津田梅子の夫、結婚について。子供は養子、子孫に写真家。家系図まとめ

津田塾大学の創立者として有名な津田梅子(つだ うめこ)。

日本における女子教育の先駆者ですが、私生活や家族についてはあまり知られていないようです。

今回は梅子について、夫と結婚の詳細、子供と子孫の情報を見ていき、家系図をまとめましょう。

津田梅子のプロフィール

本名:津田梅子(幼名:うめ)

生年月日:1864年12月31日(元治元年12月3日)

死没:1929年8月16日

身長:不明

出身地:江戸牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)

最終学歴:ブリンマー大学

津田梅子の夫

まず梅子の夫についてです。

学問を修め、社会で活躍する道を選んだ梅子は、生涯独身を貫きました。


しかし一度も男性を愛さなかったわけではないようです。

もしかしたら、結ばれていたかもしれない相手とされているのが、のちに初代総理大臣となる伊藤博文。

梅子はアメリカ留学の際、岩倉使節団に同行しています。

博文は岩倉使節団のメンバーの1人でした。

未知の国アメリカで、若き梅子と博文は、共に苦労を乗り越えながら夢に向かって前進したのかもしれません。

帰国したのち、2人はパーティーで再会。

距離が縮まった結果、梅子は博文の通訳となり、彼の邸宅に住み込みました。

博文は彼女に、英語教師の職を紹介するなど、献身的にサポートしたといいます。

縁談をすすめられる度に断っていた梅子は、もしかすると博文に淡い恋心を抱いていたのかもしれません。

津田梅子の結婚について

1871年(明治4年)、女子初の留学生となった梅子は、アメリカへ渡ります。

そして11年後、私立女学校アーチャー・インスティチュートを卒業して帰国。

帰国後は、学習院女子部から独立した華族女学校で、英語教師となりました。

3年ほどの教員期間に、彼女は何度か縁談をすすめられています。

しかし梅子は、押し付けられた相手と結ばれ、従い続けるだけの人生を嫌がりました。

ついに「結婚の話は二度としないでください。もううんざり」と、手紙に書いたそうです。

女性の教育が進んでいるアメリカで過ごした彼女は、日本の古い結婚制度に嫌気がさしていたのでしょう。

そして生涯独身を決意し、1888年(明治21年)、生物学を学ぶため再びアメリカへ留学するのです。

結婚歴と子供

梅子に結婚歴はなく、子供もいませんでした。

ただし晩年、甥である津田眞を養子に迎えています。

年齢を重ね、体力的にも気力的にも、支えてくれる人が必要だったのでしょう。

さらに眞の娘あい子は、西郷隆盛のひ孫である西郷隆晄と結婚。

梅子直系の子孫はいないものの、津田家の偉大な家系図は脈々と続いているのです。

津田梅子の子孫

梅子のひ孫にあたるのが、写真家の津田直さん。

1976年に神戸にて、西郷隆盛のひ孫である隆晄の次男として生まれます。

母方の祖父である津田眞と養子縁組することで、2000年に津田家の当主を継ぎました。


幼名は西郷隆直でしたが、今では梅子の子孫として津田直を名乗っています。

さらに1948年生まれのフィリピン研究者である津田守さんは、梅子の又甥です。

1970年代、単身フィリピンへ向かい、フィリピン国立大学大学院で修士号を取得しています。

現地の人々と交流し、書籍だけでなく実地でフィリピン研究を重ねてきました。

グローバルで行動的な研究者気質は、梅子に通じるものがありますね。

津田梅子の家系図まとめ

梅子の家系図をひも解くと、彼女が名家の出身であることがよくわかります。

そもそも津田家は、桓武平氏である織田家の流れを継いでいます。

つまり梅子は、織田信長と同族にあたるのです。

梅子の父である津田仙は、偉大なクリスチャンで、青山学院大学の創立者でした。

同志社大学を創立した新島襄、東京大学教授の文学者中村正直と、「キリスト教界の三傑」と並び称されています。

また梅子の伯母である竹子は、徳川宗家の16代当主徳川家達(いえさと)の生母です。


津田家の人々の多くは、激動の歴史の中で華々しく活躍したといえます。

日本の女子教育に心血を注いだ梅子。

彼女の熱い志と輝かしい生涯は、グローバルに活躍しようと勉強に励む現代女性たちを、力強く後押ししてくれることでしょう。

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