宮沢賢治の性格エピソード。賢治流の生き方。イーハトーブの原点

岩手県花巻市の童話作家で詩人の宮沢賢治(みやざわ けんじ)。

生前は認められなかったにもかかわらず、現代ではその思想が多くのファンの心をつかんでいます。

今回は賢治がどんな性格だったのか分かるエピソード、多くの人を魅了する生き方、イーハトーブの原点についてご紹介します。

宮沢賢治のプロフィール

本名:宮沢賢治(正字:宮澤)

生年月日:1896年8月27日

死没:1933年9月21日

身長:推定160cm

出身地:岩手県花巻市

最終学歴:盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)

宮沢賢治の性格がわかるエピソード

まずは賢治の性格がわかるエピソードについてご紹介します。

農業指導を通して、民衆に奉仕する精神を貫いたことで知られていますが、幼い頃から正義感が強く心優しい性格でした。

小学校時代に、赤いシャツを着た同級生が「めかしこんでいる」と非難され、いじめに遭っていたそうです。


その時、賢治は自分も赤いシャツを着るから、自分をいじめるようにと言っていじめを仲裁しています。

さらに別の時には、いたずらをした側の子供のためにも尽くしています。

いたずらの罰として、水が満杯に入った茶碗を持たされていた生徒に対して、「大変だろう」と声をかけ、水を飲み干したそうです。

どんな生徒に対しても対等に接し、理不尽なことには抗議する、ヒーロー的な少年だったのでしょう。

しかし成人後には、別の顔も明らかになっていきます。

それは周りを顧みず、自分の主義が正しいと思い込む、頑固一徹な一面です。

日蓮宗にのめり込み、他の宗派の信者にも執拗に勧誘しています。

さらに実家の質屋という家業は、貧しい人から物を巻き上げる商売であり、奉仕精神に反するという理由から家を捨てます。

それでいて、音楽活動に明け暮れるための資金は実家持ちでした。

賢治を知る人々は、彼のことを相当な変わり者だと証言しています。

農業を学んだかと思えば音楽に明け暮れ、教師になったかと思えば退職し肥料相談所を開設するなど、傍から見ればやりたい放題。

一見、何をやりたいのかわからない人物だったのかもしれません。

しかし賢治は、自分の奉仕精神を活かせる生業を探し求め続けたのでしょう。

結果的には過労死に近い最期を遂げているため、活動は途中で終わってしまいます。

それでも何らかの形で民衆に奉仕し、同時に自己表現を通して自身の生きた証を残したかったのでしょう。

それを模索している矢先の死だったので、周囲からは理解されないままでした。

現代であれば自分探しの旅などが流行り、生き方も多様化していますから、賢治も理解者に恵まれていたのかもしれませんね。

宮沢賢治流の生き方とは

当時の人より、現代の人が惹かれているであろう、宮沢賢治流の生き方。

具体的にはどんな生き方なのでしょうか。

「農民芸術概論綱要」という文章の中で賢治は、世界全体が幸福にならなければ、個人も幸福になれないという主張を展開。

個人主義ではなく、世界に奉仕する精神を貫いた彼らしい意見です。

先述の通り、賢治は過労死に近い形で肺炎により亡くなります。

それは病気の体を酷使してまで、農民の肥料相談に応じていたためです。

まさに世界に奉仕し、みんなが幸福になれるよう、自己を犠牲にした生き方と言えます。

家を継がず、遊びほうけているように見える時期もありましたが、そんな中でも彼はどう世界に奉仕するか考えていたのでしょう。

彼の自己犠牲の精神は、作品にも表れています。

『銀河鉄道の夜』のカムパネルラは、川に溺れた少年を助けて命を落としますね。


世界のために尽くす精神を重視する生き方こそ、賢治流の生き方。

身勝手な人間が多くあふれる現代だからこそ、彼の生き方に救いを求めようとする人が後を絶たないのかもしれません。

イーハトーブとは。その原点

賢治が理想郷として創り上げた、イーハトーブ。

そもそもイーハトーブとは何なのか、その原点について探りましょう。

自身の故郷である岩手県をもじり、「イハテ」から「イーハトーブ」という響きが生まれたというのが語源についての定説です。

岩手県の響きにエスペラント語を組み合わせたという説もあります。

エスペラント語の専門家の藤本龍生さんは、卵を意味するオーヴォと組み合わせ、イーハトーブという語形になったと考えています。

いずれにせよ、賢治は岩手県をモデルに、1つの理想的な架空国家を夢想していたのでしょう。

単なるファンタジーではなく、自分が平和に奉仕することで、実際の岩手県に本物の理想郷を生み出そうとしたのかもしれません。

一時期は家を継がず、家出して上京を果たした賢治。

しかしその根底には、常に故郷で奉仕したい、故郷を理想郷にしたいという思いがあったのでしょう。


自分を育ててくれた故郷と土地への自然愛が、イーハトーブの原点と言えますね。

理解者の少ない変わり者だった彼は、誰にも想像もできないような、壮大な夢を抱いていたのでしょう。

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