菅 義偉(すが よしひで)さんは秋田出身で若い頃は色々と苦労をしていたそうです。
弟も上京後に実業家として成功した話や、妻が再婚だったとの噂も流れていました。
今回は菅さんの父や兄弟、息子が結婚して孫が産まれた件などを見て行きましょう。
菅義偉のプロフィール
本名:菅 義偉 (すが よしひで)
出身地:秋田県雄勝郡 (現:湯沢市)
生年月日:1948年12月6日
主な役職:内閣総理大臣(第99代) / 内閣官房長官 (第79・80・81代)
ニックネーム:ガースー
菅義偉の妻はバツイチで再婚?
まずは菅義偉さんの妻がバツイチで再婚だったという噂を見ておきます。
1978年に当時30歳だった菅さんは5歳年下の真理子さんと結婚していますが、総理大臣に就任してから一部週刊誌で「バツイチだった」という情報が流れていました。
菅さんは公人中の公人である総理の立場ということもあって反応はしておらず、事務所関係者が暗に認めるようなそぶりを見せていたので事実である可能性が高いです。
報道では静岡県静岡市出身の真理子さんが農家に嫁いで1年前後で離婚をしたという記述がありましたが、元夫や離婚理由など詳しい事情は明らかになっていませんでした。
ただ、離婚はスキャンダルではないので事実だとしても責められることではないでしょう。
真理子さんは人前に出るのを嫌がる性格と言われていますが、もしかすると離婚歴を必要以上に掘り返されることに対する警戒感があるのかもしれません。
実際、真理子さんは菅さんが総裁選に出馬する時に”離婚する”と漏らしたこともあるらしく、スポットライトを浴びることへの拒否感や抵抗感が強いことが伺えました。
ファーストレディーになってからは国内外のパーティーなどにも出席しており、自分の信念よりも菅さんや日本国の外交を優先するという責任感の強さを見せています。
様々な情報を総合すると真理子さんは過去に離婚をしていた可能性が高いですが、ひとつの生き方として全く恥じ入るようなことでは無いので何も言うことはありません。
あえて何か言うとすれば、菅さんだけでなく真理子さんも慣れない環境で心身共に疲れてるでしょうから、体調管理には十分気を付けて欲しいと願うばかりです。
菅義偉は3人の孫がいるおじいちゃん
次は菅義偉さんが目に入れても痛くないほど可愛がっている孫を見て行きましょう。
義偉さんの子供で結婚が確認できたのは長男の正剛(せいごう)さんと三男のふたりです。
さっそく孫の人数について調べると、義偉さんが自分の似顔絵キーホルダーを三個貰った際に「孫が三人だからちょうど良かった」と発言しているので間違いないでしょう。
内訳は総務省問題で話題になった正剛さんに子供が二人いることが週刊誌で報じられていたので、そこから逆算すると三男の子供は一人ということになります。
また、国会答弁で「全集中の呼吸で答弁する」と発言したのも孫の「鬼滅の刃」好きが影響したそうですが、有言実行してカッコイイおじいちゃんになって欲しいですね。
当然のことではありますが、孫たちの名前や年齢などは明らかになっていません。
菅義偉の父親はイチゴ栽培で地元に貢献
菅義偉さんの父親やイチゴ栽培での成功話について見て行きます。
父親は和三郎(わさぶろう)さんといい、1916年頃に秋田県雄勝郡(現:湯沢市)で誕生しました。
第二次世界大戦中に秋田県から満州に渡って「南満州鉄道」の職員として働き、1943年に同郷の知り合いで教員をしていたタツさんと結婚をしています。
終戦後の1946年に大陸から引き揚げ後は地元の雄勝郡(雄勝町)でいちごの生産を開始。
稲作農家の副業として作られていたイチゴは各自で出荷していたことから買い叩かれており、より利益を上げるために和三郎さんが中心となってイチゴ栽培組合を結成しました。
生産や出荷を一元化するだけでなく、豪雪地帯というマイナスになりかねない過酷な条件を逆手にとって季節外れの出荷を成功させるなど創意工夫にあふれた人物だったそうです。
また、品種改良を進めて「ニューワサ」などのブランドを完成させ、他の産地にマネをされると苗を冷蔵して収穫時期をズラすという奇策でイチゴ価格が暴落するのを回避しました。
和三郎さんは地域貢献の一環として雄勝町議会で4期ほど議員を務めましたが、5期目の選挙では仲間の応援に力を入れ過ぎて自分が落選するという豪快なエピソードも持っています。
その後も地域の発展やイチゴの流通に取り組み、2010年6月28日に92歳で亡くなりました。
故菅和三郎氏(菅義偉ご尊父)▼ご葬儀
横浜からも大勢の支援者が参列し、盛大なご葬儀が営まれました。ご逝去されたお父様の和三郎氏は、いちごの生産、集荷、出荷を一手に担う組合を立ち上げた責任者でもあり、地元の産業を作り上げた名士です。 pic.twitter.com/XeYN1uusvZ— 「貧すりゃ鈍する」 (@mgsay) August 7, 2015
義偉さんは農家を継がずに上京して政治の世界へ進みましたが、もしかすると立派過ぎる父親に対する劣等感や反発心のようなものがあったのかもしれませんね。
ちなみに、親子は勘当同然で不仲という記述も見受けられますが、実際には和三郎さんも上京したことに理解を示し、義偉さんも連絡を取るなど普通の家庭と変わらないそうです。
菅義偉の姉は国立大卒で高校教師に?
次は菅義偉さんの姉について見て行きましょう。
義偉さんには1944年6月に生まれた純子さん、1945年10月に生まれた名前非公表の姉がいます。
姉妹は帰国後に大学へ進んで母親のタツさんと同じ教員の道に進んでおり、どちらかは分かりませんが国立の「北海道教育大学」へ入学したと言われていました。
なお、1963年前後の大学進学率(女子)が10%程度だったことを考えると、純子さんたち姉妹は学力だけでなく経済的にも恵まれた環境にあったと言えます。
姉たちに関する情報は特にありませんが、存命であれば幸せな老後を送っていることでしょう。
菅義偉の弟は自己破産後に異例の出世を遂げた
ここでは菅義偉さんの弟について見て行きます。
弟は秀介(ひですけ)さんといい、年齢は義偉さんの3歳年下(1951年5月1日生)でした。
1974年3月に慶應大学(商学部)を卒業し、1989年1月に「ヒデ製菓」という菓子会社を起業。
創業間もなく東京駅のキヨスクを借りることができてピークには1日100万円を超える売り上げを出しましたが、2002年10月に破産(会社と秀介さん個人)を宣告されました。
秀介さんは破産後に半年ほど病院の介護職として働いていましたが、その後にJR東日本の関連子会社「千葉ステーションビル」に営業部付きの部長として迎えられています。
2010年には同社の取締役に就任し、他にも5つ前後の会社で役員を務めるまでに出世しました。
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— 毎朝新聞 電子版 🦅 (@maicho_jp) October 14, 2020
普通であれば創業間もない会社が”東京駅のキヨスク”を借りることは難しいですし、破産宣告された人物が”営業部付きの部長として入社”することも難しいでしょう。
もっとも、義偉さんとJR東日本グループは昔から親しい関係だったそうですが、その事と秀介さんの栄達にどのような関連があるのかは明らかになっていません。
なんとも怪しい雰囲気が漂っていますが、ここは兄の七光りということにしておきましょう。
菅義偉の息子たち。長男は秘書官から東北新社。東大卒の次男は三井物産?三男は大成建設
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