宮本顕治、自宅豪邸の噂。息子は宮本太郎、スパイ査問事件と二人の妻

49歳での書記長就任以来、議長退任までの40年にわたって日本共産党を牽引した「ミヤケン」こと宮本顕治(みやもとけんじ)さん。

「自宅豪邸」で検索される私邸はどこにあり、没後はどうなっているのでしょう。

また息子で大学教授の宮本太郎さん、獄中生活を送ることになったスパイ査問事件、二人の妻たちについて取り上げます。

宮本顕治、「自宅豪邸」は本当だった

戦前から日本共産党員として活動し、1997年に議長を退くまで長期にわたり党のトップに君臨した宮本顕治さん。

日本共産党のカリスマ的存在という印象が強いですが、東京帝国大学在学中に著した芥川龍之介の論評『「敗北」の文学』で文壇デビューした文芸評論家でもありました。


貧困な家庭に生まれたことで、どうして世の中には貧者と富者がいるのかと疑問を抱いて育ったそうです。

宮本顕治さんは2007年に老衰のため都内の病院で死去。

晩年は自宅で療養生活を送っていたようです。

この自宅が「自宅豪邸」で検索されている東京都多摩市の私邸です。

1970年におきた宮本顕治宅盗聴事件の現場となった杉並区の家ではなく、その後に転居した自宅です。

この豪邸は住宅街に建つ一軒家だったそうですが、2021年現在は取り壊されているとの情報がありました。

最近は不破哲三前議長の大豪邸も何かと話題にのぼることが多く、ブルジョワな生活を満喫する共産党指導者にSNSもざわついている模様。

宮本顕治さんの暮らしぶりもまた、平等を説き、清貧を信条とする共産党員とはかけ離れていたようで、ブランドを愛し、好物の鰻重は高級料亭の品と決まっていたのだそう。

共産党の指導者たちがなぜ贅沢な生活を送れるかについて、元党員による証言がありました。

ひとつは党幹部と一般の党職員との給与格差。

もうひとつは著書の印税のからくりです。

幹部の印税収入が中央財政に寄付されるというお約束は厳密にいうと正しくなく、少なめに刷った初版の印税のみを党に繰り入れ、再版以降の印税は全額著者にわたるという仕組みになっているのだそう。

メディアによる「赤い貴族」とはうまい表現ですね。

宮本顕治の息子は中央大学教授の宮本太郎

中央大学法学部教授で政治学者の宮本太郎さんは、宮本顕治さんの二人目の妻・寿恵子さんとの間に生まれた息子です。

日本共産党中央委員で2008年に他界した宮本太郎さんは同姓同名の別人です。

息子の太郎さんは1958年7月13日生まれで、2021年に63歳。

宮本家の家庭教師は、当時東京大学の学生だった志位和夫委員長でした。

中央大学法学部卒業後は同大学大学院に進み、法学研究科博士後期課程を単位取得退学。

その後、立命館大学教授、日本比較政治学会副会長などを歴任。

2009年には麻生内閣の安心社会実現会議に委員として参加していますが、これは与謝野馨財務大臣の薦めによるものでした。

太郎さんの著作『福祉政治』を読んだのがきっかけだったといいます。

宮本顕治のスパイ査問事件とは?

宮本顕治さんを語るうえで触れないわけにはいかないのが「獄中の12年」。

1933年におきたスパイ査問事件とは、宮本顕治さん、袴田里見さんらがスパイ容疑をかけた共産党員に拷問を行い、一人を死に至らしめた事件です。

当時の日本共産党は特別高等警察によって監視されていました。

特高警察が党内部に送りこんだスパイの活動で、幹部は次々と検挙。

「また捕まった」「スパイは誰なんだ」「おまえじゃないか」「いや、おまえこそ」というわけで、内部には緊張感が張りつめます。

そんななか、宮本さんらは小畑達夫さん、大泉兼蔵さんの2人をスパイと断定し、査問を行うことに。

「査問」というとソフトなイメージを受けますが、実際は取り調べという名のリンチです。

機関紙『赤旗』には、スパイ疑惑をかけられた二人についての「党規に基づき極刑をもって断罪する」という記事が掲載されます。

警視庁は、この「極刑」という言葉を見逃しませんでした。

党内部では、おそらくリンチが行われているにちがいない。

ちょうどその頃、「助けてくれ!」という叫び声を聞いたという通報があり、現場に踏み込むと、大泉さんは射殺される寸前で、小畑さんはすでに遺体となって遺棄されていました。

こうして宮本顕治さんは、治安維持法違反、監禁致死、死体遺棄などの罪に問われて無期懲役に。


ところが戦後、GHQによって政治犯の釈放が命じられ、宮本さんは釈放。

ただし、この政治犯とは主に思想犯をさし、宮本さんは釈放の対象ではありませんでした。

手違いに気づいた検事局は再び収監に向けて動きますが、GHQから指示があり、刑を無効にするという証明書が発行されます。

以上がスパイ査問事件の概要です。

1988年2月6日の衆議院予算委員会では、予算委員長を務めていた浜田幸一さんの「宮本顕治人殺し」発言がありました。

宮本顕治の二人の妻たち

宮本顕治さんには二度の結婚歴があります。

前妻は『伸子』『播州平野』などで知られる小説家の宮本百合子さん。

百合子さんは9歳年上で、宮本さんとは再婚でした。

二人は事実婚を経て1934年に獄中結婚。

事実婚では面会もままならなかったことが入籍のきっかけになったようです。

獄中の夫を支え続けた百合子さんは、自らも執筆禁止や検挙をたびたび経験。

夫妻が交わした書簡は後年、『十二年の手紙』として出版されました。

百合子さんは1951年に電撃性髄膜炎菌敗血症のため51歳で急逝。

後妻は文芸評論家で、宮本百合子さんの秘書も務めた大森寿恵子さんです。

寿恵子さんと結婚したのは1954年から1957年頃のようです。

寿恵子さんは学生時代に宮本百合子さんを知り、のちに秘書を務めました。

『若き日の宮本百合子』をはじめ、宮本百合子研究家として多くの書籍を刊行しています。

宮本顕治さんの没後、およそ2年半がすぎた2010年1月4日にこの世を去りました。


不破哲三委員長(当時)に「ご高齢ですから」と説得されて、宮本顕治さんが議長職を辞したのは88歳の時でした。

最初は「僕は、何か間違いをおかしたかね?」と訊ねたそうですから、ご本人はまだまだ引退する気などなかったのでしょう。

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