杉本清の現在(2023)。名実況でサイレンススズカやライスシャワー。とんねるずとの関係とは

杉本 清(すぎもと きよし)さんは競馬の実況で多くのファンに愛されています。

中でも”杉本節”といわれる伝説を残しており、名勝負に彩りを加えていました。

今回は杉本さんの現在や名実況、とんねるずとの関係などを見て行きましょう。

杉本清のプロフィール

本名:杉本 清 (すぎもと きよし)

出身地:奈良県大和高田市

生年月日:1937年2月19日

最終学歴:関西学院大学(法学部)卒業

杉本清の現在(2023)はフリーアナウンサーとして活動

まずは杉本清さんの2023年現在について見て行きます。

60歳を迎えた1997年2月19日に関西テレビを定年退職したものの、それ以降も「ドリーム競馬」などへの出演を続けているので退社をしたイメージは無かったかもしれません。


どちらかと言えばドリーム競馬が終了(2009年12月27日)してからの動向の方が気になりますが、肩書的にはフリーアナウンサーとして様々なメディアに出演しているそうです。

年齢的なこともあってレギュラー番組は持っておらず、知り合いが担当する番組にゲストとして顔を出したり、競馬番組や新聞にコメントを寄せたりと幅広く活動をしていました。

また、古巣の関西テレビが開設した「カンテレ競馬 公式チャンネル」にレジェンド扱いで出演しており、人気爆発中のゲーム「ウマ娘」の声優さんとのコラボも話題になっています。

まさか自身が実況を担当したナイスネイチャ号が女性として擬人化され、しかも中の人との対談や質問を受けたりするとは思ってもいなかったでしょうね。

ただ、競走馬の擬人化を否定せずに受け入れて行く姿勢はウマ娘ファンからも好評で、ネット上ではゲームの実況もして欲しいという要望も上がっていたそうです。

毎週のように競馬番組に出演していた時と比べると露出度は減っていますが、80歳を過ぎた今でも積極的に活動をしている姿には驚かされるばかりでした。

杉本清の名実況「サイレンススズカ」編

次は杉本清さんのサイレンススズカ号に関する名実況を見て行きましょう。

杉本さんはサイレンススズカが勝ち取った唯一のG1レースである1998年の「宝塚記念」で実況を担当していますが、この時のレースでは後世に残るような名実況は生まれていません。

どちらかと言えばメジロブライト号やエアグルーヴ号に触れることが多く、レース自体も審議だったことから入線後も断定的なことを言えなかったという事情もあったのでしょう。

同年の「天皇賞(秋)」でサイレンススズカはレース中に故障をして儚く散ってしまいました。

翌年の「宝塚記念」でも前年に引き続いて実況を担当した杉本さんはレース前に「私の夢は、サイレンススズカです」と、独特の言い回しで今は亡きスーパーホースを称えています。

何度聞いてもレース前のサイレンススズカに触れた部分の実況は素晴らしく、レース本番の実況が霞んでしまうほど見ている人の心を激しく揺さぶるセリフでした。

これから見れる夢ともう見れない夢、それが混在するのも競馬の醍醐味と言えるでしょう。

杉本清の名実況「ライスシャワー」編

今度は杉本清さんのライスシャワー号に関する名実況を見て行きます。

競馬に詳しい方であればご存知ですが、ライスシャワーは「刺客」という少々物騒なニックネームが付いており、杉本さんの実況もひとつの要因だったと言われていました。

特に1993年の「天皇賞(春)」では本命のメジロマックイーン号だけでなく、前年のミホノブルボン号の三冠を阻止した件も併せて実況に取り入れています。

中には杉本さんが関西所属だったので関東馬(ライスシャワー)に冷たいとの声もありました。

実際には所属で区別するようなことは無く、翌年の「天皇賞(春)」ではライスシャワーの強さだけでなく「メジロマックイーンもミホノブルボンも喜んでいることでしょう」と実況。

この実況からも杉本さんが競馬の連続性による物語を重視している様子が伺えます。

天皇賞から1ヶ月半後に行われた「宝塚記念」のレース中にライスシャワーは骨折で命を落としましたが、杉本さんは実況の中で「私の夢」を連呼したことでも批判を浴びていました。

実況について多くの苦情が寄せられ、アナウンサー人生初となる謝りの手紙を出したそうです。

ただ、杉本さんは過去の実況を聞いても分かる通りライスシャワーに思い入れがあり、数多くいる愛すべき馬の一頭だったというコメントを残している点も忘れてはいけません。

杉本清がとんねるずの事務所に移籍?

最後に杉本清さんが関西テレビを退社後に入った事務所を見ておきましょう。

杉本さんは退社する2年ほど前の1995年から「とんねるずのハンマープライス」にオークショニアとして参加し、これが契機となってとんねるずと交流を持つようになったそうです。

この番組は当時でも画期的な内容で注目を集め、真面目なコレクションから珍品、果てはアニメや漫画に出演できる権利などが出品されて大きなブームとなりました。

中でも話題になったのは両津勘吉で知られる「こち亀」への登場権に関するエピソードです。

これまでの杉本さんは競馬ファンだけに知られる存在でしたが、とんねるずとの共演に伴うバラエティー進出によって知名度は全国区にまで広がりました。

とんねるずのふたりは杉本さんの才能や可能性を認めており、定年退職をする前から”辞めた後は自分たちの事務所に来て欲しい”と熱心にアプローチをしたそうです。

1997年2月19日に定年を迎えた杉本さんは勧めに応じて個人事務所「アライバル」に移籍し、2023年現在も石橋貴明社長の下でフリーアナウンサーとして在籍をしています。


木梨憲武さんが独立したので石橋さんと鈴木保奈美さん、そして杉本さんしか所属していない小さな事務所ですが、個々が持つパワーは大手に勝るとも劣らないと言えるでしょう。

番組での共演が縁となり、退社後の事務所移籍に繋がったというエピソードでした。

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