寺田理恵子の現在。再婚の夫・関本雅一は急逝。離婚した元夫とは

『オレたちひょうきん族』から誕生した「ひょうきんアナウンサー」の2代目だった寺田理恵子(てらだりえこ)さん。

フジテレビを寿退職したのちは、かなりのジェットコースター人生を経験したようですが、2024年現在の活動状況はどうなのでしょう。

再婚した夫・関本雅一さんとの死別からアナウンサー復帰、また元夫・落合正幸さんとの離婚理由についても迫ります。

寺田理恵子のプロフィール

本名:寺田理恵子

生年月日:1961年7月15日

身長:162cm

血液型:A型

出身地:東京都世田谷区

最終学歴:聖心女子学院大学文学部外国語外国英文学科

所属事務所:生島企画室

寺田理恵子の現在:社会貢献と健康促進への取り組み

かつてテレビ界で活躍した寺田理恵子さんは、現在、多岐にわたる社会貢献活動や健康促進の取り組みを精力的に行っています。

彼女の活動は、人々の心身の健康と社会福祉の向上に大きく貢献しているといえるでしょう。

認知症サポーターとしての活躍

寺田さんの現在の活動の中心となっているのが、認知症サポーターとしての取り組みです。


この活動は、高齢化社会が進む日本において非常に重要な意義を持っています。

彼女は、朗読ボランティアや高齢者の居場所づくりなど、認知症の理解を深める活動を積極的に展開しています。

これらの活動は、認知症の方々やその家族の生活の質を向上させるだけでなく、社会全体の認知症に対する理解を促進する効果があると考えられます。

寺田さんの取り組みは、単なる支援にとどまらず、認知症の方々の尊厳を守り、社会参加を促す役割も果たしているのではないでしょうか。

また、この活動を通じて、彼女自身も多くの学びや気づきを得ているように思われます。

認知症サポーターとしての経験は、寺田さんの他の活動にも良い影響を与えているかもしれません。

彼女の活動は、高齢者と若い世代の橋渡し役としても機能しているようです。

世代間の交流を促進することで、社会の結びつきを強める効果も期待できるでしょう。


寺田さんの活動は、認知症に関する社会の意識改革にも貢献していると考えられます。

彼女の取り組みを通じて、認知症は特別なものではなく、誰もが関わる可能性のある身近な問題だという認識が広まっているかもしれません。

このような意識の変化は、より包括的で思いやりのある社会の実現につながる可能性があります。

さらに、寺田さんは朗読教室やアナウンススクールの講師としても活躍しています。

これらの活動は、彼女のアナウンサーとしての経験を活かしたものといえるでしょう。

教室やスクールでの指導を通じて、コミュニケーション能力の向上や自己表現の大切さを伝えているのではないでしょうか。

このような活動は、参加者の自信や生きがいの創出にもつながっていると考えられます。

寺田さんの指導を受けた人々が、新たな自分を発見し、社会参加への意欲を高めている可能性もあります。


また、彼女は著書の執筆や講演活動を通じて、健康法や生き方についての知見を広めています。

特に、音読の効果や心身の健康に関する情報発信に力を入れているようです。

これらの活動は、多くの人々の日常生活に直接的な影響を与える可能性があります。

寺田さんの提唱する健康法を実践することで、読者や聴衆の生活の質が向上するかもしれません。

彼女の活動は、単に情報を提供するだけでなく、人々の行動変容を促す力を持っているように思われます。

寺田さんの現在の活動は、社会貢献と健康促進の両面で大きな意義を持っているといえるでしょう。

彼女の経験と知識を活かした取り組みは、多くの人々に希望と勇気を与えているのではないでしょうか。

今後も、寺田さんの活動がさらに広がり、社会にポジティブな影響を与え続けることが期待されます。

寺田理恵子の再婚の夫、関本雅一とは?

2000年に再婚した関本雅一さんはNECの関本忠弘元会長の長男で、当時は電通の社員でした。

交際時、雅一さんには妻子がいたため、寺田理恵子さんは「財閥の御曹司と略奪婚」と報じられます。

寺田さんいわく、自分は本当に何も知らず、週刊誌の記者によって不倫であることを知ったとのこと。

ところがNEC元会長の父親が息子の不倫再婚に激怒して勘当してしまいます。

さらに雅一さんの広告費不正取得が発覚して電通を懲戒解雇。

その後はIT関連会社などを立ちあげたものの、経営は軌道にのらず、雅一さんは豪邸の自宅を担保に入れて経営資金を工面するようになりました。

2012年12月、雅一さんは出勤前のシャワーを浴びていたときに倒れ、病院へ搬送。

大動脈瘤破裂のため、妻に看取られて息をひきとりました。

のちにパートタイムの仕事に応募した際は、履歴書を見た面接官から「なぜ、あなたが?」と驚かれたこともあったという寺田さん。

再起の道を模索しながら、通信教育で心理学やデザインなども学んでいたそうです。

元夫・落合正幸との離婚理由は女性問題

寺田理恵子さんは1984年にフジテレビに入社し、入社5年の28歳で寿退職しています。

1990年4月に授かった長女・ゆりえさんの父親が初婚の夫である落合正幸さんです。

『感染』などの映画監督として知られますが、映画を手がける前は共同テレビに所属し、演出家として多くの名作ドラマを送り出してきた方です。

初婚では、フジテレビを辞めてフリーに転向した寺田さん。

ところが結婚生活は10年に満たず終わりを迎えてしまいます。


原因は正幸さんの不倫と、不倫相手の妊娠発覚だったようです。

近藤サトさんとの対談で、夫の浮気発覚の時の修羅場を打ち明けた寺田さん。

不倫相手らしき女性と写った写真に加え、怪しいホテルの領収書を発見して夫を問い詰めると、「ただの打ち合わせだよ」。

ここまではよくあるパターンですが、夫から繰り出された次のひと言に寺田さんは耳を疑います。

なんと正幸さんは妻に向かい、「浮気はけっして認めないのが男のやさしさ」と、浮気を認めたともとれる意味不明な発言。

ちなみに、この時の浮気相手が作家の梅田みかさんであり、のちに二人は結婚。

寺田理恵子さんは関本雅一さんとの再婚で「略奪婚」とバッシングを受けましたが、過去に夫を略奪されるつらさを味わっていたことになりますね。

寺田理恵子の経歴まとめ

フジテレビ時代はアイドル女子アナの草分け的存在であり、清純な雰囲気がオジサマたちにも大人気だった寺田理恵子さん。

80年代、「楽しくなければテレビじゃない!」のスローガンを打ち出して大躍進をとげたフジテレビ。

それを牽引したのが『オレたちひょうきん族』や『なるほど!ザ・ワールド』といった人気バラエティ番組でした。

これらの番組で活躍し、フジテレビに大きく貢献した女子アナもまた特筆すべき存在ですね。

聖心女子大学在学中からアシスタントとしてテレビ朝日の「クイズタイムショック」に出演。

きっとこの頃からマスコミへの進学を考えていたのでしょう。

今でいうインターンシップのような感じだったのかもしれません。


そして日本テレビとテレビ朝日、フジテレビの入社試験を受験。

その中で唯一、内定を貰ったのはフジテレビ。

ところがクイズタイムショックに出演していた事が問題視され、内定取り消しも検討されたそうです。

ですが、採用を強く推薦する声もあった事で内定の取り消しは免れたんだとか。

入社後は「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」などフジテレビを代表する番組に出演

整った容姿と明るいキャラクターでお茶の間の人気者となりました。

ですが、フジテレビに在籍したのは僅か5年でした。

1989年にテレビ番組制作会社のディレクターと結婚し、フジテレビを退社しフリーアナウンサーとなっています。

その夫とは1998年に離婚。

2000年、関本雅一さんとの再婚を機にアナウンサーを引退し、専業主婦となった寺田理恵子さん。

ところが2012年に夫が突然倒れ、53歳の若さで急逝。

その後、生活のためにパートの仕事に就いたこともありました。

TBSラジオの『生島ヒロシのサタデー・一直線』のアシスタントとして復帰したのは2014年10月。


同番組は2018年に卒業していますが、やはり復帰は感慨深かったようで、いずれ情報番組の司会をやりたいと意欲をのぞかせる一幕も。

2024年現在は生島企画室に所属し、前述のとおり、テレビ出演のほか講演活動にも熱を入れているようです。

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