津田梅子の夫、結婚について。子供は養子、子孫に写真家。家系図まとめ

津田塾大学の創立者として有名な津田梅子(つだ うめこ)。

日本における女子教育の先駆者ですが、私生活や家族についてはあまり知られていないようです。

今回は梅子について、夫と結婚の詳細、子供と子孫の情報を見ていき、家系図をまとめましょう。

津田梅子のプロフィール

本名:津田梅子(幼名:うめ)

生年月日:1864年12月31日(元治元年12月3日)

死没:1929年8月16日

身長:不明

出身地:江戸牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)

最終学歴:ブリンマー大学

津田梅子に夫はなく結婚歴もない

津田梅子は、日本の女子教育の先駆者として知られる人物です。

彼女の生涯と結婚に対する考え方は、多くの人々の関心を集めています。

ここでは、津田梅子が生涯独身を貫いた理由と、彼女の家族観について詳しく見ていきましょう。

津田梅子が夫を持たなかった背景

津田梅子は、生涯を通じて結婚することなく、独身を貫きました。


この選択には、彼女の人生経験や価値観が大きく影響していたと考えられます。

梅子は幼少期にアメリカに留学し、そこで10年間の生活を送りました。

この経験が、彼女の価値観や人生観に大きな影響を与えたことは間違いありません。

アメリカでの生活を通じて、梅子は当時の日本社会とは異なる女性の生き方を目の当たりにしたのです。

帰国後、梅子は日本の伝統的な結婚観に違和感を覚えたと言われています。

当時の日本では、18歳頃までに結婚するのが一般的でした。

しかし、梅子はこのような慣習に疑問を感じ、自身の人生の選択肢を広げようとしたのです。

梅子は、伊藤博文の家に寄寓した経験から、当時の政治家たちの女性に対する態度に失望したとも言われています。


この経験が、彼女の男性不信や結婚に対する消極的な態度につながった可能性があります。

梅子は、自身の使命である女子教育の推進に全力を注ぐことを選びました。

結婚よりも、自身の理想を追求することを優先したのです。

彼女は、「二度と結婚の話はしないでください。話を聞くだけでもうんざりです」と周囲に伝えたとされています。

この言葉からも、梅子の結婚に対する強い拒否感がうかがえます。

梅子の生涯独身の選択は、当時の社会規範に挑戦するものでもありました。

彼女は、女性が結婚以外の道を選ぶことができることを、自身の生き方で示したのです。

この選択は、後の世代の女性たちに大きな影響を与えることとなりました。

梅子は、結婚や出産に縛られない女性の生き方を体現し、新しい時代の先駆者となったのです。


しかし、梅子が家族の重要性を否定していたわけではありません。

彼女は、自身の理想を継承する人物として、甥の津田眞を養子に迎えています。

この選択は、梅子が血縁にとらわれない家族観を持っていたことを示しています。

津田眞は、梅子の教育理念を受け継ぎ、彼女の遺志を後世に伝える役割を果たしました。

このように、梅子は結婚という形にとらわれず、自身の理想を実現する方法を選んだのです。

彼女の生き方は、当時の社会に大きな衝撃を与えると同時に、多くの女性たちに新たな可能性を示しました。

梅子の選択は、女性が自身の人生を自由に選択できる社会への第一歩となったと言えるでしょう。

現代の視点から見ても、梅子の生き方には学ぶべき点が多くあります。

彼女の勇気ある選択は、今なお多くの人々に影響を与え続けているのです。

実の子供はいないが養子あり

梅子に結婚歴はなく、子供もいませんでした。

ただし晩年、甥である津田眞を養子に迎えています。

年齢を重ね、体力的にも気力的にも、支えてくれる人が必要だったのでしょう。

さらに眞の娘あい子は、西郷隆盛のひ孫である西郷隆晄と結婚。

梅子直系の子孫はいないものの、津田家の偉大な家系図は脈々と続いているのです。

津田梅子の子孫

梅子のひ孫にあたるのが、写真家の津田直さん。

1976年に神戸にて、西郷隆盛のひ孫である隆晄の次男として生まれます。

母方の祖父である津田眞と養子縁組することで、2000年に津田家の当主を継ぎました。

幼名は西郷隆直でしたが、今では梅子の子孫として津田直を名乗っています。


さらに1948年生まれのフィリピン研究者である津田守さんは、梅子の又甥です。

1970年代、単身フィリピンへ向かい、フィリピン国立大学大学院で修士号を取得しています。

現地の人々と交流し、書籍だけでなく実地でフィリピン研究を重ねてきました。

グローバルで行動的な研究者気質ですね。

その点は、梅子に通じるものがあります。

津田梅子の家系図まとめ

梅子の家系図をひも解くと、彼女が名家の出身であることがよくわかります。

そもそも津田家は、桓武平氏である織田家の流れを継いでいます。

つまり梅子は、織田信長と同族にあたるのです。

梅子の父である津田仙は、偉大なクリスチャンで、青山学院大学の創立者でした。

同志社大学を創立した新島襄、東京大学教授の文学者中村正直と、「キリスト教界の三傑」と並び称されています。

また梅子の伯母である竹子は、徳川宗家の16代当主徳川家達(いえさと)の生母です。

津田家の人々の多くは、激動の歴史の中で華々しく活躍したといえます。


日本の女子教育に心血を注いだ梅子。

彼女の熱い志と輝かしい生涯は、グローバルに活躍しようと勉強に励む現代女性たちを、力強く後押ししてくれることでしょう。

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