篠沢秀夫の息子(長男)は夭逝。妻や家族、兄弟について。病気発症から死去まで

フランス文学者で、人気番組『クイズダービー』の名物解答者としても親しまれた篠沢秀夫(しのざわひでお)さん。

『クイズダービー』出演を決意した背景には、息子の死という悲しい出来事があったようです。

今回は、二度の結婚歴がある篠沢教授の妻と前妻をはじめ、家族や兄弟について調べました。

あわせて、どんな病気で死去したのかも詳しくみていきます。

目次

篠沢秀夫、『クイズダービー』出演は息子(長男)の死がきっかけだった

大学教授という肩書ながら珍回答が多かったり、正解率が高いことを「下品ですね」と語ったりする、おちゃめなキャラクターで笑いを誘った篠沢秀夫さん。

学習院大学、東京大学大学院、パリ大学留学を経て学習院大学教授に就任と経歴は華やかなのですが、ずっと順風満帆だったわけではありません。

フランス留学中の1962年、自ら運転する車で交通事故を起こし、最初の妻を失いました。


この時、篠沢さんはまだ20代。

自身も腸が飛び出すような重傷を負ったものの、一命をとりとめています。

残された息子を見て、「自分がしっかりと育てなければ」と決意したとのことなので、すでに長男が誕生していたのですね。

長男の名前は玄さん。

しかし、玄さんも13年後に母の後を追うことになってしまいます。

部活動の合宿中に海で高波にさらわれ、溺れて亡くなったのは15歳の時でした。

篠沢秀夫さんが『クイズダービー』出演のオファーを引き受けたのは、この事故の2年後です。

篠沢さんを一躍お茶の間の人気者にした同番組への出演は、家族に不幸があり、ふさぎがちな毎日を少しでも変えてくれるのなら、と思ったことが理由のひとつなのだそう。

人懐っこい笑顔の裏には、長男を亡くした悲しみが隠されていたのですね。

篠沢秀夫が再婚した妻と家族

篠沢秀夫さんの闘病生活を支え、最期を看取った二人目の妻は礼子さんといいます。

1940年生まれなので、7歳年下の妻です。

礼子さんは学習院大学を卒業後、同大学に勤務していた時に非常勤講師だった篠沢さんと出会い、1965年に結婚。

『クイズダービー』のレギュラー出演がはじまった1977年には、礼子さんとの間に長女の茜さんが誕生して1年ほどたっていたそうですから、おそらく茜さんは1976年生まれでしょう。

茜さんは父親の闘病中に、初孫となる第一子を出産しています。

2009年1月、篠沢さんが難病のALSを宣告された時、「治療法はありません」と説明する主治医に、「奇跡はないんですか」と詰め寄ったという礼子さん。

夫がフランスでの大事故から生還し、椎間板ヘルニアや大腸がんも克服したのを知っていたため、今度も奇跡を信じたかったのでしょう。

人工呼吸器をつけた夫を自宅で介護するにあたって苦労したのは、喉に詰まった痰の吸引でした。

礼子さんは病院に泊まり込んで看護師による痰の吸引を見学させてもらい、練習したそうです。

「娘や息子も吸引の練習をして協力してくれた」と話していることから、茜さんに弟がいることも確認できました。

次男にあたる息子ですが、母や姉と吸引の練習をしていることから、ある程度の年齢だったと思われます。

ALS発症後は指の筋肉も衰え、筆談も困難になっていくなかで、篠沢さんは5冊の本を書き上げました。

代筆をするなどして支えていたのも礼子さんです。

篠沢秀夫の兄弟は不明

篠沢秀夫さんの兄弟・姉妹についての情報は見つかりませんでした。 まったく情報がないところをみると、一人っ子のように思えるのですが、一人っ子という情報もありません。 子供がいなければ兄弟・姉妹にも遺産の相続権が発生する場合がありますが、2児がいることから、遺産相続関連のリサーチでもなさそうです。 「兄弟」の関連ワードで検索されるのは、『クイズダービー』が関係しているとも考えられますね。 番組では、たびたび「そっくり双子兄弟・姉妹大会」や「似ていない兄弟・姉妹大会」など、出場者が兄弟・姉妹の企画がありました。 兄弟・姉妹大会では明石家さんまさんのネタが出題されたことも。 中学時代、家庭教師に「英単語を覚えなさい」と言われたさんまさんは、英単語を覚えても何の役にも立たないと思い、家庭教師に「ぼくは大人になってから○○になる気はないから必要ない」と言い返したとのこと。 さて、何になる気はないと言ったのでしょうというのが問題で、正解したのは篠沢教授、はらたいらさん、竹下景子さんの3名。 正解は「アメリカ人」でした。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 篠沢秀夫の病気はALS。ALSによる肺炎で死去

1992年に大腸がんを患うも回復し、仕事に復帰した篠沢秀夫教授。

異変が起きたのは74歳の春で、口がもつれ、ろれつが回らなくなり、会話をしていて聞き返されることが増えました。

検査入院をしたところ、ALSを発症したことがわかります。

以降、篠沢さんは自宅で8年間、この病気と闘うことに。

ALSは日本語で筋萎縮性側索硬化症といい、いまだ原因不明の神経系の難病です。

「車椅子の物理学者」として知られるスティーヴン・ホーキング博士が患っていた病気ということで、病名は耳にしたことがある方もいるでしょう。

ふだん私たちが身体を動かす際は、脳が筋肉に命令を送ります。

この命令を伝える神経を運動ニューロンといいますが、この運動ニューロンが侵されて、徐々に体が動かなくなる病気です。

だれかに腕の皮膚をつねられると痛いと感じて腕を引っ込めますが、ALSを発症すると、痛みは感じても腕を引っ込めることができなくなります。

ALSで阻害されるのは知覚神経や自律神経ではなく、運動ニューロンだからです。

根治に至る有効な治療法は確立されていません。

篠沢さんは呼吸筋が衰えて人工呼吸器なしでは生きられない状態になりました。

字が書けなくなったり、ブザーが押せなくなったりと、日に日にできないことが増えていきます。

2015年になると症状が進行し、2016年の夏ごろからは肺炎による入退院を繰り返すようになります。

容態が急変したのは2017年10月。

腎臓に障害があらわれて排尿ができなくなり、1週間がヤマ場と告げられました。


死去したのは10月26日のことです。

84歳でした。

晩年は難病と闘いながら、病気をテーマにした講演や執筆を行っていた篠沢秀夫さん。

大学教授という職業をお茶の間に近づけたのは、この方だったのではないでしょうか。

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