大久保利通の子孫たち。家系図に麻生太郎。市川海老蔵の先祖?

明治維新に貢献した政治家の大久保利通(おおくぼ としみち)。

彼の家系図は現代まで、脈々と続いているようです。

今回は大久保の子孫を家系図からひも解き、麻生太郎さんが子孫という情報を確認します。

併せて大久保が、市川海老蔵さんの先祖でもあるという噂を見ていきましょう。

大久保利通のプロフィール

通称:大久保正助

生年月日:1830年9月26日(文政13年8月10日)

死没:1878年5月14日

身長:推定183cm

出身地:薩摩国(現在の鹿児島県)

最終学歴:造士館

大久保利通の子孫

まず大久保の子孫を確認します。

大久保は正妻・満寿子との間に4男1女、妾・おゆうとの間に4男をもうけました。

長男の大久保利和と三男の大久保利武は、いずれもアメリカ留学を経て、貴族院議員として活動。

次男の牧野伸顕(まきの のぶあき)は、父の義理の従兄弟・牧野吉之丞の養子となります。

しかし養父が北越戦争で戦死したため、牧野姓のまま大久保家で育ちました。

11歳の時、父と兄が参加した岩倉遣欧使節団に同行し渡米。

フィラデルフィアの中学を卒業し、帰国後は外務省に入省します。

持ち前の語学力を生かし、イタリアやオーストリアの駐在大使や外務大臣を歴任。

第一次世界大戦の平和会議「パリ講和会議」では、日本全権を務めるほど活躍しました。

彼の長女・雪子は、のちの総理大臣・吉田茂と結婚します。

2人の息子で、大久保のひ孫にあたるのが、英文学者の吉田健一です。

暁星中学を卒業後、1930年にケンブリッジ大学へ進学。

シェイクスピアやボードレールを濫読し、文学に熱中しました。

しかし半年ほどで中退。


中退理由はイギリスで自分が「アウトサイダー」だと感じ、語学や文化面で拒絶される挫折を味わったためとされています。

裕福な家庭で育った吉田にとって、初めての挫折だったのかもしれません。

帰国後は語学学校「アテネ・フランセ」でフランス語やギリシャ語を勉強します。

1935年からポーの『覚書』の翻訳を刊行し、「文學界」へフランス文化の関連記事を寄稿。

1939年からは、祖父・牧野の談話記録『松濤閑談』を「文藝春秋」へ連載し始めます。

文筆家として知名度を上げ続け、1957年には評論『シェイクスピア』で読売文学賞を受賞。

昭和を代表する評論家として活躍しました。

大久保の子孫は、政治や文学など各界で活躍していることがわかりましたね。

家系図に麻生太郎も

大久保の家系図には、麻生太郎さんの名前もありました。

麻生さんの母は、大久保の息子である牧野の三女・和子です。

実業家の麻生太賀吉(あそう たかきち)と結婚し、長男の麻生太郎さんをもうけました。

大久保にとって麻生さんは、玄孫にあたります。

吉田茂にとっては孫にあたりますね。

さらに麻生さんの妹は、寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ)様です。

名家の女性だったため、皇族との結婚相手にふさわしかったのでしょう。

元総理大臣や皇族が織りなす、華やかな家系図といえますね。

大久保利通は市川海老蔵の先祖?

大久保の子孫について調べていると、歌舞伎俳優・市川海老蔵さんの名前が出てきます。

海老蔵さんも大久保の親族なのでしょうか。

実際は、2人に血縁関係はないようです。

ただ海老蔵さんが自身のブログで、大久保の子孫について書いたことがあるため、両者の名前が結びついたのでしょう。

ブログには、2024年から新1万円札の肖像となる渋沢栄一に関する本を読んだことがつづられています。

その本に、大久保の肖像写真が掲載されていたそうです。

海老蔵さんは大久保の顔が、自身の友人に似ていると感じ、確認しました。

すると友人は実際に大久保の子孫だったといいます。

友人は一般人の可能性が高いため、詳細は不明。


しかし海老蔵さんと交友関係にある人なら、大久保を先祖に持つ名家の人物としても不思議ではありませんね。

明治の偉人・大久保のDNAを継いだ子孫たちは、現代でも各方面で活躍しているのでしょう。

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