文系・理系の垣根を軽々と越える執筆活動と、そのあくなき知的好奇心から「知の巨人」と呼ばれる立花隆(たちばなたかし)さん。
2020年4月30日、80歳でその生涯を閉じました。
結婚した妻との間に息子をもうけ、その後離婚したことはわかっていますが、再婚はしたのでしょうか。
有名な猫ビルの事務所、今の家族にも注目します。
立花隆のプロフィール
本名:橘隆志
生年月日:1940年5月28日
死没:2021年4月30日
血液型:A型
出身地:長崎県 長崎市
最終学歴:東京大学文学部フランス文学科
立花隆が死去、不屈のジャーナリストの功績
死因は急性冠症候群、葬儀は樹木葬
立花隆さんは2020年4月30日に逝去されました。
葬儀は家族でのみで見送られ、死去の公表も6月23日と死去から2ヶ月近く経ってからでした。
生前からの本人の希望で、樹木葬という形式で葬儀が執り行われました。
立花さんの死因は、急性冠症候群です。
急性冠症候群は冠動脈がふさがり、それによって心筋梗塞か狭心症を発症させる病気です。
知の巨人、立花隆の好奇心と経歴
立花隆さんは、人間に大切なものは好奇心と明言してきました。
自分の好奇心に気づくためには、アンテナを立てて書店の中を歩いてみることを若い人たちに勧めています。
何か引っかかってくるものがあれば、それがその人の好奇心の核という考えです。
立花さんいわく、「知りたい」という欲求は食欲や性欲と同じ本能的欲求であり、その知的欲求が文化や科学を発達させてきたとのこと。
それこそが、立花さんを知的活動へと突き動かす原動力だったのでしょう。
ジャーナリストとして一躍注目を浴びたのは、1974年に『文藝春秋』に発表した『田中角栄研究』でした。
会社や土地の登記簿などを調べ上げ、時の最高権力者・田中角栄首相の金脈を追及したこの調査報道は、田中内閣退陣のきっかけをつくります。
当初、金権政治が当たり前だった時代はどのメディアもそのことを記事にすることはありませんでした。
田原総一郎さんいわく、立花さんは命をかけて執筆したとのこと。
しかし、文春の記事が出た後も、どの新聞も記事にすることはなく沈黙しました。
田中角栄首相が日本外国特派員協会での会見を開いてから、ようやく後には続くことに。
立花隆さんが正義を貫き、「命懸けのジャーナリスト」として語られるたる所以でもあります。
以降、政治・社会・宇宙・先端科学などジャンルを超えた多数の著作を発表してきた立花隆さん。
宇宙飛行士の野口聡一さんは『宇宙からの帰還』を読んで宇宙飛行士になる決意をしたと明かしていますね。
意外なところでは、スタジオジブリの『耳をすませば』に主人公の父親役で声の出演をしたことも。
その第一声を聞いた宮崎駿監督は大喜びだったそうです。
実生活で存在感ある人間のほうがいい声を出すんです。たとえ下手でも。『耳をすませば』のお父さん役で評論家の立花隆さんに出ていただいたこともあります。「娘の部屋に、ノックもしないで入るお父さんなどいるはずがないよ」とかってシナリオにいろいろ文句をつけていましたけど(笑)。
— 宮さん(宮崎駿)bot (@miyasan_bot) October 9, 2017
これまで自身の蔵書や仕事の方法論について書いた本はあったものの、あまり自分について語ることはなかった立花隆さん。
2020年1月には自叙伝『知の旅は終わらない』を刊行しました。
もはや長く生きるための努力などはせず、その時がくれば死ぬまでと綴る一方で、書きかけの作品への未練がうかがえる文面も。
膀胱がんの病歴もあるため体調が気にされていましたが、自宅近所の住民によると、時おりスーパーの袋を片手に歩いている元気そうな姿を見かけたとのこと。
晩年まで、おそらく膨大な資料や本の山に囲まれながら、忙しい日々を送っていたのではないでしょうか。
東洋経済★立花隆と考える、自然界との正しい向き合い方 人間の価値体系を押し付けるとどうなるのか https://t.co/DHZetY5efx @Toyokeizaiより
私にとっては久々の(知の巨人)#立花隆 氏の論考
『エコロジーから読み解く、価値概論序説』って感じですか?— 裕次郎 (@Yuh_artisan) September 20, 2020
立花隆の名物事務所、猫ビルとは
新刊のサブタイトルに「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」とあるように、数万冊にのぼる蔵書を抱えている立花隆さん。
書斎兼書庫として建てたビルが立花隆事務所、通称「猫ビル」です。
「猫ビル」と呼ばれるのは、壁面に巨大な猫の顔が描かれているから。
猫好きの立花さんらしいですね。
猫の顔は、このビルが建てられた1991年に島倉二千六(しまくらふちむ)さんが描いたもの。
住所は公開されており、東京都文京区小石川2の18の12。
地上3階地下1階建てで、地下にはワインセラーがあるそうです。
散策がてら、猫ビルの外観を見学にくる人も多いようです。
猫の絵が完成した時は、これからいつも猫ににらまれて暮らすのかと真向いの住人がぼやいたそうですが、確かにインパクトがありますから気持ちもわかります。
とりわけ黒猫にはネガティブなイメージを抱く人も多いはず。
90年代初頭だったから事なきを得たかもしれませんが、今のご時勢では近所の住民に訴訟を起こされかねないレベルでしょう。
立花隆の結婚と息子、再婚や今の家族
立花隆さんは著作で離婚したことを記しています。
別れた妻は翻訳家の橘雅子さんで、すでに2000年にがんにより他界しています。
橘雅子さんは津田塾大学を卒業し、立花隆さんと結婚して男児をもうけますが、5年ほどで離婚。
その後、彼女は働きながら一人息子を育て上げ、息子が就職したのを機に人生の再出発としてイギリスに留学しました。
ロンドンでの交遊録をまとめたのが『女50歳からのわたし探しのロンドン留学』です。
肺がんが発覚したのはイギリス留学から帰国した直後でした。
『飛鳥への伝言―がん宣告の母から息子への50通の手紙』は、愛する一人息子のために残した闘病記といえるでしょう。
闘病中は立花隆さんも病院に同行するなど元妻を支え、その最期も看取ったといいます。
その後立花さんが再婚したかどうかに関心を寄せる人も多いようですね。
ネット上には、ある病院の病院長の令嬢と再婚したという声がみられますが、これを裏付ける確証は得られませんでした。
再婚した妻はいるのか、再婚でもうけた子供はいるのかといったことははっきりしておらず、家族構成も不明です。
当サイトのコメントに、立花さんの娘と同じ高校だったという情報をいただきましたが、もし事実なら再婚されていたということになりますね。
政治・経済から医療、宇宙、環境問題、哲学など執筆テーマが多岐にわたり、ベストセラーも多い立花隆さん。
著書を読み、その博識に圧倒され、「知る」ということの醍醐味を教えられた読者は多いのではないでしょうか。
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コメント
立花隆さんの著書『文明の逆説』に
ハワイの博物館に人類の墓が建てられた。
その墓碑名に曰くこの種族は2万年前に生まれ、非常に繁栄したが、自らが作り出した
廃棄物と有害物と人口のため2030年に滅びた。 と
5年ほど前、ハワイの人類の墓がある博物館を探しにいきましたが見つけらませんでした。
今の世界情勢からあながち間違っていないような気がするのですが、
誰かハワイの博物館の名前をご存じないでしょうか。
高校の時、一学年下に立花隆さんの娘さんがいました。再婚は恐らく間違いないかと思います。
2030年とはもうすぐですね
我々の事でしょうか
もっと詳しく知りたいです
佐々木千賀子さんの「立花隆の秘書日記」の中に、秘書をやめるときに(1998年)これからは妻がやりますと言われたとあるし、佐々木さんが入院したとき、立花さんが娘さんを抱いて 見舞いにこららた場面があります。