『北の国から』や『やすらぎの郷』で知られる名脚本家の倉本聰(くらもと そう)さん。
2024年で90歳になりますが、最近はどのように過ごしているのでしょう。
今回は倉本さんの現在と、家族情報を確認します。
孫、息子の詳細、東京大学出身の父と兄の情報を見ていきましょう。
倉本聰のプロフィール
本名:山谷馨(やまや かおる)
生年月日:1934年12月31日
身長:不明
出身地:東京都渋谷区
最終学歴:東京大学文学部美学科
倉本聰の現在:脚本家としての活動と社会的影響力
倉本聰さんは、日本を代表する脚本家として知られていますが、高齢になった現在も精力的に活動を続けています。
その創作活動や社会的影響力は、日本の文化界に大きな足跡を残し続けています。
富良野を拠点とした創作活動の継続
倉本さんは、現在も北海道の富良野を拠点として創作活動を続けています。
この地で培われた独特の感性は、彼の作品に深みを与える重要な要素となっているようです。
富良野の自然に囲まれた環境は、倉本さんの創造力を刺激し続けているのかもしれません。
彼の最新作では、これまでの作品とは異なる新たな視点が盛り込まれているとの評価もあります。
このことから、倉本さんが常に新しい表現を模索し続けていることが窺えます。
現在の倉本さんの創作スタイルは、長年の経験と新しい挑戦が融合したものだと言えるでしょう。
彼の作品には、時代の変化を捉えつつも、普遍的な人間ドラマが描かれています。
この独特のバランス感覚が、多くの視聴者の心を掴んでいるのではないでしょうか。
倉本さんの現在の活動は、単なる創作にとどまらず、若手の育成にも及んでいます。
富良野塾の精神を引き継ぐ形で、新しい才能の発掘と育成に力を注いでいるのです。
この取り組みは、日本の演劇界全体にとって大きな意義を持つものだと考えられます。
若手作家や俳優たちにとって、倉本さんの存在は大きな励みとなっているようです。
彼らは、倉本さんから直接指導を受けることで、プロフェッショナルとしての心構えを学んでいます。
このような活動を通じて、倉本さんの影響力は次世代へと確実に受け継がれていくのでしょう。
現在の倉本さんは、自身の創作活動だけでなく、文化の継承者としての役割も担っているのです。
彼の活動は、日本の演劇界全体に大きな影響を与え続けています。
特に、地方での文化活動の重要性を示す好例として、多くの人々の注目を集めているようです。
倉本さんの現在の活動は、単に作品を生み出すだけでなく、社会的な意義も持っていると言えるでしょう。
彼の存在は、日本の文化界全体にとって大きな財産となっているのです。
現在の倉本さんは、高齢にもかかわらず、なお衰えを知らぬ創造力を発揮しています。
この姿勢は、多くの人々に希望と勇気を与えているのではないでしょうか。
年齢を重ねても新しいことに挑戦し続ける倉本さんの姿は、まさに生涯現役の模範と言えるでしょう。
彼の活動は、高齢化社会における生き方のひとつのモデルケースとなっているのかもしれません。
倉本さんの現在の活動は、文化的な側面だけでなく、社会的にも大きな意義を持っているのです。
彼の存在は、日本社会全体に対して、年齢に関係なく挑戦し続けることの重要性を示しています。
このような倉本さんの姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与え続けているのではないでしょうか。
倉本聰の孫
倉本さん自身の孫について、情報はありません。
ただし倉本さんの姉の孫が、かつてストーカー事件に巻き込まれ、命を落としたことがわかっています。
子役出身だった鈴木沙彩さんは女優を目指して活動し、ブログで「大伯父さんは倉本聰」と書き込んでいました。
倉本さんは芸能プロダクションを慎重に選ぶよう彼女へ助言していたそうです。
しかし2013年、交際相手の男性により自宅で殺害され、18歳で亡くなります。
映画「冷たい部屋」に出てた鈴木沙彩さん亡くなってたんだね…しかも刺殺って…
あの子めちゃくちゃ凄い演技見せてたのに本当もったいない…YouTubeで懐かしい名前見たな!って思ったらストーカー殺人だったと観てかなりショック受けた— Masashi_ALICes_Z🐨 (@Masashi_coara_Z) March 21, 2024
倉本さんは事件後に彼女の自宅を訪ね、報道陣からの質問に「勘弁してください」と発言しました。
女優志望の彼女を襲った突然の悲劇に、倉本さんも大きな衝撃を受けたに違いありません。
二度と同じような悲劇がくり返されないよう、ストーカー事件防止の対策が手厚くなることを願うばかりです。
娘はイラストレーター
倉本さんの妻は、演劇集団「円」の女優・平木久子さんで、長年連れ添ってきました。
2人には息子がいませんが、由美さんという一人娘がいます。
由美さんはイラストレーターで、富良野産ぶどうを使用した赤ワイン「羆(ひぐま)の晩酌」のラベルイラストを手がけました。
ふらのワインの羆の晩酌。酸味が強めで後味にコクを感じる。パッケージから想像した味とは違った。 pic.twitter.com/HEMnBzztW5
— ラーメン三昧.com (@ramenzanmai) October 25, 2015
親子3人そろって芸術系の一家であることがわかります。
倉本聰の父は東京大学出身
倉本さんは本名を「山谷馨(やまや かおる)」といいます。
父親は山谷太郎さんで、東京帝国大学(現在の東京大学)で応用化学を学びました。
倉本さんも東京大学を卒業しているため、秀才親子といえますね。
太郎さんはクリスチャンで、戦時中は反戦を訴え、治安維持法違反で摘発された経験があります。
倉本さんが平和を訴え続けてきた背景には、平和主義者の父が摘発された重い事実があったのでしょう。
太郎さんは大学卒業後、親が営んでいた「日新医学社」を引き継ぎ、出版社「日新書院」を経営しました。
柔道の有段者で、正義感の強い男性だったそうです。
出版社経営の傍ら、俳人・水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)の弟子となり、「山谷春潮」の俳号で活動しました。
さらに「日本野鳥の会」の創設メンバーで、『野鳥歳時記』を執筆するほどの野鳥愛好家でもあります。
倉本さんが自然を愛する裏には、野鳥好きの父からの影響があるそうです。
もう1つ大きな影響を受けたのは、5歳頃から始めた宮沢賢治作品の音読でした。
父から言われ、童話の音読をさせられた倉本さんは、おかげで美しい文章のリズム感を修得できたそうです。
倉本さんは自然への愛着と、文章のリズム感という「遺産」を、父から受け継いだといえます。
兄も東京大学出身
倉本さんは5人兄弟の次男で、兄と姉が1人ずついます。
しかし2人とは異母兄弟だったそうです。
倉本さんの母・綾子さんは太郎さんの後妻で、兄と姉の母は前妻でした。
ただ綾子さんはクリスチャンで、どの子供にも深い愛情を注いだため、倉本さんは10歳になるまで母が後妻と気づきませんでした。
兄の山谷渉さんは、父と同じく東京大学を卒業し、生化学工業の社長となっています。
綾子さんは前妻の子が優秀なことに対抗意識があったため、倉本さんにも東京大学進学を望みました。
結果的に倉本さんは2浪の末、母の願いを叶えたのです。
優秀なDNAが脈々と受け継がれてきた倉本家。
理系、文系、芸術系など幅広い分野で活躍している一族といえますね。
関連記事
倉本聰の自宅は杉並区?富良野のレストランを監修。富良野塾の現在について
コメント