『北の国から』や『やすらぎの郷』で知られる名脚本家の倉本聰(くらもと そう)さん。
2023年で89歳になりますが、最近はどのように過ごしているのでしょう。
今回は倉本さんの現在(2023)と、家族情報を確認します。
孫、息子の詳細、東京大学出身の父と兄の情報を見ていきましょう。
倉本聰のプロフィール
本名:山谷馨(やまや かおる)
生年月日:1934年12月31日
身長:不明
出身地:東京都渋谷区
最終学歴:東京大学文学部美学科
倉本聰の現在
倉本さんの現在について見ていきます。
北海道民の倉本さんは、2020年12月末、コロナ流行により北海道の医療体制がひっ迫していると訴えました。
その上で、北海道の医療従事者を応援するプロジェクト「結(ゆい)」を立ち上げます。
発起人は倉本さんの他、日本ハムの栗山英樹監督、歌手の中島みゆきさん、スキーヤーの三浦雄一郎さんらです。
2021年1月15日から募金活動を開始し、3月までに1,400万円以上が集まりました。
寄付金は北海道病院協会から道内の医療従事者に届けるそうです。
加えて、医療従事者に向けられた差別行為への啓蒙活動を展開しようと計画しています。
また2021年4月2日には、3月24日に亡くなった田中邦衛さんについてコメントを発表。
『北の国から』の黒板五郎として知られた田中さんについて、「役にぴったりだった」と振り返りました。
香りの博物館の倉本聰展で黒板五郎ストラップを買ってしまうくらいには北の国からが好きでした。シナリオ本も持ってたなぁ。他の作品含め、姿が焼き付いている俳優さんでした。合掌。 pic.twitter.com/b8oXJ7N7nW
— ma (@mrks1710) April 2, 2021
長年タッグを組んだ彼の訃報に接し、「今も一緒に生きている気がします」と語っています。
交流を深めた人々が年々この世を去り、倉本さんは寂しい思いをしているかもしれません。
倉本聰の孫
倉本さん自身の孫について、情報はありません。
ただし倉本さんの姉の孫が、かつてストーカー事件に巻き込まれ、命を落としたことがわかっています。
子役出身だった鈴木沙彩さんは女優を目指して活動し、ブログで「大伯父さんは倉本聰」と書き込んでいました。
倉本さんは芸能プロダクションを慎重に選ぶよう彼女へ助言していたそうです。
しかし2013年、交際相手の男性により自宅で殺害され、18歳で亡くなります。
被告は13年10月8日、三鷹市内の女子生徒宅に侵入。生徒の部屋のクローゼットに隠れて帰宅を待ち伏せし、ナイフで刺して殺害。さらに、交際中の写真をインターネットに流出させた
倉本さんは事件後に彼女の自宅を訪ね、報道陣からの質問に「勘弁してください」と発言しました。
女優志望の彼女を襲った突然の悲劇に、倉本さんも大きな衝撃を受けたに違いありません。
二度と同じような悲劇がくり返されないよう、ストーカー事件防止の対策が手厚くなることを願うばかりです。
娘はイラストレーター
倉本さんの妻は、演劇集団「円」の女優・平木久子さんで、長年連れ添ってきました。
2人には息子がいませんが、由美さんという一人娘がいます。
由美さんはイラストレーターで、富良野産ぶどうを使用した赤ワイン「羆(ひぐま)の晩酌」のラベルイラストを手がけました。
ふらのワインの羆の晩酌。酸味が強めで後味にコクを感じる。パッケージから想像した味とは違った。 pic.twitter.com/HEMnBzztW5
— ラーメン三昧.com (@ramenzanmai) October 25, 2015
親子3人そろって芸術系の一家であることがわかります。
倉本聰の父は東京大学出身
倉本さんは本名を「山谷馨(やまや かおる)」といいます。
父親は山谷太郎さんで、東京帝国大学(現在の東京大学)で応用化学を学びました。
倉本さんも東京大学を卒業しているため、秀才親子といえますね。
太郎さんはクリスチャンで、戦時中は反戦を訴え、治安維持法違反で摘発された経験があります。
倉本さんが平和を訴え続けてきた背景には、平和主義者の父が摘発された重い事実があったのでしょう。
太郎さんは大学卒業後、親が営んでいた「日新医学社」を引き継ぎ、出版社「日新書院」を経営しました。
柔道の有段者で、正義感の強い男性だったそうです。
出版社経営の傍ら、俳人・水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)の弟子となり、「山谷春潮」の俳号で活動しました。
さらに「日本野鳥の会」の創設メンバーで、『野鳥歳時記』を執筆するほどの野鳥愛好家でもあります。
倉本さんが自然を愛する裏には、野鳥好きの父からの影響があるそうです。
もう1つ大きな影響を受けたのは、5歳頃から始めた宮沢賢治作品の音読でした。
父から言われ、童話の音読をさせられた倉本さんは、おかげで美しい文章のリズム感を修得できたそうです。
倉本さんは自然への愛着と、文章のリズム感という「遺産」を、父から受け継いだといえます。
兄も東京大学出身
倉本さんは5人兄弟の次男で、兄と姉が1人ずついます。
しかし2人とは異母兄弟だったそうです。
倉本さんの母・綾子さんは太郎さんの後妻で、兄と姉の母は前妻でした。
ただ綾子さんはクリスチャンで、どの子供にも深い愛情を注いだため、倉本さんは10歳になるまで母が後妻と気づきませんでした。
兄の山谷渉さんは、父と同じく東京大学を卒業し、生化学工業の社長となっています。
綾子さんは前妻の子が優秀なことに対抗意識があったため、倉本さんにも東京大学進学を望みました。
結果的に倉本さんは2浪の末、母の願いを叶えたのです。
優秀なDNAが脈々と受け継がれてきた倉本家。
理系、文系、芸術系など幅広い分野で活躍している一族といえますね。
関連記事
倉本聰の自宅は杉並区?富良野のレストランを監修。富良野塾の現在について
山田太一の娘は宮本理江子、妻は寺山修司の同級生。兄弟が早世。川崎の自宅&死因は老衰
コメント