柳原白蓮の子孫と配偶者。母、兄と家系図まとめ。里子に出された生い立ち

「白蓮事件」で知られる歌人・柳原白蓮(やなぎわら びゃくれん)。

NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』では「葉山蓮子」として登場し、話題となりました。

今回は白蓮の家族と生涯を詳しく見ていきましょう。

子孫、配偶者、母と兄を家系図から確認し、白蓮の生い立ちをまとめます。

柳原白蓮のプロフィール

本名:宮崎燁子(みやざき あきこ)

生年月日:1885年10月15日

死没:1967年2月22日

身長:推定148cm

出身地:東京都

最終学歴:東洋英和女学校(現在の東洋英和女学院高等部)

柳原白蓮の子孫

まず白蓮の子孫を確認します。

白蓮には3人の子供がいました。

小説家・歌人として活動した北小路功光(きたこうじ いさみつ)は、白蓮と子爵・北小路資武(きたこうじ すけたけ)の息子です。


5歳の時に両親が離婚すると、祖母の久子に育てられました。

東京帝国大学文学部(現在の東京大学)を中退後は、小説をはじめ文筆業やシドニー大学での講師業として活動。

1964年には『ミクロコスモス』で文藝賞佳作に入選しました。

母・白蓮への愛憎をテーマとした歌集『説庵歌帖』も発表しています。

白蓮は離婚後、3人目の夫・宮崎龍介との間に、1男1女をもうけました。

長男の宮崎香織さんは早稲田在学中に学徒出陣し、鹿児島県串木野市の陸軍基地に赴任。

終戦の4日前に、基地が爆撃を受けて、香織さんも戦死します。

白蓮は息子の死を知り、ショックのあまり髪の毛が真っ白になってしまったそうです。

長女の宮崎蕗苳(みやざき ふき)さんは、光塩高等女学校卒業後、短歌結社「ことたま」と「滔天会」を主宰しました。

母の評伝『娘が語る白蓮』の執筆や、宮崎家に関する資料の保存と継承に尽力します。

さらに婿を取って、長男・宮崎黄石さんを産み、宮崎家を存続させました。

息子を失った白蓮にとって、長女と孫の存在は、生きる希望になったことでしょう。

柳原白蓮の配偶者

白蓮には3度の結婚歴があります。

1度目の結婚相手は、彼女の養子先である北小路家の子爵・資武。

1900年(明治33年)、経済的に苦しかった北小路家で、質素な結婚式を挙げます。

しかし嫉妬深く暴力的な彼と強制的に結婚させられ、15歳で子供を産んだ白蓮は、自身の境遇に嫌気がさしていました。


その後、子供は北小路家に残すという条件で、20歳の時に離婚します。

2度目の結婚相手は、1910年(明治43年)に見合いした九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門。

翌年に帝国ホテルで盛大な結婚式が催され、話題となりました。

伝右衛門には派手な女性遍歴があり、家は妾の立場にある女中頭のサキが取り仕切っていたそうです。

白蓮とサキは激しく対立し、さらに遊郭通いによる病気を夫からうつされたことで、鬱々とした結婚生活を送ります。

短歌を救いとしながら暗い生活を送っていたある時、雑誌「解放」の編集者・宮崎龍介と出会いました。

熱心な社会活動家の宮崎は、彼女がこれまで出会ったことのない魅力的な男性で、2人は文通を交わします。

そして1921年(大正10年)、白蓮は彼の子を身ごもりました。

宮崎は友人の早川二郎や赤松克麿に協力を得て、出奔の計画を立てます。

同年10月20日、白蓮は滞在先の東京から出奔し、宮崎と駆け落ちを決行。

新聞紙上では彼女から伝右衛門への絶縁状が公開され、スクープ合戦が起こりました。

有名な「白蓮事件」です。

白蓮は離婚後、長男の香織と一緒に宮崎家へ入り、以降は「柳原白蓮」の筆名で歌人として活動するのです。

柳原白蓮と本物の母

白蓮の両親は柳原前光(やなぎわら さきみつ)伯爵と、彼の妾で柳橋の芸妓だった奥津りょうです。

白蓮は生後間もなく、前光の正妻・初子の次女として扱われました。

りょうは娘が3歳の時に病死しています。

白蓮は最初の夫である資武から、「お前は妾の子だ」と罵倒された時、初めて本物の母を知ったそうです。

ショックを受けながら、乱暴な夫と過ごした結婚生活は、つらく苦しい日々だったことでしょう。

柳原白蓮の兄

白蓮の兄は、伯爵で貴族院議員の柳原義光(やなぎわら よしみつ)です。

柳原前光と正室・初子の子供のため、白蓮の異母兄にあたります。

異母妹の出奔事件「白蓮事件」の責任を取り、貴族院議員を辞職。

以降は大正生命保険の社長になりましたが、負債により本邸を売却しています。

暴言や問題発言が多く、スキャンダルに事欠かない人物で、当然白蓮とは不仲でした。

しかし後年に絶縁状態だった妹と和解しており、紳士然とした対応もできる兄だったようです。

柳原白蓮の家系図まとめ

以上で見てきた通り、白蓮は妾の娘でした。

妾のりょうは、幕臣・新見正興の娘で、明治維新後はいわば没落士族となりました。

しかし父方の柳原家は、天皇家ともつながりがある裕福な一族でした。

白蓮の叔母・愛子は、天皇家の典侍であり、大正天皇の生母です。

つまり白蓮は大正天皇の従妹にあたります。

名家と天皇家が複雑に入り混じる家系図といえますね。

里子に出された生い立ち

妾の子供として生まれた白蓮は、父の正妻・初子を母と定められたのち、品川の種物問屋へ里子に出されます。

里親家族は深い愛情を注いでくれたため、比較的幸福な日々を過ごしたようです。

6歳で柳原家に戻り、初子から華族の教育を厳しくしつけられます。

1894年(明治27年)、9歳で遠縁の子爵・北小路隨光(きたこうじ よりみつ)の養女になりました。

跡取りの資武と結婚させる条件での養子縁組でした。

養父から和歌の手ほどきを受け、13歳で華族女学校(現在の学習院女子中等科)に入学。

向学心が高かったものの、資武と結婚させられ、退学せざるを得ませんでした。

暴力的な夫におびえ、学問の志も絶たれた彼女の絶望は計り知れなかったでしょう。


のちに23歳で東洋英和女学校(現在の東洋英和女学院高等部)に編入したことから、学問を諦めなかったことがうかがえますね。

白蓮の壮絶な生い立ちと波乱万丈な人生。

今後も小説やドラマで、彼女の数奇な人生が描かれ続けることでしょう。

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