劇作家、俳優、演出家などとして「天才」とも言われてきた演劇人・芥正彦(あくた まさひこ)さん。
劇団ホモフィクタスを主宰し、舞踏家、詩人などの肩書も持った、多才な人であることがわかります。
しかしその活動以上に彼の名を知らしめているのは、作家・三島由紀夫と東大全共闘の討論会でしょう。
芥さんは三島と討論する際、赤ちゃんを抱っこして現れたことで知られています。
あの赤ちゃんは誰で、現在はどうしているのでしょうか。
今回は芥さんについて、天才と呼ばれるゆえん、三島由紀夫との討論の詳細、赤ちゃんの現在を見ていきましょう。
さらにインタビュー映像で必ず登場するアパートについて、内縁の妻で女優の中島葵とのエピソードもご紹介します。
芥正彦のプロフィール
本名:斎藤正彦
生年月日:1946年1月7日
身長:不明
出身地:東京都
最終学歴:東京大学文科III類
芥正彦は天才?
そもそも芥さんとは何者なのか、一言で説明するのは難しい存在です。
東京大学在学中は、劇団駒場でアングラ演劇を上演。
劇作家で詩人の寺山修司と演劇雑誌『地下演劇』を発行するなど、演劇活動に熱を入れていました。
さらに東大全共闘の中心メンバーとして、60年代に最盛期を迎えた学生闘争に参加しています。
芥:空間には時間もなければ関係もないわけですから、歪められるとかも…。だから、本来の形が出てきたということで、それをさっき彼は、自然に戻ったと、おそらく幼稚な言葉で言ったんじゃないかと思う。 pic.twitter.com/pAz8rZnasW
— 芥 正彦【公式】 (@masahikoakuta) October 23, 2020
前衛的な演劇活動で示した独特な雰囲気と、Twitterで積極的に行っている意見の発信。
その表現には難解なものが多いため、何を言いたいのか凡人には理解できそうもありませんね。
だからこそ芥さんは天才であるというイメージが強いのでしょう。
三島由紀夫との討論について
芥さんが一躍注目を浴びたのは、1969年5月13日に東京大学駒場キャンパスで行われた、作家・三島由紀夫と全共闘の討論会です。
2020年には討論の映像と関係者のインタビューを収録した、映画『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』も公開されています。
映画では芥さんも証言をしていますが、そもそも討論会とはどんなものだったのでしょうか。
三島は当時、保守的な知識人として知られていました。
それに対して全共闘の学生たちは、極端な革新的思想の持ち主で、伝統を重んじる三島とは相いれなかったはず。
実際、三島に殺意を抱いていた学生もいたようです。
大学の不正運営や学費値上げ反対などに抗議していた、当時の学生の過激さがうかがえますね。
そんな中、武力ではなく「言葉」で勝負をしようということで開かれたのがこの討論会です。
招きに応じた三島は、大勢の全共闘の学生の前で、マイクを手に主張をしつつもきちんと学生たちの反対意見にも耳を貸しています。
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— アップリンク渋谷 (@uplink_shibuya) November 15, 2020
討論会の様子を見ていると、SNSなどで反対意見を言う人を攻撃する風潮が高まっている現代、異なる立場の人同士が言葉で語り合うことの重要さを感じさせますね。
そんな中、全共闘のオーガナイザーだった芥さんは、赤ちゃんを抱いて三島の前に登場。
演劇人らしい、意表を突くパフォーマンスにも見えます。
『三島由紀夫vs東大全共闘』インタビューに答えていた人物の中では、全共闘のメンバーだった芥正彦氏のことが頭から離れない。下北や高円寺にいるバンドマンみたいな風体で 煙草を吸いながら 赤ちゃん(かわいすぎ)を抱いて三島と対峙。現在のお姿の鋭い視線も印象的。 pic.twitter.com/mkNK1be08Y
— Hatsue Tsuda 👭💬 (@ha2_a) March 25, 2020
芥さんが登場するや、話題は空間や観念の抽象的な話になり、やはり付いていくのに必死にならざるを得ません。
しかし言葉の力を感じさせる、貴重なイベントだったことは間違いないでしょう。
あの赤ちゃんの現在
芥さんが討論会に連れてきた、あの赤ちゃんは誰なのでしょうか。
当時、芥さんには妻と娘がいました。
妻は東京大学で美学を専攻していた藤森黎子(ふじもり れいこ)さんとわかっています。
1965年入学のため、現役で進学していたとすれば69年当時は既に社会人ですね。
東大卒業後は英語塾の経営や通訳をされていたようで、討論会当日も仕事で子守ができなかったそうです。
そこで夫である芥さんが長女を連れて、討論会に参加したということで、あの赤ちゃんは娘であることがわかりました。
娘さんが抱きかかえられながら登場している討論会の様子です。
動画中盤には、近年の芥さん本人も登場していますね。
さらに自身の証言によると、激しい舌戦が予想された三島との討論には、場の空気を和ませる存在が必要だったため赤ちゃんを連れてきたようです。
夫婦は同い年でしたが、芥さんは一浪しているので当時はまだ学生だったということのようです。
その後、何らかの原因で離婚していますが、討論会のドキュメンタリー映画公開の2020年に芥さんと娘は久しぶりの再会を果たしています。
映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が大反響のようですね。マスクをつけてどうぞ。くれぐれもコロナウイルスと芥正彦の毒気にはお気をつけください。
芥正彦、今も敵は変わっていないようです。抱っこされていた赤ちゃんと久々の再会。 pic.twitter.com/gNutoiD7UO
— 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) March 21, 2020
娘さんは一般の方で情報はわかりませんが、芥さんとの関係は現在、良好の様子ですね。
芥正彦のアパートはどこ?
芥さんのインタビュー映像を見ていると、必ず登場するのが独特な雰囲気の部屋。
木造らしき部屋と壁を埋め尽くす大量の本から漂う異様な空気は、印象に残りますね。
GWの昼間から三島由紀夫のドキュメント見てたら
元東大全共闘芥 正彦が出てきた。
自宅で取材を受けているのだが住んでいるアパートが凄すぎ!
生活感まるでない部屋に
学生時代から今も住んでる(50年以上だ!)
敷石が砕けているのは投石に使うため学生たちが砕いた
GWから良いもの見れたw pic.twitter.com/wFvPgsqsMj— トークラウンジ @哲学カフェ (@talkloungetalk) May 2, 2020
年季の入ったアパートのようですが、正確な場所はわかりませんでした。
ただ学生時代から50年以上も暮らしているようです。
ここまで長く暮らしているとなると、自身にとっては快適なのでしょう。
今後も一生離れることはなさそうですね。
芥正彦の内縁の妻・中島葵のこと
芥さんは離婚したのち、女優の中島葵さんを内縁の妻に迎えました。
共に「ホモフィクタスACT&AOI劇団」を主宰し、演劇活動に邁進しています。
中島さんは昭和の日本映画を代表する名優・森雅之さんと、元宝塚女優・梅香ふみ子さんの娘でした。
しかし両親の不倫関係で生まれた子供のため、不遇だったと言われています。
また1970年にドキュメンタリー映画監督・布川徹郎さんと結婚しますが、2年後に離婚。
それでも中島さんは、アングラ演劇や大島渚監督の代表作『愛のコリーダ』に出演するなど、精力的に活動しています。
インパクトの強く、グロテスクな芝居に出演することで、「薄幸の女性」というイメージが定着してしまうのを避けたかったのかもしれません。
芥さんと出会ってからは公私ともに生活が充実していたようですが、子宮がんの発覚で91年に45歳の若さで亡くなりました。
波乱万丈の悲劇的な人生のようですが、芥さんとの日々は幸せに過ごしていたようです。
芥さんも晩年の中島さんを献身的に支えて、その死後は『女優 中島葵』という本を編集しました。
ある人から芥正彦編『女優 中島葵』という本を頂いた。「愛」に貫かれた編集らしい。とても美しい本だ。ギリシア悲劇のような愛。崩れ落ちた神殿を乾いた風が吹きぬける。「太陽は刑罰として四十五億年、死のために身を焦がして来た。葵は恩寵として四十五年間、愛のために身を焦がしてきた。」
— 鈴木創士 (@sosodesumus) May 26, 2010
2人が過ごした期間は短くても、相思相愛の日々だったのでしょう。
今回は芥正彦さんについて見てきました。
その生涯そのものが刺激的な要素に満ちており、全共闘時代の熱い空気を感じさせるものでしたね。
ただ中島葵さんと過ごした日々には、つかの間の幸福を味わっていたのでしょう。
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コメント
> 芥さんが一躍注目を浴びたのは、1969年5月13日に東京大学安田講堂で行われた、作家・三島由紀夫と全共闘の討論会です。
と書いてありますが、討論会が行われた場所は「東京大学駒場キャンパス900番教室」です。安田講堂ではありません。
このような解説めいた記事を書くのなら、正確に解説して欲しいものですね。