映画『愛と誠』で一躍人気女優となった早乙女愛(さおとめ あい)さん。
1日に400通ほどのファンレターが届くなど、全盛期の人気の高さは伝説的でした。
結婚後は徐々に芸能界から離れて行った早乙女さん。
現在や結婚、夫、子供の情報を確認しながら、経歴を見ていきましょう。
早乙女愛のプロフィール
本名:瀬戸口さとみ
生年月日:1958年12月29日
死没:2010年7月20日
身長:166cm
出身地:鹿児島県肝属郡高山町(現在の肝付町)
最終学歴:鹿児島県立高山高等学校
早乙女愛の現在。2010年に多臓器不全で急死
早乙女さんの現在が気になる人は多いようですね。
ただ残念なことに、2010年7月20日に51歳の若さで亡くなってしまいました。
死因は多臓器不全だったそうです。
「死因がエイズ」という噂も流れましたが、こちらはデマです。
7月20日は女優 #早乙女愛 さんのご命日です。ご存命なら今年63歳でした。合掌。#愛と誠 pic.twitter.com/B5PzBIxrxI
— 昭和レインボー (@ShowaRainbow) July 19, 2021
2002年頃からアメリカ合衆国で暮らしていたため、亡くなったのはシアトルのワシントン大病院だったとのこと。
亡くなる9日前に体調不良を訴え、同病院へ入院しました。
医師から即入院を指示されたとき、早乙女さんは「大げさなのね」と周囲に話したそうです。
入院するほどの重病だとは考えていなかった様子がうかがえます。
しかし数日後に容体が急変し、20日の未明に親族が見守る中で亡くなりました。
早乙女さん自身も予想していなかったであろう、突然の死でしたが、もっと家族との時間を過ごして欲しかったですね。
早乙女愛の結婚した夫は江原春義、2008年に離婚
早乙女さんは1985年5月、青年起業家だった江原春義さんと結婚しました。
再生可能エネルギーシステム「R水素」について教えてもらっています。江原春義さん。東京•青山にある「表参道COMMUNE246」でこのマシンを見学できます。無料。もうすでに水素で走るバイクがあるそう。 pic.twitter.com/VDDgUqm9bL
— 水野木内みどり (@kiuchi_midori) April 13, 2016
江原さんは早乙女さんより7歳年上の33歳で、すでに5つの会社を経営する実業家でした。
2人は人気女優と映画スポンサーという立場で出会います。
元々彼女のファンだった江原さんは、自ら映画を企画してスポンサーを名乗り出たのです。
映画企画は結局実現せず、2人はしばらく疎遠になります。
しかし1984年末頃、2人はマンションで会うようになり、翌年には交際を報じられてしまいました。
こうして2人は記者会見を開き、挙式を宣言します。
江原さんによるプロポーズの言葉は、「早起きして区役所に行こう」でした。
言葉の意味がわかった瞬間の早乙女さんは、きっと舞い上がったに違いありませんね。
ただ江原さんは前妻と離婚したばかりで、慰謝料や養育費の問題を抱えていました。
前妻に配慮した結果、挙式は延期になります。
1985年5月4日に極秘で入籍した2人は、アメリカ旅行へ出発。
ロサンゼルスとニューヨークで2週間を過ごし、ミュージカルも楽しんだそうです。
そして帰国から半年後の11月22日、離婚トラブルも片付いたためか、ようやく挙式。
早乙女さんは徐々に芸能界から遠ざかり、2000年に引退しました。
2002年には江原さんの仕事の都合でアメリカへ移住します。
しかし江原さんは2008年に単身帰国し、クリエイティブ系メディア「greenz.jp」を設立しました。
同年に2人は離婚しているため、江原さんがどうしてもやりたい仕事のため帰国した結果、別れざるを得なくなったのでしょう。
早乙女さんはアメリカに残りたがったため、離婚を決意したのかもしれませんね。
江原さんはその後、再生可能エネルギーのR水素の普及活動に取り組み、「R水素ネットワーク」の代表も務めてきました。
ただ早乙女さんが亡くなった際はアメリカに駆け付け、元妻の最期を看取っています。
2人はやむを得ない事情で離婚したものの、心の中では変わらず愛し合っていたに違いありませんね。
早乙女愛の子供は息子
早乙女さんは1997年に長男を出産しました。
離婚後は息子さんと2人で暮らして、最期も彼に看取ってもらっています。
当時息子さんは13歳だったため、早すぎる母との別れから立ち直るのに、きっと時間がかかったはずです。
江原さんからも支えられながら生き続け、2023年に26歳を迎えます。
きっと母との思い出を胸に、社会人として懸命に活動していることでしょう。
早乙女愛の経歴まとめ。女優から実業家へ
早乙女さんは印刷屋の長女として生まれ、6人の弟妹と暮らしていました。
中学時代は陸上部で活躍。
3年生のとき、地元のカメラマンから聞かされ、映画『愛と誠』のオーディション情報を知ります。
主演の西城秀樹さんの相手役を選ぶオーディションに、早乙女さんは友達と共に応募しました。
「東京へ行けて、西城さんに会える」というややミーハーな動機でした。
そんな彼女ですが、見事4万人の中から選ばれ、松竹専属の女優となります。
1974年、『愛と誠』の役名と同じ「早乙女愛」の名前でデビュー。
お似合いのカップル😃❤️😃
午後も御安全に。 pic.twitter.com/aTgc5Nl3J7
— よっちゃん (@dragonhorse9240) August 13, 2019
大人気女優となり、仕事の傍ら高校を4年で卒業します。
1983年に成人映画『女猫』で主演を務めて以来、大胆なヌードにも果敢に挑戦しました。
1985年に江原さんと結婚後は、化粧品会社「江原道」を設立して実業家となります。
少しずつ女優としての仕事を減らし、1997年に長男を出産。
映画『新・仁義なき戦い』に出演後、2000年に女優業を引退しました。
かつては大胆な演技で知られただけあり、往年のファンたちにとって彼女の引退は残念だったはずです。
また彼女自身も、女優業を捨ててまで一緒になった江原さんと別れるときは、胸が痛んだことでしょう。
しかし最期の瞬間に、元夫と息子に看取ってもらえたのは、せめてもの救いでしたね。
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