非核三原則の提唱や沖縄返還の実績で知られる政治家の佐藤栄作(さとう えいさく)。
第61~63代目の内閣総理大臣として、8年間にわたり国政で重要な役割を果たした人物ですね。
彼の家系図をひも解くと、ほかにも総理大臣や著名な政治家と親戚関係にあることがわかりました。
今回は栄作の家系図から、兄の岸信介について、また政治関係者となった子供、孫の詳細を確認します。
また最後に、栄作3兄弟の情報をまとめましょう。
佐藤栄作のプロフィール
本名:佐藤栄作
生年月日:1901年3月27日
死没:1975年6月3日
出身地:山口県熊毛郡田布施町
最終学歴:東京帝国大学法学部独法科(現在の東京大学法学部)
佐藤栄作の家系図を確認。兄は岸信介
栄作の家系図の中でもとくに注目すべき人物は、第56~57代内閣総理大臣・岸信介でしょう。
この兄弟眼力強すぎてどう見てもヤクザにしか見えないんよなぁ・・・
岸信介も佐藤栄作もタバコ吸ってるシーンやばそう・・・ pic.twitter.com/ssm8JjZnvy— もののふ@元ハヤテ侍 (@hayatezamurai) August 6, 2019
苗字は異なっているものの、信介は栄作の次兄にあたります。
彼は山口中学の3年生だった年に、父・佐藤秀助の実家・岸家の養子になりました。
育った環境は異なりますが、兄弟そろって内閣総理大臣を担当。
さらに信介の孫も安倍晋三元首相のため、歴代内閣総理大臣が複数存在する、華麗な家系であることがうかがえますね。
佐藤栄作(さとうえいさく)
岸信介(56代、57代内閣総理大臣)と佐藤栄作(61代、62代、63代内閣総理大臣)は実の兄弟。#ディープステートしりとり
「く」 pic.twitter.com/ffzHImOueF
— べんじゃみん∞🇯🇵🗣世界同時デモ@京都7月24日仕事サボって参加します!Free Speach (@benjamin_namico) August 17, 2020
1954年、「文藝春秋」の1月号で、兄弟は対談を果たしています。
2人はドイツ法が専門であり、東京帝国大学在学中に高等文官試験に合格したという共通点がありました。
また戦後は同じ選挙区から出馬し、代議士となっています。
本人たちは意識していなかったかもしれませんが、自然に同じ方向を目指していたようですね。
信介は対談で、「政治家兄弟は仲良くあるべきか」について考察していました。
「あまり仲の良さを見せるなと言う者もいるが、仲が悪いんじゃないかと心配する者もいる」と発言。
表舞台ではどのような兄弟仲を見せるか、試行錯誤していたことがうかがえますね。
ただ信介兄弟はタイプが似通っているからこそ、きっと仲が良かったのでしょう。
馴れ合っている様子を見せないようにしつつ、心の中で常に互いを気遣っていたのかもしれませんね。
子供はJR取締役と政治家
栄作には、妻・寛子との間に、息子が2人いました。
長男の佐藤龍太郎は、JR西日本取締役を務めた人物です。
次男の佐藤信二は、父と同じく政治家になりました。
父晋太郎が急死が晋三を首相に。
昔は林義郎の子・林芳正現文相・山口県の参院議員が有力視されていた。林は2012年総裁選に。
また山口県には、佐藤栄作の次男、佐藤信二衆議員故人が首相になる可能性もあった。
郵政民営化に反対。政界引退後
父と米大統領との密約・沖縄返還時の機密を公開した。 pic.twitter.com/yl8I27CP8Y— 🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸由🌸良🌸哲🌸次🌸故人ではない (@jitsute_rayu) August 25, 2018
慶應義塾大学法学部を卒業し、日本鋼管株式会社(現在のJFEスチール)に入社。
1974年の参議院議員選挙において全国区で初当選し、政治家となりました。
沖縄開発の政務次官を務め、1979年の衆議院議員総選挙では、旧山口2区へ出馬。
衆議院議員に当選し、父が率いていた佐藤派の流れを汲む竹下派に属しました。
竹下登改造内閣には、運輸大臣として入閣。
その後の第2次橋本内閣では通商産業大臣を務め、1998年の自民党総裁選では小渕恵三の対抗馬を支持したことで派閥を離脱しました。
また台湾においては、日華議員懇談会の前会長を務めた功績を讃えられ、2008年に「大綬景星勲章」を授与されます。
「大綬景星勲章」は、台湾が外国人議員に贈る、最高栄誉の勲章。
栄作・信二親子は、いずれも台湾との国交を維持するため、長年努力していたそうです。
台湾の人々にとって、2人は台湾と日本の架け橋として、尊敬すべき人物なのでしょう。
佐藤栄作の孫は政治家の妻
栄作の孫で、信二の娘にあたる女性は、政治家の妻となりました。
名前は実花さんです。
夫の阿達雅志さんは、弁護士出身の政治家で、自民党議員や内閣総理大臣補佐官を歴任してきました。
彼もまた、義理の祖父と父の努力を受け継ぎ、日台の友好関係を築くために尽力しています。
「両国は交流を深め、日頃から信頼関係を築くべきだ」と訴え、産業連携の必要性を述べました。
日台の民間企業が強いパイプを構築すれば、日本産食品の輸入規制問題も解決しやすくなると主張しています。
彼は佐藤一族の3代目として、祖先が築き上げた日本と台湾のきずなを強めようと、胸に誓っているのでしょう。
佐藤栄作3兄弟
栄作には長兄・佐藤市郎、次兄・岸信介という2人の兄がいました。
ほかに姉と妹が4人ずついましたが、男兄弟の中では三男の栄作が末っ子です。
長兄の市郎は兄弟の中で唯一、政界ではなく海軍の世界へ進みました。
さらに、佐藤市郎という中将がいた。岸信介、佐藤栄作元総理の兄で安倍前総理の大叔父にあたる。海軍兵学校史上最高成績で卒業した人で「頭の良さは市郎、私、栄作の順だが政治力は真逆」と弟の岸が述べている。頭がキレすぎて(政治力がなくて)結果的に海軍を追い出される。 pic.twitter.com/p4Dy1R1o4B
— 米澤光司(BEのぶ)@歴史バガボンド (@yonezawakouji) December 27, 2020
海軍兵学校を優秀な成績で卒業し、1920年からはフランスに駐在。
1923年に軍令部参謀となり、7年後の「ジュネーブ海軍軍縮会議」では日本海軍の代表者として出席。
国際的な軍人として長きにわたって活躍しました。
3兄弟を知る人々によると、頭脳は市郎・信介・栄作の順番に良かったそうです。
ただし度胸と政治力は、下の栄作から順番に優れていたといいます。
3兄弟はそれぞれ得意な分野に進み、手腕を発揮したからこそ、全員が歴史に名を刻むことになったのでしょう。
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