宝塚の娘役スターを経て、映画女優として活躍した乙羽信子(おとわ のぶこ)さん。
「清純派女優」として出発後、『裸の島』(1960年)をはじめ、夫である新藤兼人監督の作品に出演し演技派となりました。
今回は乙羽さんの息子、夫である新藤兼人監督について見ていきます。
また「おしん違和感」というキーワード、死因と「甲状腺」の関係についても確認します。
乙羽信子のプロフィール
愛称:オカジ
本名:新藤信子(旧姓:加治)
生年月日:1924年10月1日
死没:1994年12月22日
身長:159cm
出身地:鳥取県、大阪府
最終学歴:宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)
乙羽信子の息子は連れ子
まず乙羽さんの息子についてです。
姫君から鬼婆まで地上のあらゆる女を演じた乙羽信子 pic.twitter.com/W6GvO8Wz14
— ヌーン・ムーン (@noonmoonpoem) January 19, 2020
乙羽さんが新藤監督と結婚したのは1978年で、53歳の時でした。
もはや出産は不可能な年齢だったため、彼女に実の息子はいません。
ただし新藤監督には、前妻との息子が3人いました。
乙羽さんにとって、義理の息子たちということですね。
3人のうち、次男の新藤次郎さんが、映画プロデューサーで「近代映画協会」の社長を務める映画人です。
さらに次郎さんの娘で、新藤監督の孫に当たるのが、映画監督の新藤風(しんどう かぜ)さん。
『LOVE/JUICE(ラブジュース)』(2000年)の製作で、ベルリン国際映画祭の新人賞に輝きました。
また祖父の作品『一枚のハガキ』(2011年)で監督補佐を務めるなど、祖父の現場で修業しています。
映画人が数多くいる家系であることがわかりましたね。
乙羽信子の夫は新藤兼人
乙羽さんの夫である新藤監督は、「リアリズム」を重視した作風で知られていました。
ほぼ生涯現役だった新藤兼人と先に逝った愛妻にして新藤映画の顔・乙羽信子。スター女優だった乙羽は『愛妻物語』を機に大映を離れ新藤のもとへ走った。そして乙羽最晩年期の名作『午後の遺言状』にて貫禄の演技を披露した乙羽&朝霧鏡子&杉村春子 pic.twitter.com/0UQeTlQiyf
— ヌーン・ムーン (@noonmoonpoem) September 21, 2020
元々は松竹の脚本家で、『安城家の舞踏会』(1947年)をはじめ、多くのヒット作を手がけています。
しかし本当に好きな映画を撮るため、1950年に独立して「近代映画協会」を設立。
1951年、彼の自伝的映画『愛妻物語』を監督し、39歳で映画監督デビューしました。
妻に先立たれた体験を土台にした同作で、彼の妻にあたる女性を演じたのが、乙羽さんでした。
以降は『原爆の子』(1952年)や『裸の島』(1960年)など、国際的に評価された作品でタッグを組んでいます。
2人は愛し合うようになりますが、新藤監督には妻子がいたため、結婚に至ったのは彼の妻が亡くなってからでした。
しかも2人の結婚を後押ししたのは、先述した連れ子たちだったそうです。
こうして65歳の新藤監督と、53歳の乙羽さんは結ばれました。
数多くの新藤作品へ出演してきた乙羽さんの人柄に、子供たちも信頼を寄せていたのでしょう。
おしん違和感について
乙羽さんについて調べると、「おしん違和感」というキーワードが表示されます。
彼女は1983年、大ヒットしたNHK連続テレビ小説『おしん』で、おしんの晩年を演じました。
幼少期を小林綾子さん、青年期を田中裕子さんが演じ、結果的に3人の女優が1人のヒロインを演じたのです。
ただ視聴者の中には、田中さんから乙羽さんへキャスト変更された際、違和感を覚えた人も多いようでした。
乙羽信子さんのおしんには、いまだに違和感がある。その原因として、田中裕子さんと容姿的に対照的なこともあるけど、東北人らしさが消えた。時代の激変に合わせる意味もあったのかもしれないけど、「おしん」としての同一性があまり感じられない。#おしんチャレンジ
— づ (@duruyu1) January 16, 2020
純朴な田舎風の女性らしい田中さんに比べると、乙羽さんは洗練されすぎていたのかもしれません。
またおしんの初恋相手「浩太」を演じた渡瀬恒彦さんが、晩年の姿まで1人で演じたことも大きいようです。
男優は同じでありながら、女優はキャスティング変更されたこと自体に、違和感があるという人が多いのでしょう。
#おしん
乙羽信子さんは1924年生まれ
渡瀬恒彦さんは1944年生まれ
実年齢は20歳と親子程も離れているのに、晩年のおしんと浩太を演じているのよね。
ちなみに放送当時はたぶん60手前と40手前くらい。
渡瀬さん頑張っているわぁ。— tOmO (@tOmOnekocame) June 20, 2019
ただし乙羽さんは同作で、年齢を重ねてもなお、ヒロインの務めを十分果たせる力量を示しました。
同一人物を異なる女優が演じたことに賛否両論はありますが、乙羽さんが名女優であることは間違いないでしょう。
乙羽信子の死因は?甲状腺との関係
乙羽さんは1994年12月22日、肝臓がんが原因の肝硬変により、70歳で死去。
遺骨のうち半分は、『裸の島』のロケ地である広島県三原市宿祢島へ散骨されました。
乙羽さんの死因と「甲状腺」というキーワードが結びつきますが、とくに甲状腺の病気だったわけではないようです。
ただ同じ宝塚出身の、峰さを理(みね さをり)さんが、2021年に甲状腺がんで亡くなっています。
宝塚トップスター同士ということで、死因が何らかの拍子に結びついてしまったのかもしれませんね。
乙羽さんの夫である新藤監督は、2012年に老衰のため100歳で亡くなりました。
天国で再会した夫婦は、きっと映画の話を楽しんでいることでしょう。
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