『たけくらべ』や『十三夜』で知られる文豪の樋口一葉。
わずか1年2か月の間に数々の名作を発表し、24歳の若さで亡くなったため、天才作家ともいわれています。
今回は一葉の死因である結核の詳細を見ていき、子孫と結婚、家系図について確認しましょう。
また彼女が、小説を執筆しながら暮らしていた家をご紹介します。
樋口一葉のプロフィール
本名:樋口奈津
生年月日:1872年5月2日(明治5年3月25日)
死没:1896年11月23日
身長:推定140cm前半
出身地:東京府(現在の東京都)
最終学歴:私立青海学校(せいかいがっこう)
樋口一葉の死因は結核
一葉の死因は、肺結核でした。
1872年の今日は日本の小説家、樋口一葉が生まれた日です。たけくらべ、にごりえなどの作品をわずか1年半の間に発表しましたが24歳で結核により亡くなりました。 pic.twitter.com/nXFJAv6LFx
— 愛書家日誌 (@aishokyo) May 1, 2017
肺結核は当時、治療法がない不治の病。
作曲家の滝廉太郎も、同じく肺結核により23歳で亡くなっています。
亡父の借金返済と、母と妹を養うため、女性ながら戸主として必死に働いた一葉。
原稿料の他、経営していた駄菓子店での売上や質屋で手に入れたお金で、なんとか暮らしていました。
身を粉にして働いた結果、無理がたたって死期を早めてしまったのかもしれません。
亡くなる直前まで、小説家として活躍した1年2か月は、「奇跡の14か月」と呼ばれました。
彼女の才能を高く評価していた森鴎外は、当代随一の医者である樫村清徳や青山胤通らを往診に向かわせたそうです。
しかし回復は絶望的で、一葉は24年の激しい生涯を終えます。
陸軍軍医でもあった鴎外は、正装して騎馬に乗り、彼女の葬儀へ参列しようとしました。
仰々しい参列の打診を、遺族は丁重に断りますが、鴎外が一葉にどれだけ敬意を表していたかがうかがえますね。
名だたる文豪から評価された、早世の惜しまれる作家でした。
樋口一葉の子孫は?
若くして亡くなった一葉に、子供はいませんでした。
したがって直系の子孫はいませんが、妹くにが子孫を残しています。
婿養子の吉江政次との間に子供をもうけ、子孫たちは一葉作品の整理と出版に従事したそうです。
また一葉の甥である樋口悦は、会社員をしながら作品の保存に努めました。
一葉は子供を残しませんでしたが、樋口家の血は絶えることなく、脈々と続いているようですね。
樋口一葉は結婚している?
子供のいなかった一葉には、結婚歴もありませんでした。
しかし結婚の機会は何度かあったそうです。
もともと彼女は、許嫁の渋谷三郎と結婚予定でした。
渋谷は東京専門学校(現在の早稲田大学)で、官僚を目指し勉強に励んでいたそうです。
しかし一葉の父の死後、渋谷は樋口家に学費と生活費の援助を求めた結果、一葉の母の怒りを買い破談になったとされています。
またかつて一葉の父の上司が、夏目漱石の父だったため、一葉と漱石の兄・大助との縁談が持ち上がったことがありました。
しかしこの時は、樋口家側が何度も借金を申し込んだ結果、破談になってしまったそうです。
もし結婚が実現していれば、一葉は夏目漱石の家系図に入っていたことになります。
ただ家庭に入ってしまえば、文学の勉強や執筆に費やす時間がなく、文豪「樋口一葉」は誕生していなかったかもしれませんね。
樋口一葉の家系図
一葉の家系図を見ていきましょう。
樋口家は山梨県甲州市塩山の長百姓にまでさかのぼります。
一葉の祖父だった八左衛門は、学問好きで俳諧や狂歌に造詣が深かったそうです。
彼女は代表作『にごりえ』に、教養と反骨精神を備えた八左衛門をモデルに、主人公の祖父を描きました。
父の則義も学問好きで、農業より勉強に情熱を注いでいたようです。
妻の多喜とは結婚を許されず、駆け落ちして江戸に出ます。
1867年(慶応3年)、則義は幕府直参、明治維新後は下級役人となり士族の身分を手に入れました。
しかし1876年(明治9年)に東京府庁を免職となります。
以降は闇金融や不動産売買などを行い、生計を立てました。
一葉の兄は、泉太郎と虎之助の2人でした。
しかし泉太郎は肺結核で早世、虎之助は陶器絵付師に弟子入りするため勘当されています。
結果的に父の死後は、一葉が戸主となり、母の多喜と妹のくにを養うのです。
樋口一葉の家は東京都文京区
一葉は父の死後、戸主として針仕事に励み、家計を支えています。
彼女が苦労しながら暮らしていた家は、東京都文京区にありました。
24歳で亡くなるまで、10年間を過ごした家は、今は旧居跡として公開されています。
2020年 東京都文京区 樋口一葉旧居跡
小説家・歌人として明治時代に活躍した樋口一葉。24歳で死去するまでの約10年を文京区で過ごし、貧しい生活の傍ら執筆活動を続けた。現在も付近には当時の雰囲気を伝える建物と井戸が残る。
4枚目は有名な鳳明館・本館。明治期の木造建築で国登録有形文化財。 pic.twitter.com/puaqANE1BG
— 武田菱 (@takedabishi8) May 25, 2020
本郷の菊坂から、裏道を通って辿り着くのが、中庭のような路地。
路地の一角に、かつて一葉が小説を書き、生涯を終えた家があったのです。
奥へ進むと古い掘抜き井戸が残されており、今でも近隣の人が使用しているといいます。
菊坂裏の路地。
樋口一葉旧居跡の路地。その二
奥の井戸さらに階段。#東京夜散歩 #本郷菊坂 #路地 #階段 #井戸 #樋口一葉 pic.twitter.com/eaqrxDVwm3— KazMiyamo (@KazMiyamo) August 24, 2020
文学ファンであれば一度は訪れて、一葉の息吹を感じてみるのがおすすめです。
わずか24年の生涯で、数々の名作を世に送り出し、家族を支えた一葉。
彼女の生涯に思いを馳せながら、家の跡地を訪れるのは、貴重なひと時になるでしょう。
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