五木寛之の現在。妻や子供と家族。母の死はトラウマ、弟は早逝

連載開始から足かけ50年になるシリーズ最新刊『新 青春の門』が2019年秋に刊行された五木寛之(いつきひろゆき)さん。

『大河の一滴』『生きるヒント』などのベストセラーを何冊も持ち、長きにわたりトップランナーとして活躍する作家です。

2021年に89歳を迎えることから体調を心配するファンもいるようですね。

今回は2021年現在の状況を追いながら、妻、子供など家族についてみていきます。

さらに五木寛之さんの人生に暗い影を落とした戦争、母と弟の死についてもまとめます。

五木寛之の現在

ロマンスグレーの豊かな髪がいつもおしゃれで、すらりとした体型を保っている五木寛之さん。

生年月日は1932年9月30日、出生地は福岡県八女郡、最終学歴は早稲田大学第一文学部中退です。


小説家としてデビューする前は業界誌編集長、ラジオ番組制作、構成作家を経験。

松坂慶子さんの『愛の水中花』など作詞家としての顔もあり、世界の著名人と数多く対談した「対談王」でもあります。

坪田譲治文学賞、吉川英治文学賞、直木賞など名だたる文学賞の選考委員も歴任してきました。

23年ぶりに連載を再開した『青春の門』シリーズは、2019年9月に第9部となる漂流篇が刊行。

昭和を描くことへの著者の情熱が伝わってくるようです。

2021年に89歳を迎える五木寛之さん。

サライ4月号には健康に関するコラムを寄稿しており、高齢にもかかわらず第一線で活躍している様子がうかがえます。

体重も20歳の時から変化なしといいますから、さぞや健康に気を遣っているのだろうと思いきや、健康的な生活とはほど遠い毎日なのだそう。

仕事は完全な夜型で、朝に寝て午後に起きるという生活を50年。

戦中・戦後育ちなので食生活にも無頓着。

運動習慣もないそうです。

五木寛之さんいわく、健康の常識や健康法はコロコロ変わるから、自分の体質を知って自分に合った生活をするのがいちばんなのだそう。

高齢になってさすがに老いは感じるものの、自分の直感を信じて養生しているとのことでした。

例えば、何かをする時は体に予告すること。

食事の際に「今から食べるぞ」と体に話しかけて誤えんを予防したり、重いものを持つ時は「これから重いものを持つぞ」と言い聞かせて体に準備させるようです。

確かに、無意識に体を動かすと思わぬ怪我をすることがありますから、意識することは大切なのでしょう。

五木寛之の妻や子供など家族について

五木寛之さんは1965年、学生時代から交際していた岡玲子さんと結婚しました。

玲子さんは金沢市長を務めた岡良一さんの娘で、早稲田大学文学部と東邦大学医学部を卒業した精神科医。

五木寛之さんの旧姓は「松延」といいますが、玲子さんの親戚の五木家に跡継ぎがなかったことから五木姓を名乗るようになります。

同年、夫妻はソビエト連邦や北欧を旅行。

これが新婚旅行だったのかもしれません。

その後は妻の故郷・金沢で暮らし、小説の執筆にとりかかります。

モスクワでの体験をもとに描いたデビュー作『さらばモスクワ愚連隊』が小説現代新人賞を受賞したのは結婚の翌年のことでした。

のちに玲子さんは版画家として活動。

『大河の一滴』『運命の足音』ほか五木寛之さんの書籍の装画も手がけています。

五木寛之さんは装丁にこだわりが強いらしく、本は自分にとっては子供と同じと語ったことも。

実際の子供については情報が一切ありませんでした。

ですが、「私には子供はいないが、自分の本が息子や娘だと思っている」と発言したという情報があり、これが事実だとすれば子供はいないことになります。

五木寛之の母と弟はともに40代で死去

終戦直後のピョンヤンでソ連兵が母親に行った蛮行を、『運命の足音』で告白するまで57年間も胸に秘めていた五木寛之さん。

ご本人の言葉によると、それは一生消えないトラウマであり、忘れようにも忘れられない光景なのだそうです。

父・松延信蔵さんと母・カシエさんはともに教員で、寛之さんの生後まもなく朝鮮半島に渡りました。

12歳で迎えた敗戦が、自分を取り巻く世界も人生も変えてしまったと振り返ります。

ある日大勢のソ連兵に踏み込まれ、銃を突きつけられて裸で壁際に立たされた父。

別の兵士は、体調がすぐれず寝ている母の布団をはぎ、ブーツの先で浴衣の襟元をはだけると、胸を踏みつけました。

母の口から血があふれたのは病気による吐血なのか、みずから舌を噛み切ったのかわからないと綴っています。

翌月に母は41歳で死去。

愛妻を失った父は茫然自失になり、長男だった寛之少年はソ連軍の宿舎に物乞いに行って、雑用をこなして家族の食料を調達しました。

一家がようやく日本に引き揚げてきたのは2年後のことです。

7歳年下の弟・邦之さんは作家となった寛之さんの片腕として苦労をともにした仲でした。

1981年に病気のため40代のはじめで亡くなった弟の思い出のために、法隆寺を見下ろす丘に石碑を建てています。


そこには母の遺髪や父の遺骨も納められているそうです。

本当に不幸なのは引き揚げることができなかった人たちであり、生きて帰ってきた自分にはずっと後ろめたさがあったと語る五木寛之さん。

休筆して龍谷大学で仏教史を学んだのは、敗戦時の忘れがたい体験があったからかもしれません。

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