明治維新の立役者である木戸孝允(きど たかよし)。
歴史上の偉人ですが、子孫にも有名人はいるのでしょうか。
今回は木戸の子孫を確認し、イケメン画像、妻と子供を家系図からご紹介します。
また山口県萩市の旧宅を確認します。
木戸孝允のプロフィール
通称:桂小五郎
生年月日:1833年8月11日(天保4年6月26日)
死没:1877年5月26日
身長:174cm
出身地:長門国萩城下呉服町(現在の山口県萩市呉服町)
最終学歴:明倫館
木戸孝允、子孫の現在
まず木戸の子孫を確認します。
木戸の甥にあたるのが、政治家の木戸孝正です。
アメリカ留学を経て東京大学理学部、大阪専門学校を修了。
農商務省の御用掛を経て宮内庁に入り、式部官や東宮侍従長、宮中顧問官を務めました。
彼の長男が、太平洋戦争期に官僚・天皇側近として活動した木戸幸一です。
131年前の今日、木戸幸一が生まれました。
明治の元勲木戸孝允を養祖父に持ち、内大臣として太平洋戦争直前、東條英機の首相指名に重要な役割を果たします。
木戸は、天皇への忠誠の厚い東條なら天皇の意に沿って戦争回避に全力を尽くし、開戦を主張する陸軍を抑えてくれると考え東條を推薦しました。 pic.twitter.com/Ivz3znkcz6— 東京歴史倶楽部 (@rekishiclub) July 17, 2020
木戸幸一一家。
昭和10年3月31日撮影。
京都 木戸孝允旧宅にて。
皆の表情から幸せが溢れてくるようで、こちらまで幸せな気分になります。
とても素敵な写真☺️ pic.twitter.com/7RjZfLprZl— k.wada🇯🇵 (@wadakogorou) September 18, 2018
木戸孝允の孫として知られ、東条英機を首相に推薦するほどの影響力を持ちました。
幸一は太平洋戦争開戦の際、軍人だった東条こそ首相にふさわしいと考えていたようです。
しかし戦局が不利になると、東条を見限り、和平案「木戸試案」を作成して終戦工作に奔走。
終戦後はA級戦犯として極東国際軍事裁判にかけられました。
天皇が戦争責任に問われるのを回避するため、幸一が証拠提示した「木戸日記」は、貴重な戦争関連資料として有名です。
幸一は終身禁固刑の判決を受け、のちに健康上の理由で仮釈放され、隠居生活を送りました。
現在も彼の子孫は活躍しています。
コンサルティング会社「umari(ウマリ)」のコンセプトデザイナー・木戸寛孝(きど ひろたか)さんは、幸一のひ孫です。
曽祖父が仕えた天皇に思いを馳せ、「天皇とは何か」を考えるようになりました。
天皇の起源を追究し、今では古事記・日本書紀にさかのぼり研究を進めているそうです。
木戸家の優秀なDNAは、脈々と受け継がれていることがわかりましたね。
木戸孝允のイケメン画像
これまで大河ドラマでは、多くのイケメン俳優が、木戸の役を演じてきました。
2013年の『八重の桜』では及川光博さん、2018年の『西郷どん』では玉山鉄二さんと、確かにイケメン俳優の起用が多いですね。
私を史実通りイッケメェェェンに演じてくれた玉山殿。
貴方のお陰で皆改めて私の格好良さに気づいてくれました。感謝感謝…
今までお疲れ様でした。本当にありがとうございました。#西郷どん pic.twitter.com/NXQwjjwxCp— 桂小五郎 (@Katsura_Kogoro) December 9, 2018
しかし大河は木戸さんにイケメン配しすぎじゃないか?
「翔ぶが如く」田中健
「徳川慶喜」黒田アーサー
「新選組!」石黒賢
「篤姫」スズキジュンペイ
「龍馬伝」谷原章介
「八重の桜」及川光博
「花燃ゆ」東山紀之
そして今回玉山鉄二て木戸孝允どんだけ美男子だったんだよ。 #西郷どん— rose (@Lazyrose_1999) February 14, 2018
実際の木戸も、凛々しく涼しげな雰囲気のイケメンです。
#国宝級イケメン
私の中で国宝級と言えば、やはり、木戸孝允(桂小五郎)先生です✨
凛としたお顔に意志の宿った瞳、くっきり二重瞼、お綺麗な形の唇…。
イケメソ要素が盛り込まれ"過ぎ"だと思います😇
イケメン志士ランキングには殆ど必ずランクインされてますし💕 pic.twitter.com/nXjcK9EPWW— 桂華🥦 (@tk1833811) November 21, 2019
平成最後の日に
イケメン木戸孝允💖
TVで使う時は…この写真で
(*´∇`*) pic.twitter.com/efOpgN5gET— 老梅花上月 (@roubai337a) April 30, 2019
はっきりとした顔のパーツが日本人離れしており、現代人から見ても文句なしの二枚目といえますね。
木戸は明るく、人情味ある性格だったとされています。
甘いルックスと優しさを備えた男性のため、心惹かれる女性は後を絶たなかったのでしょう。
木戸孝允の妻、子供、家系図まとめ
木戸の妻は、若狭小浜藩士の娘・松子です。
14歳で舞妓になり、「幾松」を襲名。
美貌と聡明さで人気の芸妓だった彼女に、当時「桂小五郎」を名乗っていた木戸はのめり込みます。
彼女をひいきにしていた山科の豪家と張り合うため、彼は大枚をはたいたそうです。
最終的に桂の仲間・伊藤博文がライバルを刀で脅した結果、幾松は彼のものとなりました。
恋のライバルへの脅迫を他人任せにする点が、「逃げの桂」と呼ばれた彼らしいエピソードですね。
結婚後、幾松は夫が命を狙われると、潜伏生活を支え続けます。
激動の時代に、夫婦で支え合いながら暮らしたのでしょう。
最後まで夫を支え続けた幾松は、彼と死別したのち尼僧となり、46歳で胃病により亡くなりました。
夫婦の間に子供はいなかったため、2人は養子を取っています。
養女は木戸が愛人に産ませた娘・好子です。
跡取りの養子には、勝三郎、忠太郎、正二郎、孝正がいました。
勝三郎は武力衝突事件「禁門の変」で負傷し、17歳で自刃。
忠太郎は地質学者となり、「地質研究所長」を務める傍ら、趣味の「だるま収集」に情熱を注ぎました。
正二郎はドイツ留学を果たし、ベルリンの兵学校で学んだ優秀な人物でしたが、肝臓病により24歳で死去。
孝正は先述の通り政治家となり、のちに木戸幸一の父として知られた人物です。
メガネをかけた木戸孝允が孫の木戸幸一と雰囲気似ている…
(木戸幸一は木戸孝允の妹と来島良蔵の間に生まれた木戸孝正の子、直接の血のつながりはない) pic.twitter.com/N52xM7NyUU
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) February 13, 2021
木戸が愛人に産ませた好子は、孝正の最初の妻となります。
しかし彼女はわずか18歳で病没。
結果的に木戸孝允直系の子孫は途絶えてしまったのです。
直接血のつながりはなくても、養子が残した子孫たちは、木戸の精神を受け継いで生きてきたのでしょう。
萩市の旧宅は?
木戸の旧宅は、山口県萩市呉服町にあります。
彼が幼少期から成人するまでおよそ20年を過ごした家です。
萩|木戸孝允旧宅 pic.twitter.com/OfdfUwzSUx
— とばり (@tbrfsn) April 24, 2018
木造瓦葺の旧宅では、彼が産声をあげた部屋を見学できるほか、手習いの書の掛け軸を展示しています。
偉大な長州藩士が生まれ育った場所の空気を感じられる、観光スポットですね。
木戸はルックスのよさも相まって、今後もカリスマ的人気を誇り続けるでしょう。
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