童話作家として多くの名作を残し、今なお幅広い層のファンの心をつかんでいる宮沢賢治(みやざわ けんじ)。
創作の傍ら、農業指導を行っていたことでも知られています。
さらに鉱物マニアだったという情報もあるので、賢治の農業と鉱物に対する思いを見ていきましょう。
また米津玄師さんとの関係、音楽好きという一面、天才性を物語るエピソードも探っていきます。
宮沢賢治のプロフィール
本名:宮沢賢治(正字:宮澤)
生年月日:1896年8月27日
死没:1933年9月21日
身長:推定160cm
出身地:岩手県花巻市
最終学歴:盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)
宮沢賢治の農業と鉱物への愛
まずは賢治が農業と鉱物をどれ程愛していたのか見ていきましょう。
質屋の長男として生まれた賢治。
幼い頃は病弱で自然を相手に遊んでいたようです。
そのため、農業を生業としたいと考えるようになった土台は、この時期から形成されていたのでしょう。
盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)を卒業し、花巻農学校で教師を務めていたので、農業のプロだったことがわかります。
しかし賢治は、より実践的に農業で人々の役に立ちたいと考え学校を退職。
石鳥谷肥料相談所を開いて、農民のために肥料の相談をタダで行っていました。
作品の中にも農業への愛は反映されており、『あすこの田はねえ』という詩には農民への敬意と農業の楽しさが込められています。
本当の農業の勉強とは、学校で定められた時間に学ぶものではない。
つらい農作業を通して体で覚えていくものだ、という賢治の気持ちがうかがえる作品です。
教室ではなく畑で覚えるのが農業であるという思いを胸に、教職を辞したのでしょう。
鉱物については、11歳の頃に「石コ賢さん」というあだ名をつけられる程、幼い時期から愛着がありました。
作品にももちろん鉱物が数多く登場し、とくに童話『十力の金剛石』には金剛石、すなわちダイヤモンドが描かれます。
森の中に金剛石の雨が降るという幻想的で美しい物語です。
他にも『銀河鉄道の夜』には水晶、『貝の火』にはオパールが登場するなど、鉱物への愛が深かったことは明らかですね。
自然科学とポエジーが溶け合う、宮沢賢治の世界。鉱物、宇宙、地震、雲や雨……。賢治の文学を参照しながら、この地球で見られる自然現象に関して学んでいく本。柴山元彦『宮沢賢治の地学教室』(創元社) pic.twitter.com/8fRCeGIgst
— Title(タイトル) (@Title_books) November 24, 2017
文系の人は覚えるのが大変かもしれませんが、物語の世界観を深く楽しむために、鉱物図鑑など参照しながら読むと面白いですよ。
宮沢賢治と米津玄師の関係
次に宮沢賢治と、ミュージシャンの米津玄師さんとの関係について見ていきましょう。
米津さんは「カムパネルラ」という曲を発表しています。
この世から去って行った人たちのことを考えると、自身が生きていることへ背徳感を抱いたと語っています。
亡くなったすべての人への鎮魂の気持ちを『銀河鉄道の夜』のカムパネルラに託し、背徳感を浄化しようとしたのかもしれません。
静謐な雰囲気の中で、死という存在を恐ろしいものではなく、身近なものとして歌い上げる米津さん。
その作風は賢治と似通っているように感じられますね。
宮沢賢治は音楽好き?
次に賢治が音楽好きという情報を見ていきます。
『セロ弾きのゴーシュ』といった作品からわかる通り、賢治は自身もチェロを演奏する程の音楽好きでした。
22歳で西洋音楽の魅力に目覚め、楽団を率いて演奏会を行ってもいます。
『双子の星』に登場する「星めぐりの歌」は賢治が作詞のみならず、作曲を手掛けたことでも知られていますね。
また『銀河鉄道の夜』に登場するドヴォルザーク作曲、交響曲第9番『新世界より』は賢治自身が愛聴していました。
作中に登場する音楽を聴きながら、作品を読むと、よりキャラクターに感情移入ができるでしょう。
宮沢賢治の天才的エピソード
最後に賢治の天才性を物語るエピソードをご紹介します。
彼はいったん目標を定めたら頑として譲らない点も天才的と言えるでしょう。
生き物の命を大切にするため、今で言うベジタリアンとして生涯を送りました。
粗食を貫き、凍ったままのコメを食べる程、社会への奉仕精神を常に抱いていたそうです。
頑固一徹という面は、ゴッホを始め多くの天才に共通した一面ですね。
独自の静謐な世界を描き上げた賢治の内面には、誰にも揺さぶられない熱い情熱があったのです。
主義を実生活でも実践し、その価値観を独自の世界へ昇華させることができた天才は、文学史上賢治だけでしょう。
自然と命を思いやる、優しい人柄がうかがえましたね。
宮沢賢治の生涯と生い立ち。スパイだった? 教師の経歴について
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