勝海舟の刀、剣術の腕前。船の操縦が苦手&船酔い。赤坂の邸宅跡について

幕末の英雄として人気の勝海舟(かつ かいしゅう)。

剣豪だったという情報や、船乗りとして咸臨丸(かんりんまる)を操縦したという伝説が語り継がれてきましたね。

今回は英雄である海舟の実像に迫ってみましょう。

まず彼が愛用した刀、剣術の腕前の詳細を確認します。

続いて船の操縦は本当にうまかったのか、船酔いしていたという情報に迫ります。

さらに観光スポットとして人気な、赤坂の邸宅跡地もご紹介しましょう。

勝海舟のプロフィール

幼名:勝麟太郎(かつ りんたろう) ※のちに義邦(よしくに)、安芳(やすよし)と改名

生年月日:1823年3月12日(文政6年1月30日)

死没:1899年1月19日

身長:推定157cm前後

出身地:江戸本所亀沢町(現在の東京都墨田区両国)

最終学歴:長崎海軍伝習所

勝海舟の愛用した刀

まず海舟が愛用した刀を見ていきます。

彼がとくに愛用した刀は、水心子正秀(すいしんしまさひで)です。

作刀したのは、現在(2023)の山形県赤湯出身の刀工・水心子正秀。

江戸末期に活躍し、多くの門弟を育てた人物です。

太平の江戸時代に衰退していた刀剣作りに、「古刀」の鍛錬法を復活させ、大きな足跡を残しました。

海舟は殺りくを嫌い、生涯で1度も人を斬らなかったとされています。

そのため水心子正秀を抜くことはありませんでしたが、大切に持ち歩いていたようです。

またもう1本、海舟虎徹(かいしゅうこてつ)という刀も愛用していました。

長年の功績によって、徳川慶喜将軍から贈られたと伝わっています。

作刀した刀工は長曽祢虎徹(ながそね こてつ)。

正宗(まさむね)と並び称される、刀の名工です。

彼の刀は切れ味がよく、多くの大名を魅了したといわれています。

刀は海舟も愛用したため、やがて「海舟虎徹」と呼ばれるようになりました。

1度も血に染まらなかった2本の刀は、海舟の人柄を物語る、重要な資料といえますね。

剣術の腕前

海舟は人を斬らなかったことで有名ですが、剣術については10代の頃に直心影流(じきしんかげりゅう)を極めた名手でした。

師匠である島田虎之助からすすめられた禅も学びながら、直心影流剣術の免許皆伝となります。

海舟本人が、「真剣に修行したのは剣術ばかり」と語ったほど、若き日は剣術に明け暮れていたそうです。

それだけ熱心に修行したのであれば、確実に強い剣豪だったはず。

実は彼の父・勝小吉が、「幕末の剣聖」と呼ばれた男谷精一郎の従兄だったそうです。

親戚に剣豪がいる限り、一家の名折れにならぬよう、必死に修行したのは当然ですね。

勝海舟は船の操縦が苦手だった

海舟は剣術と並び、船の操縦にも秀でていたイメージが定着しています。

海軍伝習所で学び、のちに海軍卿になった経歴から考えると、いかにも船の操縦に精通していそうですね。

とくに彼と船を結びつける有名なエピソードは、咸臨丸の渡米でしょう。

徳川幕府の軍艦だった咸臨丸は、遣米使節団の護衛船でした。

海舟が操縦を担当し、見事に太平洋を渡り切ったイメージが強いですね。

しかし実情はまったく異なりました。

実際の海舟は船の操縦が苦手だったものの、自身のイメージアップを図り、咸臨丸での出来事を誇張して語ったようです。

勝海舟の船酔い

咸臨丸で海舟は、軍艦奉行・木村喜毅(きむら よしたけ)の下で教授方頭取に就任。

いわば木村が提督で、海舟が艦長でした。

しかし出航するや、海舟は船酔いに見舞われ、船室にこもってしまったのです。


結局アメリカに着くまで、船室から3回しか出てきませんでした。

船に関する知識は豊富だったものの、操縦となると、からっきしダメだったようですね。

海舟は自身を伝説化するため、あたかも自分が咸臨丸を操縦したようにアピールし続けたのでしょう。

英雄である彼の、人間らしく微笑ましい一面がうかがえるエピソードですね。

勝海舟の赤坂邸宅跡

海舟は1871年(明治4年)の廃藩置県以降、政府の命令により東京で暮らしました。

廃藩置県の翌年から、赤坂氷川神社付近に居を構え、生涯のほとんどを赤坂で過ごしています。

彼の邸宅は、今の「本氷川坂」の下にありました。

邸宅は現存していませんが、跡地であることを示す案内看板があります。

また赤坂には海舟と坂本龍馬の銅像もあるため、幕末ファンであればきっと気分が盛り上がるでしょう。

赤坂は幕末の志士に憧れる人々にとって、最高の聖地といえます。

海舟や邸宅を訪れたであろう坂本龍馬に思いを馳せながら、赤坂周辺を歩いてみれば、感動すること間違いなしですね。


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