大すぎる父と比較され続けたことが反骨心となったのかもしれません。

芥川也寸志は芥川龍之介の息子

作曲家として映画音楽や童謡、校化やCMソングなど多岐に渡り活躍する芥川也寸志さん。
第1回の日本アカデミー賞では最優秀音楽賞と優秀音楽賞を受賞しています。


名作曲家と言っても過言ではない芥川也寸志さん。
父親は今もなお文芸界に強い影響を与えている文豪の芥川龍之介。

芥川龍之介の3男として誕生しますが、2歳の時に龍之介が自殺してしまいます。
親子共に過ごした時間は短かったですが、龍之介は也寸志さんの人生に大きな影響を与えています。

というのも也寸志さんは龍之介が遺したSPレコードの「火の鳥」や「ペトルーシュカ」などを愛聴していたそうです。
SPレコードを残していなかったら作曲家の道を歩んではいなかったかもしれません。

その後、東京音楽学校予科作曲部に進学した芥川也寸志さん。
当時の校長から呼び出しを受け

お前は最下位の成績で辛うじて受かったに過ぎない。大芸術家の倅として、恥ずかしく思え!

と叱責されたそうです。
偉大過ぎる父を持ってしまったが故の出来事ですね。

也寸志さんは龍之介に対して畏敬の念を持っていたそうですが、周囲から「芥川龍之介の三男」と見られることに嫌気がさしていたようです。
文学ではなく音楽に進んだのは父と比べられたくなかったからなのでしょうね。

芥川也寸志の元妻は草笛光子

最下位の成績で合格した東京音楽学校を首席で卒業した芥川也寸志さん。
きっと父の名に傷を付けまいと懸命に努力をしたのでしょう。

1948年に東京音楽学校で知り合った山田紗織さんと結婚します。
東京音楽学校で主席卒業という名誉だけでなく伴侶となる女性も手にしたんですね。

作曲部卒の也寸志さんに対して山田紗織さんは声楽科卒。
夫婦で音楽を楽しむ素敵な家庭を築いたかと思いきや芥川也寸志さんは

作曲家と声楽家は同じ家に住めない

として山田紗織さんに音楽活動を慎むことを望んだそうです。
このような態度が関係したのか二人の間には二女が誕生したものの1957年に離婚しています。

山田紗織さんとの離婚から3年後の1960年に女優の草笛光子さんと再婚。
ところが2年後にまたしても離婚してしまいます。
離婚の原因は芥川也寸志さんの連れ子と草笛光子さんの不仲と言われています。

2度の離婚を経験すれば結婚に懲りてしまう人が大半でしょう。
ですが也寸志さんは1970年に3度目の結婚をしています。

3度目の結婚相手に選んだのは作曲家でエレクトーン奏者の江川真澄さん。
エレクトーンの名手として知られた女性だったようです。

1970年に結婚した芥川也寸志さんと江川真澄さん。
その後、離婚したという情報はありませんでしたので夫婦仲は良好だったようですね。

芥川也寸志の子供たち

生涯で3度の結婚を経験している芥川也寸志さんには子供が3人います。
山田沙織さんとの間に生まれた娘が2人で3番目の妻である江川真澄さんとの間に生まれた息子が1人です。

長女の芥川麻実子さんは一時期は渡辺企画に所属しタレントとして活動していました。
現在はメディアコーディネーター、交通評論家として活動中。

2007年には東京都で初めで出来た道の駅「八王子滝山」の初代駅長に就任。
店舗の看板や職員の制服などについてアドバイスを行っていたそうです。


次女についての情報はありませんでしたので表に出るような仕事はしていない普通の一般人だと思われます。

長男の芥川貴之志さんはエディターやグラフィックデザイナー、スタイリストなどマルチに活躍中。
またクラシック・ナイキのコレクターとして知られており所有するスニーカーは約500足。
うち約150足はナイキ本社にあるアーカイブで保管されているそうです。

クラシック・ナイキに関してはナイキ社の関係者よりも詳しいと自負する芥川貴之志さん。
スニーカーの各メーカーのプロジェクトに参加しカラーの提案やオリジナルモデルの発表を行っています。

也寸志さんの子供で芥川龍之介の孫だけあってクリエイティブな仕事をしている方ばかりですね。

芥川也寸志の死因

1989年に国立がんセンターで亡くなった芥川也寸志さん。
死因は肺癌でした。

ブラームスの一番を聴かせてくれないか…あの曲の最後の音はどうなったかなあ

が最後の言葉だったそうです。
音楽家の芥川也寸志さんらしい最後の言葉です。

生前は音楽会に多大なる貢献をした芥川也寸志さん。
1990年4月にその功績を記念してサントリー音楽財団により「芥川作曲賞」が創設されました。
また、埼玉県北葛飾郡松伏町には作曲した「エローラ交響曲」から名前を取った「田園ホール・エローラ」が建設されています。


死して尚、今もなお多くの人々の心の中で生き続けています。
芥川作曲賞、田園ホール・エローラがある限り芥川也寸志さんの功績が忘れられることはないでしょう。

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コメント

  1. 芥川先生のことは、無知でしたが、ランチに誘われ、お昼から、ワイン😅が、強い思い出です。歴史をたどると、その時私が連れていた子供と、歳が近かったのですね。40年前の、貴重な、記憶です。芦屋ホールにて。