はらたいら、死因は酒?嫁の献身。クイズダービー解答者と漫画家の顔

漫画家で、人気クイズ番組の名物解答者としてもお茶の間の人気者だったはらたいらさん。

63歳という早すぎる訃報には元共演者たちも驚いたようですが、いったい死因は何だったのでしょう。

酒豪で知られたはらさんですから、やはりお酒が関係しているのでしょうか。

不遇時代から支え続けた嫁はどんな女性なのか、また『クイズダービー』で高い正解率を誇った理由、本職の漫画家についてもお送りします。

はらたいらの死因は酒?

49歳の頃から、めまいや集中力低下をともなう男性更年期障害に悩まされていたというはらたいらさん。

その体験記を発表したり、中高年を応援する講演を開くなど活動を続けていましたが、2006年11月10日、肝臓がんにより63歳で帰らぬ人となりました。

当初、死因は肝不全と報じられましたが、もともと肝硬変であったうえに末期の肝臓がんを宣告されていたことが公表されています。


若い頃から大のお酒好きで、3日でボトル2本をあけるほどの酒豪だったはらたいらさん。

大橋巨泉さんも「飲みすぎたのかなあ」と早すぎる死を悼みました。

嫁のちず子さんによると、亡くなる10日前まで原稿を書いており、6日が退院予定日だったそうです。

それでもご本人は平均寿命まで生きられないことを覚悟しており、お酒のせいで命を縮めることについて「本望だ」と語っていたとのこと。

医師の忠告を守り、酒量をセーブするのが正解だとわかっていても、ちず子さんはお酒を取りあげようとしませんでした。

お酒を断っている時の鬱々とした夫の姿と、飲んでいる時の幸せそうな顔をみて決意したそうです。

妻にしてみれば夫には少しでも長生きしてほしいところなのですが、相手の理想の生き方を受け入れて尊重したということでしょう。

たとえ太く短い人生だったとしても、はらたいらさんは幸せだったのではないでしょうか。

はらたいらを全身全霊で支えた嫁・ちず子

嫁のちず子さんは高知県立山田高校の1学年後輩でした。

はらたいらさんは高校卒業後にプロの漫画家をめざして上京しますが、作品を出版社に持ち込んでは断られる不遇時代が続きます。

そんな中、ちず子さんも就職のために上京。

二人は再会を果たし、ちず子さんははらさんを金銭面でサポートするように。

生活費を稼ぐために昼も夜も働いて、1年半で16キロも瘦せてしまったというちず子さん。

その原動力は「私がこの人を世に出してみせる」という思いだったといいますから、まさに糟糠の妻ですね。


彼らは1964年に結婚し、2女が誕生。

のちにちず子さんは夫のアシスタントやマネージャーを務めるようになりました。

一人では何もできないはらさんを、いかに全身全霊で支えていたかは、乳がん闘病のエピソードからもうかがえます。

48歳の時に乳がんが発覚した際、温存手術ができたにもかかわらず、早く自宅に帰りたいからという理由で左乳房全摘手術を希望。

出産も終わっているし、命さえ助かって夫の世話ができればいいと考えたそうです。

手術後、何本もの点滴の管につながれた妻を見て、その場で気を失ったというはらたいらさん。

ちず子さんは 2007年、夫との出会いから看取りまでをつづった『はらたいらに全部』を出版しています。

はらたいらは『クイズダービー』の名物解答者

競馬好きの大橋巨泉さんが、海外で見たテレビ番組をもとに発案した『クイズダービー』。

番組からは「倍率ドン!」「はらたいらさんに3000点」といった名言とともに、キャラの立った解答者もたくさん誕生しました。

はらたいらさんがレギュラー解答者として出演した約15年間の正解率は約75パーセント。

正解率が高かったのは、風刺漫画家という職業柄、たくさんの新聞・書籍・雑誌に目を通していたから。

レギュラー解答者の一人だった宮崎美子さんの話では、誰も答えられなかった問題にはらさんだけが正解したことがあり、正解できた理由を訊ねると、「『月刊住職』に書いてあったから」と平然と答えたそうです。

またプロデューサーの副島恒次さんいわく、はらさんに不正解を出させようとクイズ作家たちも頭を悩ませていたとのこと。

司会の大橋巨泉さんに至っては、『クイズダービー』の成功は彼がいたからこそと述べています。

はらさんは負けず嫌いな性格で、不正解をだした時は、収録後にもう一度正解を確認することもあったよう。

「はらたいらは事前に問題を知っている」とか、「竹下景子に3択問題の正解を教えている」といったヤラセ疑惑も浮上しましたが、ヤラセは一切なかったと副島さんは明言しています。

はらたいらはナンセンスギャグが得意な漫画家

中学時代から雑誌に漫画を投稿していたはらたいらさん。

高知市の漫画研究会・高知漫画クラブにも所属して、この頃から風刺のきいたナンセンス漫画の才能を発揮していました。

プロの漫画家としてのデビュー作は1963年の『新宿B・B(ベベ)』。

やがて『ゲバゲバ時評』や『モンローちゃん』が大ヒットして、ギャグが高く評価されます。

サンケイ新聞の『ルートさん』、 日本経済新聞の『ゲンペーくん』、日刊ゲンダイの『ゴシップちゃん』など、手がけた新聞漫画は数多いですね。


若くして売れっ子漫画家になったあと、50代は一転して男性の更年期に苦しんだはらたいらさん。

最後は肝臓がんで逝ってしまいましたが、大好きなお酒を楽しみながらの漫画家人生に悔いはなかったのではないでしょうか。

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