宇梶 剛士(うかじ たかし)さんは硬軟自在の役を演じられる俳優として有名です。
いわゆる”ヤンキー”出身の芸能人で、デビュー前の武勇伝も話題なっていました。
今回は宇梶さんの最終学歴や生い立ち、広島との関わりなどを見ていきましょう。
宇梶剛士のプロフィール
本名:宇梶 剛士 (うかじ たかし)
身長:188cm
出身地:奈良県御所市
生年月日:1962年8月15日
所属事務所:オフィス33
宇梶剛士は高校を中退後に定時制を卒業
まずは宇梶剛士さんの最終学歴について見ていきます。
宇梶さんは東京都国立市にある国立第七小学校から国立第一中学校に進み、中学を卒業後は野球の才能を買われてスポーツ推薦で拓殖大学第一高校(武蔵村山市)に入学。
野球部では厳しい練習にも熱心に取り組み、大柄の体格や肩の強さが話題になってプロ野球のスカウトが何度かチェックしに来るほどの注目選手だったそうです。
しかし、部内でのいじめや”しごき”を学校に告発しましたが、学校側は解決に協力するどころか反対に隠蔽(いんぺい)したことで孤立無援となってしまいました。
そんなこともあって宇梶さんの心は荒んでしまい、校外で起こした暴力事件によって逮捕されて少年鑑別所に送られ、出所後に拓殖大学第一高校を退学しています。
その後に入所した少年院で母が差し入れたチャップリンの自伝を読んで俳優を志すようになり、出院後は明治大学中野高校の定時制に入学して更生の第一歩を踏み出しました。
ちなみに、高校の同級生には近藤真彦さんや野々村真さんらが在籍しており、後輩だったダンサーで俳優のパパイヤ鈴木さんとは大人になってからも交流があるそうです。
非行によって人よりも少し遠回りして高校を卒業することになりましたが、明確な意思を持って築いた学歴は「なんとなくの学歴」よりも重みがあると言えるでしょう。
もっとも、更生するには本人の努力だけでなく周囲の理解が必要なのは言うまでもありません。
宇梶剛士の生い立ちは少し複雑だった?
次は宇梶剛士さんの生い立ちについて見ておきましょう。
芸能界の中でも武闘派と言われるほどなので生い立ちも特殊なのか気になりますが、調べてみると少しだけ一般の家庭とは違ったところが見受けられました。
父親が一級建築士という以外に目立ったところはありませんでしたが、母親の静江さんが「アイヌ民族」の血を引いていたことから差別解消の人権活動に取り組んでいたそうです。
宇梶さんは小さい頃から食事や衣類など自然な形でアイヌ文化に親しむ一方、母親に連れられて人権運動に参加するなど多くの子供とは少し違う生活を送っていました。
また、静江さんに「(これからは)男女平等の時代が来る」と教えられ、簡単な炊事や掃除だけでなく裁縫の技術も身に付けるという外見とのギャップが激しい少年だったのです。
もしかすると、宇梶さんの正義感の強さには生い立ちが影響しているのかもしれませんね。
大人になってからもアイヌの血を引いていることを隠さず堂々と公言し、アイヌ文化のアンバサダーに就任しているのは「民族の誇り」を持っているからでしょうね。
道は25日、国が2020年4月に胆振管内白老町に開設するアイヌ文化の復興拠点「民族共生象徴空間」のPRアンバサダーとなった俳優の宇梶剛士さん(56)の就任発表会を札幌市内で行いました。https://t.co/P1Q8ircWjI pic.twitter.com/sqi8bR2FEW
— 北海道新聞 (@doshinweb) August 25, 2018
その点からも多くの子供とは違う生い立ちであったことは間違いないですが、小さい時からの生活や色々な人との交流が宇梶さんをより大きく育てたと言えるかもしれません。
ちなみに、宇梶さんの背が大きい事とアイヌの血筋は特に関係ないそうです。
宇梶剛士は広島で吉川晃司や竹原慎二と同じ小学校だった
ここでは広島時代の宇梶剛士さんについて見ていきます。
宇梶さんは5歳の時に家族の都合で東京都小平市から広島県安芸郡府中町に引っ越し、小学校2年までの多感な時期を自然豊かな場所で過ごしていました。
通っていた学校は「府中町立 府中小学校」で、同校の後輩にはミュージシャンの吉川晃司さんやボクサーの竹原慎二さんが居たという恐るべき学び舎だったのです。
この関係性については3人ともがエピソードのネタとして扱っていますが、お互いに年齢が離れているので当時はケンカどころか関係すらありませんでした。
ぴったんこカン・カン録画観る、吉川晃司の地元広島の後輩竹原慎二に会いに行く、近所だったらしいが後輩竹原、宇梶先輩、吉川揃えば恐いものなしじゃわ!凄いね😅 pic.twitter.com/1koOYrnLYH
— ひろはる☆100%はるかちゃん (@hiroharu0330) May 22, 2016
もっとも、宇梶さんは小学2年で東京に帰っているので面識がないのも当然でしょうね。
生活していた時間はそれほど長いものではありませんでしたが、府中町に住んでいた縁で「みみよりライブ5up」(広島ホームテレビ)という番組に出演していたこともありました。
幼少期のわずかな滞在歴が交際の幅や仕事にも繋がったという少し珍しい例ですね。
また、人権や平和に関する講演をしている宇梶さんにとって広島に住んだことは周りが考えているよりも意義深く、かけがえのない日々だったのかもしれませんね。
若い頃の宇梶剛士は哲学のある暴れん坊だった
最後に若かりし頃の宇梶剛士さんが残した武勇伝などを見ておきましょう。
宇梶さんといえば東京を中心に活動をしていた暴走族「ブラックエンペラー」の7代目総長とのイメージが強いですが、決して暴力的な人ではなかったと言われています。
小学校6年生の時に中学1年の先輩23人をひとりずつ倒した話は有名ですが、これは宇梶さんからではなく先輩からケンカを売られたので買ったという事情がありました。
また、中学に入学した時に再び先輩たちに絡まれて袋叩きにされた際、その先輩たちが3年生に”大人数で1人をやるな”と説教をされているのを見て不良のルールを理解したそうです。
これ以外にも宇梶さんは自分のルールを持っており、自分より弱い人には手を出さないこと、自分からはケンカを仕掛けないことを固く心に決めて活動をしていました。
暴走族時代に300人で走っていた時に1,000人規模の相手と揉めて”1人で相手を倒した”という武勇伝がありますが、実際には20~30人+ヘッドを倒して追い返したのが真実だそうです。
他にも倒した相手を説教して帰すなど多くの人のイメージとは違う不良だったそうなので、ある意味で筋が通った古き良き「ツッパリ」と言えるかもしれません。
もっとも、不良に限らず組織で頂点に立つ人物は何らかの才能を秘めているのでしょうね。
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