乙羽信子、義理の息子が夫との結婚を後押し。おしんの違和感。死因は甲状腺?

宝塚の娘役スターを経て、映画女優として活躍した乙羽信子(おとわ のぶこ)さん。

「清純派女優」として出発後、『裸の島』(1960年)をはじめ、夫である新藤兼人監督の作品に出演し演技派となりました。

今回は乙羽さんの息子、夫である新藤兼人監督について見ていきます。

また「おしん違和感」というキーワード、死因と「甲状腺」の関係についても確認します。

乙羽信子のプロフィール

愛称:オカジ

本名:新藤信子(旧姓:加治)

生年月日:1924年10月1日

死没:1994年12月22日

身長:159cm

出身地:鳥取県、大阪府

最終学歴:宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)

乙羽信子の家族と息子

乙羽信子さんは、日本の映画界で活躍した女優として知られています。

彼女の家族関係、特に息子について詳しく見ていきましょう。

新藤家の家族構成と息子

乙羽信子さんは、映画監督の新藤兼人さんと結婚し、新藤家の一員となりました。


二人の間には実子はいませんでしたが、新藤さんの前妻との間に生まれた息子、新藤次郎さんがいました。

新藤次郎さんは、乙羽信子さんにとって義理の息子にあたります。

彼は、父親である新藤兼人さんの仕事を継ぎ、映画界で活躍しています。

次郎さんは、父親の作品に携わることも多く、家族ぐるみで映画製作に関わっていたことがうかがえます。

乙羽さんと新藤さんの関係は、単なる夫婦関係を超えた深い絆で結ばれていたと言われています。

二人は映画製作を通じて、芸術的なパートナーシップも築いていました。

この関係性は、息子の次郎さんにも大きな影響を与えたと考えられます。

  • 乙羽信子さんには実子はいませんでしたが、義理の息子として新藤次郎さんがいました。
  • 新藤次郎さんは、父親の新藤兼人さんの仕事を継ぎ、映画界で活躍しています。
  • 新藤家は、家族ぐるみで映画製作に関わっていました。

新藤次郎さんは、父親の新藤兼人さんが亡くなった際に記者会見を行い、父親の最期の様子を語っています。

その中で、新藤兼人さんが亡くなる前日まで映画に関する寝言を言っていたというエピソードを紹介しました。

このエピソードからも、新藤家にとって映画が生活の中心にあったことがわかります。

乙羽信子さんと新藤兼人さんの墓は、京都の妙心寺の塔頭・衡梅院にあります。

墓石には「天」という文字が刻まれており、二人の強い絆を表現しています。


この墓には、新藤兼人さんも後に合葬されました。

新藤家の家族関係は、血縁だけでなく、芸術を通じた深い絆で結ばれていたと言えるでしょう。

乙羽信子さんは、義理の息子である新藤次郎さんとも、映画を通じて強いつながりを持っていたと考えられます。

乙羽さんの演技は、家族の経験や感情を反映していたとも言われています。

例えば、ある映画では、息子が脳腫瘍にかかっていることを知って愕然とする母親役を演じました。

このような役柄を通じて、乙羽さんは自身の家族への思いを表現していたのかもしれません。

新藤家の家族関係は、日本の映画界に大きな影響を与えました。

乙羽信子さん、新藤兼人さん、そして息子の新藤次郎さんは、それぞれの立場から日本映画の発展に貢献しました。

彼らの家族の物語は、芸術と家族の関係について考えさせられる興味深い例と言えるでしょう。

乙羽信子の夫は新藤兼人

乙羽さんの夫である新藤監督は、「リアリズム」を重視した作風で知られていました。

元々は松竹の脚本家で、『安城家の舞踏会』(1947年)をはじめ、多くのヒット作を手がけています。

しかし本当に好きな映画を撮るため、1950年に独立して「近代映画協会」を設立。

1951年、彼の自伝的映画『愛妻物語』を監督し、39歳で映画監督デビューしました。


妻に先立たれた体験を土台にした同作で、彼の妻にあたる女性を演じたのが、乙羽さんでした。

以降は『原爆の子』(1952年)や『裸の島』(1960年)など、国際的に評価された作品でタッグを組んでいます。

2人は愛し合うようになりますが、新藤監督には妻子がいたため、結婚に至ったのは彼の妻が亡くなってからでした。

しかも2人の結婚を後押ししたのは、先述した連れ子たちだったそうです。

こうして65歳の新藤監督と、53歳の乙羽さんは結ばれました。

数多くの新藤作品へ出演してきた乙羽さんの人柄に、子供たちも信頼を寄せていたのでしょう。

おしん違和感について

乙羽さんについて調べると、「おしん違和感」というキーワードが表示されます。

彼女は1983年、大ヒットしたNHK連続テレビ小説『おしん』で、おしんの晩年を演じました。

幼少期を小林綾子さん、青年期を田中裕子さんが演じ、結果的に3人の女優が1人のヒロインを演じたのです。

ただ視聴者の中には、田中さんから乙羽さんへキャスト変更された際、違和感を覚えた人も多いようでした。

純朴な田舎風の女性らしい田中さんに比べると、乙羽さんは洗練されすぎていたのかもしれません。

またおしんの初恋相手「浩太」を演じた渡瀬恒彦さんが、晩年の姿まで1人で演じたことも大きいようです。


男優は同じでありながら、女優はキャスティング変更されたこと自体に、違和感があるという人が多いのでしょう。

ただし乙羽さんは同作で、年齢を重ねてもなお、ヒロインの務めを十分果たせる力量を示しました。

同一人物を異なる女優が演じたことに賛否両論はありますが、乙羽さんが名女優であることは間違いないでしょう。

乙羽信子の死因は?甲状腺との関係

乙羽さんは1994年12月22日、肝臓がんが原因の肝硬変により、70歳で死去。

遺骨のうち半分は、『裸の島』のロケ地である広島県三原市宿祢島へ散骨されました。

乙羽さんの死因と「甲状腺」というキーワードが結びつきますが、とくに甲状腺の病気だったわけではないようです。

ただ同じ宝塚出身の、峰さを理(みね さをり)さんが、2021年に甲状腺がんで亡くなっています。

宝塚トップスター同士ということで、死因が何らかの拍子に結びついてしまったのかもしれませんね。


乙羽さんの夫である新藤監督は、2012年に老衰のため100歳で亡くなりました。

天国で再会した夫婦は、きっと映画の話を楽しんでいることでしょう。

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