『風の又三郎』などで知られる童話作家の宮沢賢治(みやざわ けんじ)。
岩手県花巻市ゆかりの作家ですが、生家は現存しているのでしょうか。
また家系図はどうなっているのか、父、家族、兄弟の情報をご紹介していきます。
宮沢賢治のプロフィール
本名:宮沢賢治(正字:宮澤)
生年月日:1896年8月27日
死没:1933年9月21日
身長:推定160cm
出身地:岩手県花巻市
最終学歴:盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)
宮沢賢治の生家
まず宮沢賢治の生家について見てみましょう。
賢治の生家は岩手県花巻市豊沢町にありましたが、当時の建物は第二次世界大戦の空襲により焼失しています。
そのため現在は新たに建て直された建物に賢治の親戚が住んでおり、当時の生家の跡地とわかる石塚が建っていることがわかりました。
さらにイーハトーブや銀河鉄道といった、代表作の世界観を表現したモニュメントも設置されています。
宮沢賢治の生家はマルカンビルの近くにある。#柳波東北湯治旅 pic.twitter.com/0uH5hAifPD
— 駆逐艦柳波♨️ (@YanaWaveInst) September 18, 2020
また生家跡地にある蔵は関連資料の展示や喫茶店として使用されており、そちらにもファンが訪れているということです。
宮沢賢治の家系図
次に賢治の家系図について見ていきましょう。
賢治は裕福な古着屋を営む宮澤政次郎とイチという両親の間に生まれました。
政次郎の両親は宮澤喜助と関キン、イチの両親は宮澤善治と橋本サメなので、両親ともに宮澤姓だったことになります。
賢治の詩集『春と修羅』に掲載されている「峠」という作品には、「叔父のこどもら」という言葉が登場。
この叔父とは、母の弟にあたる宮澤磯吉のことで、彼の住む釜石市を賢治が訪れた際に出会っています。
磯吉はタバコ屋を営み、のちに薬屋へ商売替えをしました。
彼は上京して慶応義塾に通っていたこともあるインテリで、豪放磊落な人柄でした。
金銭に執着せず損する気質だったものの、店の経営はうまくいっていたようです。
賢治も生活力のない人で、音楽などの芸術活動にお金をつぎ込んでしまう点など、磯吉に似ていたので仲良しでした。
度々釜石の磯吉を訪ね、ヴァイオリンを弾くなど楽しい時間を過ごしていたようです。
母方の実家も宮澤商店という豪商で、磯吉の兄である直治と恒治は家業を継ぎました。
家業を継がず、我が道を進んだ磯吉に、賢治は憧れのまなざしを向けていたのかもしれません。
宮沢賢治の父
次に賢治の父についてご紹介します。
賢治の父・政次郎は、質屋の経営者というだけでなく、地元の名士として知られました。
しかし賢治は父に反抗して、家業を継がず農業を学び、そして芸術活動に明け暮れるのです。
また賢治は日蓮宗を信奉していたのに対し、政次郎は浄土真宗信者でしたから、宗教上の議論でも激しく対立しました。
それでも賢治が上京して音楽を学び、観劇をするなど、芸術活動をする際の資金は政次郎が出してくれていたそうです。
対立することはあっても、自分の理想を追い求める息子を、愛していたことに変わりはないのでしょう。
門井慶喜さんの直木賞受賞作『銀河鉄道の父』は、政次郎の視点から複雑な親子関係を描いています。
2020年には舞台化もされるなど、この親子関係にはやはり感動する人が多いようです。
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賢治の行く末を案じながらも、その将来を応援し続けた、厳格で愛情深い父親だったのでしょう。
宮澤賢治の家族、兄弟について
最後に宮澤賢治の家族情報から、兄弟をメインに見ていきます。
兄や姉はおらず、賢治は長男でした。
下にはトシ、シゲ、クニという3人の妹がいます。
『永訣の朝』に、その臨終の様子が描かれたトシは有名ですね。
男の兄弟については、1人だけ清六という弟がいました。
宮澤清六さんは賢治より8つ下の1904年生まれで、2001年に97歳で亡くなっています。
賢治は死の間際、弟に自分の原稿を託しており、清六さんはその出版と保存に生涯をかけて取り組みました。
生前作品が売れなかった賢治の名作が日の目を見るには、弟の努力が不可欠だったということです。
政次郎と共に宮澤商会を開業し、自動車部品などを扱う商売に転業して、賢治が教員を退職してからの生活も支えています。
また『銀河鉄道の夜』の本文書き換え作業に参加するなど、校訂にも全力を注ぎました。
1987年には『兄のトランク』という、生前の賢治を描いたエッセイを発表。
まさに宮沢賢治という作家を売り出したスポンサー、プロデューサー的存在だったのでしょう。
今回は宮沢賢治と家族をご紹介しました。
偉大な作家の名前が後世に残ったのは、家族の愛情と支援のおかげだったのでしょう。
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