広岡浅子、子孫の現在。実際の姉は異母。娘と夫、家系図まとめ

朝の連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインのモデル、広岡浅子(ひろおか あさこ)。

日本女子大学設立に貢献した教育者であると同時に、大同生命創業に関わった実業家でした。

今回は浅子について、子孫の現在と、姉、娘、夫の詳細を見ていき、家系図をまとめます。

広岡浅子のプロフィール

本名:広岡浅子

生年月日:1849年10月18日(嘉永2年9月3日)

死没:1919年1月14日

身長:不明

出身地:山城国京都(現在の京都府京都市)

広岡浅子、子孫の現在

まず浅子の子孫についてです。

浅子は17歳で、豪商加島屋の次男・広岡信五郎と結婚しました。


しかしなかなか子宝に恵まれず、結婚からおよそ10年目にようやく一人娘の亀子を出産します。

『あさが来た』では小芝風花さんが、亀子をモデルとした千代を演じましたね。

難産だったということや、加島屋の経営に忙しかったこともあり、それ以上の子供は諦めました。

亀子は女学校を卒業後、婿養子を迎えて加島屋の事業を続けます。

婿養子の一柳恵三は東京帝国大学を卒業し、三井住友銀行に勤めるエリートでした。

加島屋の事業を引き継いだ恵三は、加島銀行頭取、さらに大同生命の社長となりました。

亀子と恵三は1男4女をもうけ、長男の喜一は大同生命の取締役となっています。

また長女の神田多恵子さんは、聖書学者で国際基督教大学の教授だった神田盾夫(かんだ たてお)さんと結婚。

女性で唯一の「関東地方更生保護委員会委員」を務め、社会貢献活動に励みました。

さらに浅子のひ孫にあたるのが、広岡和治(ひろおか まさはる)さん。

神奈川県に在住し、『あさが来た』放送時は取材に応えています。

浅子は1人しか子宝に恵まれませんでしたが、現在まで子孫たちが各分野で活躍していたことがわかりましたね。

実際の姉は異母姉・春

『あさが来た』では、浅子をモデルとしたヒロインあさの姉・はつが登場しました。

宮崎あおいさんが演じた、可憐なはつの姿を覚えている人も多いでしょう。

実際の浅子には、2歳年上の異母姉・春がいました。

父・三井高益(みつい たかます)には、本妻の他に側室がおり、春は側室の子だったのです。

春は幼くして、義兄・高喜に養子へ出されます。

一方で、父は浅子の母親を正妻として扱い、浅子のこともかわいがりました。

姉妹は同時期に大坂の豪商へ嫁入りしたため、共に高瀬川を下って嫁ぎ先へ向かったそうです。

これが姉妹の数少ない接点だったとされています。

しかし明治に入ると、春が嫁いだ天王寺屋は廃業。

嫁ぎ先の没落から間もなく、春は失意の中、わずか27歳で亡くなります。

家の事情で養子に出され、政略結婚させられた姉の生涯は、浅子の胸に刻まれたはず。

浅子は、世の女性が春のように不遇な人生を歩まないよう、自立した女性を育成するため尽力したのでしょう。

娘は大同生命トップの妻

浅子の娘は、先述の通り亀子という女性でした。

1876年(明治9年)10月に生まれ、京都府高等女学校を卒業。

1901年(明治34年)、一柳恵三と結婚し、共に加島屋を存続させます。

亀子は大同生命のトップに君臨した夫を、長きにわたって支え続けました。

夫の死から20年後の1973年、97年の生涯を終えます。

亀子は母の事業を継いだ夫を支えることで、母の志に報いようとしたのでしょう。

夫は豪商の次男

浅子の夫である、大坂の豪商加島屋の次男・広岡信五郎。

『あさが来た』では白岡新次郎として登場し、玉木宏さんが演じました。

9代目当主の弟・広岡久右衛門正秋と共に加島屋の事業に関わり、大阪株式取引所(現在の大阪取引所)の取締役になりました。

現在の繊維メーカー「ユニチカ」の社長にも就任しており、数々の事業で重要な役割を果たした人物です。

広岡浅子の家系図まとめ

浅子は山城国京都(現在の京都府京都市)の、小石川三井家6代当主である三井高益の四女です。

豪商加島屋の広岡久右衛門正饒(まさあつ)の次男・信五郎と結婚し、一女亀子をもうけました。

亀子は夫の広岡恵三と共に加島家を盛り立て、子孫を残します。


加島銀行と大同生命を発展させてきた広岡家。

実業家としての浅子の才覚が、今日まで脈々と受け継がれていることがわかりましたね。

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