芦田均の家系図。芦田愛菜との関係、名言と逸話まとめ。生まれは福知山

外交官、外務大臣、副総理などを経て第47代内閣総理大臣を務めた芦田均(あしだ ひとし)。

戦後間もない日本で、現代まで続く法律を整備し、憲法9条に修正を加えた大物として知られています。

日本の土台を形作った偉人・芦田の家系図に、女優の芦田愛菜さんがいるという噂が流れているため、本当かチェックしましょう。

また名言と逸話を紹介しつつ、生まれ故郷である京都府福知山市についても見ていきます。

芦田均のプロフィール

本名:芦田均

生年月日:1887年11月15日

死没:1959年6月20日

身長:不明

出身地:京都府天田郡中六人部村(現在の福知山市)

最終学歴:東京帝国大学法学部仏法科卒業(現在の東京大学)

芦田均の家系図

まず芦田の家系図をチェックします。

芦田は明治時代に地主、銀行家、衆議院議員も務めた芦田鹿之助の次男として生まれました。

大地主の家系ですから、芦田家の人々は何不自由なく暮らし、高等教育を受けてきています。


芦田は妻の寿美との間に、4人の子供をもうけました。

長男の治太郎さんは9歳で早世してしまいますが、3人の子供たちはいずれも立派に育っています。

次男の富さんは海上自衛隊に勤務。

長女の美世さんはジャパンエナジー社長の息子と結婚、次女のルリさんは大蔵官僚の遠藤胖さんと結婚しました。

美世さんの息子で、芦田の孫にあたるのが『芦田均日記』を編纂した下河辺元春さん。

さらに音楽プロデューサーとして活動する下河辺晴三さんです。

多彩な分野で活躍する、優秀な子孫たちがいることがわかりましたね。

芦田均と芦田愛菜は無関係

子役出身の女優・芦田愛菜さんが、芦田の子孫だと考えた人は多いようです。

苗字のほかに、芦田は京都府、愛菜さんは兵庫県といずれも関西出身という共通点がありました。

さらに愛菜さんは慶應義塾中等部出身のエリートです。

頭の良さも含めて、元内閣総理大臣の子孫にふさわしい要素は複数あるのです。

しかし家系図を調べたところ、愛菜さんは芦田の子孫ではありませんでした。

たまたま苗字が同じであるだけで、赤の他人ということですね。

それに元内閣総理大臣の子孫であれば、愛菜さんの事務所が積極的に先祖の存在をアピールしているはずです。

一切先祖についてアピールしていないのですから、愛菜さんの家族に政界の重役はおらず、いずれも民間人だとわかりますね。

芦田均の名言は人生訓

芦田は複数の名言を残しているため、ここでいくつか紹介します。

特に知られている名言は、
「勇気を出せ 断じて行う決心をすれば 予想以上に力も出る」

『芦田均日記』に記された一節であり、権力闘争の最中で奮闘していた自分に向けた言葉です。

口癖は「何とかなる」

難題に直面しても、自信を持って堂々とした態度でいれば、乗り越えられると考えていたのです。

名言と口癖からは、不安におびえることなく、逆境にもめげなかった強い人物だったことがうかがえます。

また「人生は腹八分」という名言からも、学べることが多いですね。

1948年、昭和電工の贈収賄事件に巻き込まれた芦田内閣は総辞職します。

内閣総理大臣としての在任期間はわずか7か月ほどでした。

その後逮捕された芦田は、総選挙にて獄中から当選しました。

内閣は総辞職したものの、引き続き政界で活動することはできました。

きっと総辞職をせず、無理に政権を率い続けていれば、政治家生命そのものを絶たれることになっていたはず。


引き際をわきまえ、総理としてやりたかったことに見切りをつけ、「腹八分」で辞職したのが功を奏したのです。

芦田の名言は、誰にでも通用する人生訓ですね。

芦田均の逸話、小説を執筆

あまり知られていないエピソードですが、実は芦田には小説家として活動した時期があります。

1925年9月、トルコ大使館へ1等書記官として赴任。

赴任までの間、月刊広報誌「海外事情」を発刊し、ロシア革命を題材とした小説『怪傑レーニン』を執筆しました。

ペンネームは「白雲楼学人(はくうんろうがくじん)」でした。

政治家としての手腕だけでなく、文才にも恵まれていたのですね。

もし政治ではなく、文学を極めていれば、今頃文学史に名前を刻んでいたかもしれません。

芦田均は京都府福知山市の生まれ

芦田が生まれた京都府天田郡中六人部村は、今の福知山市にあたります。


戦国時代には明智光秀が統治していたため、明智を主人公とした2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』で注目された市です。

芦田は福知山市の名誉市民に認定されており、生家は記念館となっています。

田園風景の中にひときわ目立つ白壁の建物が目印です。

芦田の映像資料の上映、外交官時代のパスポート、著書などの展示を行ってきました。

生前に芦田が小学校へ寄贈した「均っさんピアノ」は、ストリートピアノとして、予約不要で演奏可能です。

さらに音響設備が整った多目的ホール、生家の和室を有料レンタルすれば、文化交流の場などとして使用できます。

有志が建てた芦田の銅像もありますので、戦後日本を支えた彼のまなざしを眺めてみてください。

トップとしての栄光と、贈収賄事件による転落を味わった、波乱万丈な人生に思いを馳せられますよ。


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