安倍内閣の官房長官を経て、第99代内閣総理大臣となった菅義偉(すが よしひで)さん。
日本のリーダーである菅さんが、どのような家庭で育ったのか気になる人は多いでしょう。
菅家の家系図を確認し、兄弟、生い立ち、父親の実家がいちご農家という情報を確認します。
併せて母親の実家についても見ていきましょう。
菅義偉のプロフィール
生年月日:1948年12月6日
身長:推定165cm前後
出身地:秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現在の湯沢市秋ノ宮)
最終学歴:法政大学法学部政治学科
菅義偉の家系図&兄弟。兄はおらず姉が2人と弟が1人
菅さんの家系図を見ていきましょう。
菅家は秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現在の湯沢市秋ノ宮)にあるいちご農家でした。
家族は父・和三郎さん、母・タツさん、姉2人、菅さん、弟1人の6人です。
菅さんの「兄弟」が気になる人が多いようですが、正しくは「4人姉弟」でした。
父である和三郎さんは「秋の宮いちご」のブランド化に成功し、湯沢市いちご生産集出荷組合の組合長を務めました。
国産いちごの生産も極一部の地域になってきました。
ただいまミカドで使っているいちごは秋田の『秋の宮』
12月頃までは国産いちごの入荷が難しい時期になってきますが、可能な限り国産にこだわっていきます。 pic.twitter.com/mULieF7crv— MIKADO (@cake_mikado) July 9, 2019
2010年に92歳で亡くなった際は、旭日単光章を叙勲されます。
いちご生産において、大きな業績を残した人物であることがうかがえますね。
また母のタツさんや叔父、叔母は学校教員でした。
さらに2人の姉も農家を継がずに学校教員となります。
菅さんは長男だったため、父からいちご農家を継ぐよう求められていたそうです。
しかし反抗心のある青年だったようで、家族と同じ道を進むのを拒絶。
農家も教員も眼中にはなく、集団就職で上京するのです。
家出同然で上京したそうですが、実は和三郎さんは息子の意思を尊重していたとのこと。
息子には押し付けられた道を進むのではなく、自身の夢を追い続けて欲しいと考えたのでしょう。
菅さんの弟については詳しい情報がないものの、おそらく兄に代わっていちご農家を継いだ可能性が高そうですね。
菅義偉のエリートらしい生い立ち。父親はカリスマ的いちご農家
菅さんは先述の通り、いちご農家で育ちました。
菅義偉(すがよしひで)総裁就任。
この人は秋田県出身でいちご農家の長男として生まれた。家業の後を継いで安泰…ではなく『東京に行って人生変えるぜ!』という夢追い思考で上京。その後、ダンボール工場を『働くってきついやん…😰』ということで2ヶ月で辞めたけど今や総裁。面白い人やんけ😂 pic.twitter.com/j3jbAPeOLG— 古屋謙太 (@kenchan07085) September 14, 2020
実家は豪雪地帯だったため、冬は通学に一苦労したようです。
自宅からもっとも近い秋田県立湯沢高校でさえ、普段から通学に2時間かかったといいます。
必死に通学していた事実と、農家の息子という肩書きにより、菅さんは「田舎の苦労人」というイメージが浸透しているようですね。
首相になる際はそのイメージを逆手に取って、「苦労人出身の首相」である点をPRするのが戦略だったようです。
しかし無名時代の菅さんは、「田舎出身のイメージを消したい」と考え、農家を継がずに上京したのかもしれませんね。
ただし菅家の実情は苦労した農家というより、いちご栽培に大成功した「エリート農家」でした。
父の和三郎さんは太平洋戦争末期に、南満州鉄道の職員として日本の降伏を知りました。
引き揚げ後は故郷の秋田県で稲作に従事します。
しかし稲作だけでは生活が苦しかったため、より高収入が見込める作物を育てようと決意。
そこで考えたのが、国産いちごのブランド化でした。
豪雪地帯の気候を活かしつつ、試行錯誤の末に「秋の宮いちご」の生産に成功。
寒冷地だからこそ、いちごの生産時期をほかの土地とずらすことで、徐々に市場規模を成長させていきます。
さらに東京や大阪でも販売ルートを開拓した結果、実の引き締まったおいしいいちごは全国で評判となりました。
いちごは和三郎さんの名前にちなみ「ニューワサ」と名付けられ、市場では「ワサ」で通用するそうです。
カリスマ的な父を持つ菅さんは、今では一流いちご農家出身であることを誇りに思っているのでしょう。
菅義偉の母親は教師
菅さんの実家がいちご農家であることは有名な話です。
しかしこれまで見てきた通り、いちご農家だったのは父の和三郎さんでした。
では、母のタツさんはどのような家庭で育ったのでしょうか。
タツさんは先述の通り、学校教員を務めていました。
地元の人々によれば、彼女の実家は秋ノ宮樺山地域にあるとされています。
菅さんの実家から役内川を渡り、北東方向を進んだ1キロ圏内にあるそうです。
家が近いため、和三郎さんとタツさんは結婚前から長く交流していた可能性が高いですね。
母の実家には今も一般の人が暮らしているため、詳細は明かされていません。
住人がタツさんの親戚筋の人かは不明ですが、空き家ではないことがわかりましたね。
タツさんは教員のため、実家の人々はインテリだった可能性が高いでしょう。
父の和三郎さんも、単に農業作業をしていたわけではなく、戦略を立てていちごをブランド化させるインテリでした。
さらに町会議員も務めるエリートでもありました。
つまり菅さんは本当の意味で「農家出身の苦労人」ではないのです。
菅さんは働きつつ勉強に励んだそうですが、エリートのDNAを継いでいた時点で、いかにも首相らしい経歴の持ち主といえますね。
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