三木武夫の家系図が凄い。孫や息子も政治家。南平台の自宅と取り壊しの生家

三木 武夫(みき たけお)さんは清廉な政治家で自民党の中でも異彩を放っていました。

持ち前のクリーンな政治信条が息子や孫に引き継がれたのかも気になるところですね。

今回は三木さんの家系図や子供たち、自宅や生家についてリサーチしていきましょう。

三木武夫のプロフィール

本名:三木 武夫 (みき たけお)

出身地:徳島県板野郡御所村 (現:阿波市)

生年月日:1907年3月17日

没年月日:1988年11月14日 (81歳没)

最終学歴:明治大学(法学部)卒業

主な役職:第66代内閣総理大臣 (1974年12月9日 ~ 1976年12月24日)

三木武夫の家系図は森財閥に繋がっていた

まずは三木武夫さんの家系図について見ていきます。

武夫さんは農業などを営んでいた父・久吉さんと母・タカノさんの長男として生まれました。

夫婦にとって遅くに授かったひとりっ子だったことから大変な可愛がりだったそうで、その時に受けた愛情が武夫さんの温厚な人柄や政治思想を作ったのかもしれません。


実家は格別の家柄ではありませんでしたが、1940年に結婚した睦子(むつこ)さんは「森コンツェルン」の総帥で昭和電工の創業者でもある森 矗昶(のぶてる)さんの次女でした。

森家は矗昶さんだけでなく睦子さんの兄である曉(さとる)さん、弟の清(きよし)さんと美秀(よしひで)さんはいずれも衆議院議員を務めたという政治家一家だったのです。

妹の三重子さんは松崎 正臣さんと死別後に衆議院議員の田中 覚(さとる)さんと再婚し、前夫との間の子である松崎哲久(てつひさ)さんも衆議院議員を務めた経歴を持っていました。

また、美秀さんの息子の英介(えいすけ)さんは2023年現在も現職の国会議員を務めており、過去には法務大臣や衆議院憲法審査会の会長という重責を担っています。

クリーンな政治家というイメージが強い武夫さんの妻が財閥の娘というのは少し意外に気がする一方、財力があったからこそ持ち前の清廉さを貫けたという見方もできるでしょう。

ちなみに、森家の「森コンツェルン」は戦後の財閥解体で解散しており、六本木ヒルズなどを建設した「森ビル」や「森トラスト」とは関係ありません。

息子は政治家ではなく実業家の道へ

次は三木武夫さんの息子たちについて見ていきましょう。

武夫さんには1944年6月3日に誕生した長男の啓史(ひろふみ)さん、1951年に生まれた次男の格(かく)さんというふたりの息子さんがいらっしゃいます。

ふたりとも父と同じ政治家の道には進んでおらず、実業家や会社員という道に進んでいるので父方よりも母方である森家の血を強く受け継いだのかもしれませんね。

啓史さんは1970年に「東洋製罐」へ入社し、1992年に同社社長に就任(2009年には会長)就任。

2013年4月の持株会社への移行に伴って「東洋製罐グループホールディングス」の会長に就任しているので、道は違いますが父に負けないぐらいの出世を果たしたと言えるでしょう。

次男の格さんは1978年4月に「山一證券」に入社し、同社が自主廃業後は「日本オプティマーク・システムズ」の取締役を経て「大興電子通信」に入社しています。

大興電子通信では参与や執行役員として活躍をしていたそうですが、2023年現在の肩書や役職に就いては明らかになっていないので第一線から身を引いたのかもしれませんね。

いずれにしても、格さんも父や兄に劣らぬ立派な会社員として名を刻んでいたことが伺えます。

三木武夫の孫が選挙に立候補?

ここでは三木武夫さんの孫が選挙に立候補した噂を見ていきます。

武夫さんには息子以外に紀世子(きせこ)さんという娘を授かっており、1998年に行なわれた「第18回参議院議員通常選挙」の徳島選挙区で当選して参議院を一期務めていました。

また、紀世子さんには立(たつ)さんという息子さんがいらっしゃいましたが、武夫さんの妻である睦子さんの強い希望もあって三木家に後継者として養子縁組をしています。

養子となった立さんは1996年に行われた「第41回衆議院議員総選挙」に信条が近かった民主党から出馬し、東京都第7区で自民党の候補と激戦を繰り広げた末に7,000票差で敗北。

立さんは”立候補は僕にとっての宿命”と三木ブランドの重さを伺わせる発言をしています。

今回の件をまとめると、武夫さんの娘(紀世子さん)と孫(立さん)が後継者として立候補していますが、孫の落選後に娘が当選を果たしたという珍しい家族の選挙歴が判明しました。

ちなみに、立さんは武夫さんの出身地である徳島で藍染作家として精力的に活動をしており、政治については”有権者や納税者”として関わり続ける意向を示しているそうです。

三木武夫が過ごした南平台の自宅や生家について

最後に三木武夫さんの自宅や生家について見ておきましょう。

三木さんが政治家時代を過ごした自宅は東京都渋谷区南平台あります。

建物は佐藤秀工務店(設計:佐藤秀三さん)の施工によって1969年に完成しており、三木さんが亡くなってからは建物の2階が「三木武夫記念館」として平日に限り公開されていました。

しかし、管理上の都合によって2012年4月末をもって閉館しています。

非常に落ち着いた作りの邸宅で、三木さんの人柄を表すような自宅と言えるでしょう。

さて、政治家時代を過ごした自宅の次は幼少時代を過ごした生家について見ていきます。

徳島県阿波市土成町にある木造平屋(約110平方メートル)の生家は1937年頃までに建てられたらしく、三木さんが政治家になってからは選挙事務所としても使われていました。

親族の「市のために役立てて欲しい」との意向もあって土地や建物が阿波市に寄贈されており、同市は家屋を解体して三木さん称える記念碑を含めた公園として整備することを決定。

同地がお遍路沿いにあったことから「おもてなし公園」と命名され、2020年3月17日には三木さんの信念だった「人、信無くば立たず」を刻んだ碑の除幕式が執り行われています。

記念碑の設計は阿南工業高等専門学校(創造技術工学科)の生徒が行い、製作費用も個人や団体などの浄財によって賄われたことに三木さんも喜んでいるかもしれませんね。

生まれ育った生家は解体によって無くなってしまいましたが、三木さんの思想や信条は公園や記念碑などを通じてこれからも末永く引き継がれて行くことでしょう。


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