GSブームの時代にザ・タイガースの「サリー」として一世を風靡し、のちに俳優に転じて成功した岸部 一徳(きしべ いっとく)さん。
PYG、井上堯之バンドといった伝説のバンドに在籍した名プレイヤーとしても知られ、そのベースの腕前は超一流と評価されています。
盟友・沢田研二さんとの絆の深さや、2023年現在の収入についてもみていきます。
岸部一徳のベースの腕前評価がすごい
60年代後半、日本中の若者を熱狂の渦に巻き込んだグループサウンズのザ・タイガーズ。
GSブームを牽引した数々のバンドの中で、王者として君臨していたのがザ・タイガーズでしょう。
岸部一徳さんといえば、今でこそドラマや映画で味わい深い演技をみせる名優のイメージが定着していますが、かつてはザ・タイガーズやPYGといったバンドで一世を風靡した名うてのベーシストでした。
ジュリーこと沢田研二さん、トッポこと加橋かつみさんらが在籍したザ・タイガーズのリーダーがサリーだったことを知る人も少なくなったのではないかと思います。
ザ・タイガース解散後、PYG、井上堯之バンドと活躍の場を移した一徳さんは、1975年6月19日の沢田研二コンサートをもって井上堯之バンドを脱退。
いったんミュージシャンの自分と決別しました。
最後のレコーディング音源は沢田さんの『時の過ぎゆくままに』です。
ベーシストとしての評価の高さから、伝説のベーシストの異名をもつ岸部一徳さん。
近年はCMでベースプレイを披露することもあり、とりわけ木村拓哉さん、Charさんと共演した富士通のCMは注目を集めました。
ベースの腕前は、レッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズが舌を巻き、対面を熱望したほど。
レッド・ツェッペリンが初来日した際、自分たちの『Babe I Gonna Leave You』を演奏するPYGをテレビで見たそうです。
いわく、「あのベースの男はとんでもない腕前だよ」。
また日本を代表するベーシストであり、元サディスティック・ミカ・バンドの後藤次利さんにベースの手ほどきをしたのも一徳さんでした。
そのベースラインはザ・タイガースやPYGの楽曲でももちろん堪能できますが、『太陽にほえろ!』や『傷だらけの天使』のメインテーマでも聴くことができます。
俳優としての岸部一徳さんしか知らない世代には新鮮に映るかもしれませんね。
#岸部一徳さん #ベースの日 pic.twitter.com/RDKCuuyvtK
— Gaaジュリー✨ (@3q5kk5ComMNBgcG) November 11, 2019
沢田研二とはタイガースから50年超のつきあい
時は少しさかのぼり、ザ・タイガース前夜の話になります。
60年代半ば、京都の高校生4人で結成されたサリーとプレイボーイズは、やがて沢田研二さんをボーカルに迎えてバンド名をファニーズに改名、京阪で高い人気を得るようになります。
「半端なくうまいボーカルがいるぞ」と評判を呼んでいた17歳の沢田さんを自分のバンドに引き入れたのが2学年上の一徳さんでした。
彼らは1966年に上京し、バンド名はザ・タイガースとなり、翌年2月に『僕のマリー』でデビュー。
もともと音楽は10代の頃に遊びではじめたもので、「沢田研二」というスターが入らなければ、単なるダンスパーティー用バンドで終わっていたかもしれない、と一徳さん。
二人にとって、ザ・タイガースはまぎれもなく人生の転機であり、長い芸能生活の出発点でした。
沢田研二さんの隣でベースを弾き、その華やかなスター性に間近で接し、観客が「ジュリー!」と歓声をあげる姿を見続けてきた岸部一徳さん。
自分がスポットライトを浴びるのではなく、主役を見るポジションが好きになったのは、ザ・タイガース時代の影響かもしれないと語ります。
俳優業でも脇に回って主役を引き立てる印象が強いですね。
木村拓哉さんとCM初共演後、
感想を求められた時のサリーの言葉…
ずっと一緒にいたからこそ…素敵すぎて、泣ける…😢#沢田研二#ジュリー#岸部一徳 pic.twitter.com/WwNAJ6JDuM
— kagome24 (@228Takuchamm) March 24, 2020
男性のメンバーが何人もいれば衝突はあったと思いますが、二人は2023年現在に至るまで親密な関係を築いており、一徳さんは、最期の時にそばにいてほしい人として沢田研二さんと森本太郎さんを挙げるほど。
サリーとタローとジュリー🥺 pic.twitter.com/VO6W0rpyTu
— てんめい (@tenmei0502) December 24, 2018
ザ・タイガースのドラマー、瞳みのるさんによると、自己主張が強くなく、聞き役に徹するタイプの一徳さんは、主役にとっては自分の座を脅かされない安心できる存在なのだろうということです。
そういえば、岸部一徳さんの本格的な俳優デビュー作は沢田さん主演の『悪魔のようなあいつ』でした。
俳優業に転向したばかりの友人をサポートしたいという沢田さんの思いもキャスティングに反映されていたのかもしれません。
岸部一徳の収入は?
1975年に『悪魔のようなあいつ』で本格的に俳優に転身してから、すでにキャリアは45年を超える岸部一徳さん。
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いた経歴をもち、ドラマや映画にもコンスタントに出演しています。
また自身の芸能事務所アン・ヌフの代表でもあり、2020年には沢田研二さんの個人事務所・ココロの社長に就任したばかり。
気になる収入については情報は出ていないものの、俳優業と二つの事務所の社長業という二足のわらじをはいていることから、高収入であることは予想できます。
ちなみに連続ドラマの出演料を調べてみたところ、主役なら1話あたり100万円から300万円がおおよその相場なのだそう。
ワンクール全10話として1000万円から3000万円ほどの収入になりますが、これは所属事務所に支払われる額であり、本人の取り分はさらに低くなるとのこと。
つまり俳優の年収は契約内容によって大きく変わってくるわけですね。
岸部一徳さんのアン・ヌフは自ら立ち上げた個人事務所なので、この点も有利といえそうです。
グループサウンズのベーシストから、地道な俳優修業を重ねて見事に花を咲かせた岸部一徳さん。
若かったザ・タイガース時代の面影が消えても、ミュージシャンとして過ごした日々が役者としての味わい深さにつながっているのはまちがいないでしょう。
岸部一徳の現在。息子は俳優&妻と別居。家族まとめ。病気で入院の理由
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