古木克明の現在は藤沢の実業家。再婚した嫁、格闘技を辞めた理由&野球での伝説

古木 克明(ふるき かつあき)さんは超高校級のスラッガーとして期待されました。

引退後は格闘技への挑戦や新たに会社を立ち上げるなど積極的に活動しています。

今回は古木さんの再婚した嫁さんや格闘技、野球の伝説などを見て行きましょう。

古木克明のプロフィール

本名:古木 克明 (ふるき かつあき)

身長:182cm

血液型:O型

出身地:三重県松阪市

生年月日:1980年11月10日

所属球団:横浜ベイスターズ (1999~2007) / オリックス・バファローズ (2008~9) ※選手歴

現在の古木克明は実業家として活動

まずは2021年現在の古木克明さんについて見て行きます。

古木さんは2016年3月に事業構想大学院大学でMPD(事業構想修士)を修了し、神奈川県の藤沢市や鎌倉市を中心とした湘南地域で自主ブランド「The Baseball Surfer」を設立しました。


この自主ブランドはアパレル事業としてパーカーやTシャツなどを販売しており、野球の楽しさだけでなく「格好良さ」も広めていくなど多くのOBとは違う視点を持っています。

サッカーやバスケットボールなどに比べると少し古臭いイメージがある野球ですが、古木さんのように見た目からも変えて行こうとする意見はとても意義深いと言えるでしょう。

野球関連では地元の藤沢や鎌倉での直接指導やオンラインを使った指導だけでなく、横浜市を拠点とする少年クラブチーム「横浜保土ヶ谷ボーイズ」を率いる監督の顔も持っています。

どちらでも野球の楽しさを第一をモットーにしており、古木さんの一人一人に寄り添った丁寧かつ熱い指導は少年や保護者たちからも支持されていることでしょう。

ちなみに、湘南に引っ越した理由はブランド名にも入っている趣味のサーフィンが大きかったそうで、時間を見つけては近くの海に行って波に乗るという理想的な生活を送っていました。

プロ野球人生は色々あって順調なものではありませんでしたが、自ら勉強したことや経験を生かして第二の人生こそは”良い波”に乗って欲しいと願うばかりですね。

古木克明の再婚した嫁や子供について

次は古木克明さんのプライベートについて少し見ておきましょう。

2005年7月1日に当時モデルをしていた池端忍さんと結婚して一女を授かりましたが、2012年7月に離婚をして娘の親権も手放したことを公表しています。

詳しい離婚理由は明らかになっていなかったものの、プロ野球選手を引退して格闘家に挑戦してみたり、再びプロ野球を目指すなど不安定な生活が原因だったのかもしれません。

2017年頃に知人の紹介で知り合った女性(Aさん)と再婚し、のちに男の子を授かっています。

再婚した奥さんや息子さんの名前などは公表されていませんが、古木さんは自身のインスタグラムに家族の様子を投稿しているので関心のある方はチェックしましょう。

新しい家族の情報は少なかったものの、幸せな家庭を築いているのは間違いなさそうでした。

格闘技を辞めた意外な理由

ここでは古木克明さんが格闘技を1年半で辞めた意外な理由を見て行きます。

古木さんは格闘技の新団体「スマッシュ」の社長だった酒井正和さんに誘われて挑戦することになり、2009年12月8日の記者会見で同団体に入団することが発表されました。

2010年12月31日の「Dynamite!」で格闘家としてのデビュー戦(対アンディ・オロゴン)を飾りましたが、5分3ラウンドを戦い抜い末に0-3の判定負けを喫しています。

デビューから4ヶ月後の2011年4月22日、後楽園ホールで開催された「DEEP 53 IMPACT」で海老名義隆選手と対戦し、5分2ラウンド戦で初勝利(2-0の判定勝ち)を飾りました。

これで勢いに乗って行くのかと思いきや、それから間もなく格闘家を引退。


引退した理由については実戦で感じた”死が間近にあるという恐怖”に加え、人生の半分以上を共にしてきた野球への想いが捨てきれなかったと明かしています。

その一方で、他の理由として「痛いのは好きじゃない」という意外な理由を披露していました。

多くのアスリートはきつくて苦しい練習を乗り越えて来ていますが、さすがに練習ですら痛い格闘技は少々の根性や精神力で何とかなる物ではありません。

古木さんは世界最強のファイターが集う総合格闘技「UFC」を本気で目指していたものの、日々の練習や実戦の恐怖もあって気持ちが続かなかったそうです。

格闘家歴は1年半と短いものでしたが、そこ得た経験は後の人生に活かされていることでしょう。

古木克明が残したプロ野球での伝説

最後に古木克明さんが遺した伝説について見ておきましょう。

今回紹介する伝説は偉大な記録などのポジティブなものではなく、守備での珍プレーや不思議な言動など少々ネガティブな内容であることを最初に記しておきます。

さて、特に伝説と語り継がれているのは2003年7月5日の対広島カープ戦における守備です。

実況のアナウンサーも思わず笑ってしまう驚きのプレーでしたが、横浜ベイスターズのOBである斉藤明夫さんは「自分の庭ですよ!」と少し声を荒げていました。

これに負けず劣らずの伝説のプレーはドーム球場で外野フライを見失ったプレーです。

風の無いドーム球場で目測を誤るのは少し心配ですが、古木さんは片方の目から涙がほとんど出ないという重度のドライアイだったので仕方がないのかもしれません。

また、古木さんはプレーだけでなく面白いエピソードも残しており、ベイスターズの大先輩である石井琢朗さんへの年賀状で名前を「石井(豚)朗」と2年連続で出していました。

これは意外と知られていない点ですが、石井琢朗さんの本名は忠徳(ただのり)さんといいます。

他にも牛島和彦監督のものと知らずにソーセージを横取りして食べてしまったことがあり、その際に「コーチのものだと思った」というツッコミどころ満載の言い訳を展開。


真面目にやっての珍プレーは仕方がないですし、その他のエピソードも少年のような心を持った古木さんらしいと笑って片付けられる内容と言えるものでした。

そんな古木さんだからこそ、子供に対してより近い感覚で熱く指導できるのかもしれませんね。

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