池田勇人の家系図と子孫。3人の娘は名家に。オリンピックと流行語、自民党カレーの発祥

所得倍増計画によって高度経済成長を推進した、元内閣総理大臣の池田勇人(いけだ はやと)。

家系図から子孫と息子について確認し、池田家にはほかにも有名人がいるか確認しましょう。

また東京オリンピック当時の首相としてのエピソード、彼が発した流行語をご紹介します。

併せてカレー好きの一面にも迫りましょう。

池田勇人のプロフィール

本名:池田勇人

生年月日:1899年12月3日

死没:1965年8月13日

身長:約160cm

出身地:広島県竹原市

最終学歴:京都帝国大学法学部(現在の京都大学)

池田勇人の家系図と子孫。息子はおらず名家に嫁いだ娘が3人

池田の家系図をひも解くと、名家出身の人々が多いとわかります。

彼は生涯に2人の妻を持ちました。

前妻の直子は、伯爵・広沢金次郎の三女にあたります。


大学卒の大蔵官僚だった池田にとって、華族の令嬢である直子との結婚は釣り合いが取れていたのです。

しかし池田が難病を患った際、看病に疲れた直子は狭心症を発症し亡くなってしまいます。

その後、親戚にあたる医者の娘・満枝を後妻に迎え、3人の娘をもうけました。

前妻と同じ名前をつけられた長女・直子は、金融王・近藤荒樹の長男・近藤荒一郎と結婚します。

直子にとって義母にあたる女性は、旧皇族の北白川家の親戚筋です。

彼女の結婚によって、池田家は皇族ともつながりを作ったといえます。

二女・紀子は大蔵官僚の池田行彦と結婚。

三女・祥子は、「ブリヂストンタイヤ」会長・石橋正二郎の甥である石橋慶一と結婚しました。

池田家は石橋家との結婚により、鳩山一郎や三井財閥の團一族とも親戚筋となります。

池田には直系の息子がいませんでしたが、義理の息子たちはいずれも名家の御曹司だったのです。

オリンピックを見守りながらの闘病

1964年の東京オリンピック開催に伴う、オリンピック景気をもたらした池田。

オリンピック開催の功労者というイメージがありますが、彼自身はオリンピック開催時、病の床にありました。
 
9月9日に入院し、「前がん状態」と公表していた彼は、10月10日の開会式に病院から出席。

オリンピックの競技はテレビを通して、病室から楽しんでいたそうです。

とくにマラソンの円谷幸吉選手が3位に入賞したことを喜んでいました。

そして10月24日の閉会式は欠席し、翌日に退陣を表明。

後継総裁には、佐藤栄作を指名しました。

そして翌年の1965年8月13日に65歳で亡くなります。

早すぎる死でしたが、オリンピックを最後まで見守ることができた点で、安心しながら息を引き取ったのかもしれません。

池田勇人の流行語「私は、噓は申しません」

池田は歴代首相の中でも、流行語や失言など、著名な発言が多い人物です。

有名な流行語には、「私は、嘘は申しません」があります。

彼は日本で初めて、テレビを政策に活用しようとした政治家でした。

1960年の総選挙時には、自民党のCMに出演。

これまで失言が多かったため、つい本音を言ってしまうイメージを逆手にとって、「私は、嘘は申しません」と発言しました。

この言葉は流行語となり、彼は国民にとって親しみやすい存在になったのです。

失言の中には、メディアに歪曲され、本人の意思に反した形で報道されたものもあります。

もっとも有名な失言は、「貧乏人は麦を食え」という言葉です。

大蔵大臣だった当時、米価高騰について、「所得の少ない人は麦、所得の多い人は米を食う方向へ持っていきたい」と答弁。

発言の趣旨は、低所得者が米を食べられるようにしたいからこそ、「需要と供給に左右される米価に介入しない」とのことでした。


また池田自身も米事情によって、当時は麦を食べていたそうです。

しかし発言は、「貧乏人は麦で我慢しろ」という意味合いに受け取られ、バッシングされてしまうのです。

とくに池田はマスコミに嫌われていたため、発言の度に歪曲された形で報道されていたといいます。

しかし彼の明快な言葉には、国民の心に直接訴える力がありました。

今では「失言王」というより、「人気のリーダー」としてのイメージが定着しているようですね。

マスコミの意思に反して、国民は池田の明快で人間味ある言葉を好んでいたのでしょう。

池田勇人はカレー好き。自民党カレーの発祥

裕福な家庭で育った池田ですが、意外にもカレーライスが大好きという庶民派の一面がありました。

首相になってからもほぼ毎日カレーを食べ、来客に対しては、ホテルから注文したカレーをごちそうしたといいます。

自民党内の会議でも、料亭での会食の代わりに、「カレーライスの会」を行いました。

カレーを食べながら政策を議論し合うスタイルは、今でも永田町で受け継がれています。

味覚が庶民派だったからこそ、カレー会議によって親しみやすい印象をもたらすことに成功したのです。


ただ彼が食していたのは、帝国ホテルの高級カレーだったという情報もあるため、実際は庶民派とはいえないでしょう。

それでも池田は、わかりやすい言葉と嗜好によって、首相の中でも親しみやすい存在だったといえますね。

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