宇梶剛士はハーフ?父親は建築士&母親はアイヌにルーツ。北海道の活動

俳優の宇梶剛士(うかじたかし)さんにはハーフの噂がありますが、アイヌにルーツがあります。

今回はアイヌのPR活動や、アイヌに関する劇を上映していることなどを中心に見ていきましょう。

また、両親の情報も入れながら紹介していきます。

宇梶剛士のプロフィール

本名:宇梶剛士

生年月日:1962年(昭和37年)8月15日

身長:188cm

出身地:東京都新宿区

最終学歴:明治大学付属中野高等学校定時制卒業

所属事務所:オフィス33

宇梶剛士はハーフではなくクォーター。アイヌにルーツ

宇梶剛士さんは非常に彫りの深い顔立ちをしていますよね。

ハーフだと聞くと、顔立ちからインドや中東の血を受け継いでいるのかと想像する人もいるでしょう。

実は、宇梶剛士さんのお母さんがアイヌ民族の出身なのです。


正確にはアイヌとロシア人のハーフとなります。

ですから、宇梶剛士さんはアイヌを受け継いだ、ロシアと日本のクォーターと言えます。

しかし宇梶剛士さんが幼い頃は、お母さんの出身地である北海道に行くことはほとんどありませんでした。

宇梶剛士さんは、あまりお母さんの口から「アイヌ」という言葉を聞いたことがなかったようです。

お母さんは若い頃上京し、あまり故郷に帰ることがなかったといいます。

宇梶剛士さんが幼い頃というと昭和40年代です。

その時代に東京と北海道を頻繁に行き来する交通手段も発達していませんでした。

自分のルーツにアイヌがあることを知ったのは小学校2年生の頃だったといいます。

きっかけは、自宅に木彫りや鹿の角がたくさん送られてきたことでした。

もの珍しいものが届いたので、誰から送って来たのか聞くと、お母さんはアイヌからだと教えてくれたそうです。

それで何となく、自分もアイヌなのだなと察したそう。

宇梶剛士の父親と母親はどんな人か

宇梶剛士さんのお父さんは、宇梶順計さんといい、建築士だったそうです。

広島で過ごした小学校1年生の頃は、お父さんと一緒にカープを応援しにプロ野球の試合を見に行っていたそうです。

この時、宇梶剛士さんは野球の虜になったのだそう。

高校生の途中まで、プロ野球のスカウトが宇梶さんを見に来るほど真剣に野球に打ち込んでいました。

小学2年生の時に東京に引っ越した後は、さらに転勤が多かったお父さん。

単身赴任が長く、ほとんど家にいなかったといいます。

宇梶剛士さんのお母さんは静江(しずえ)さん。

人権活動に尽力を注いでおり、こちらも家にはいないことが多かったようです。


宇梶剛士さんが幼稚園に通っていた頃は、絵を描いたり詩を書いたりして沖縄返還運動に力を注いでいたといいます。

お母さんはアイヌのルーツがあるのに沖縄の返還運動に力を入れていたのはなぜだったのでしょうか。

実はお母さんが若い頃は、アイヌという少数民族出身というだけで差別にあっていたそうなのです。

今から考えると民族を差別するなんて、非常に酷い話です。

そのような経験から、お母さんは生活に困っている人を見ると放っておけませんでした。

そのような人を、自宅に呼んで居候させてあげることがよくあったそうです。

なかなかそこまで面倒を見てあげることができる人はいませんよね。

宇梶剛士さんも懐が深そうな役者さんで、お母さんの精神を受け継いでいるのでしょう。

宇梶剛士とアイヌや北海道

宇梶さんは幼い頃から体が大きく、やんちゃな性格だったそうです。

そのため絡まれることも多く、せっかくプロ野球選手を目指して頑張っていたのに暴力事件に巻き込まれます。

少年鑑別所から出所後は高校を中退した宇梶剛士さん。

そんな時に、お母さんの弟である浦川治造(うらかわはるぞう)さんが急に家に来ました。

浦川さんはアイヌの著名な長老(エカシ)で、アイヌ文化奨励賞受賞者です。

半生を追ったドキュメンタリー映画「カムイと生きる」や、書籍「アイヌの治造」があるほどの人。

そんな浦川治造さんは宇梶剛士さんに、北海道で自身が経営する建設会社に来るよう説得。

土木作業をしながら自分を内省するようにアドバイスしたのです。

しかしなかなかうまくいかず、口実にのって東京に戻ってしまいました。

それからまた少年院に入り、母が差し入れてくれたチャップリンの伝記に感銘を受けて芸能界を目指したのです。

しっかり更生し、にしきのあきらさんの付き人として芸能界に入りました。

しかし、33歳頃までは俳優の仕事は少なかったので、叔父の浦川治造さんの建築会社でアルバイトを続けていたのです。

立派な俳優になった宇梶剛士さんはルーツであるアイヌも非常に大事にしているそう。

1993年にはアイヌの初老男性を描いた「偽エカシの筏(いかだ)」という芝居を自ら書きました。

しかしアイヌについての知識が曖昧で、正確に表現できなかったそうです。

20年以上経って2019年に舞台「永遠の矢(トワノアイ)」でアイヌの芝居作りに再挑戦。

その頃、民族共生象徴空間(ウポポイ)のPR大使に任命され、未来に向かってより良い共生社会を築けるよう尽力しています。


「永遠の矢」は、2021年夏に東京と北海道で再演されるほど高評価を得ました。

これからも日本とアイヌの架け橋になって欲しいですね。

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