中曽根 康弘(なかそね やすひろ)さんは戦後日本を代表する政治家として有名です。
国民から支持も高く長期政権を築きましたが、その評価は賛否が分かれていました。
今回は中曽根さんの評価に加えて日航機事故やスパイ説について見ていきましょう。
中曽根康弘のプロフィール
第71.72.73代内閣総理大臣 中曽根康弘 (45人目)
自由民主党 群馬県 64歳
1982年11月27日-1983年12月27日(396日)
1983年12月27日-1986年7月22日(939日)
1986年7月22日-1987年11月6日(473日)
(通算1,806日) https://t.co/EvvsY1nsqJ pic.twitter.com/tRxuS5eQhV— 歴代内閣総理大臣BOT (@pmoJ_bot) September 14, 2021
本名:中曽根 康弘 (なかそね やすひろ)
出身地:群馬県高崎市
生年月日:1918年5月27日
没年月日:2019年11月29日 (101歳没)
主な役職:内閣総理大臣 (第71~73代)
中曽根康弘の評価は未だ定まらず
まずは中曽根康弘さんの全体的な評価について見ていきましょう。
中曽根さんは内閣総理大臣の重責を約5年(1,806日)も担い、戦後日本に多大な貢献をしました。
数ある実績の中で高い評価を集めているのは行政改革の手腕で、公営だった日本専売公社をJT、日本国有鉄道をJRグループに、そして日本電信電話公社をNTTにしています。
いずれの会社も民営化によって国民生活の向上に大きく寄与しただけでなく、収益を上げて納税するなど国庫に対しても好影響を与えたのは間違いありません。
平成中盤以降は少子化が進んだこともあって地方路線の廃止なども始まりましたが、この責任をすべて民営化をした中曽根さんに押し付けるのは少し気の毒と言えるでしょう。
外交安全保障面は歴代の自民党政権でもタカ派として知られていますが、悲願と言える憲法改正に手を付けることができなかったことに対しては賛否が分かれています。
また、当の先輩からの評価は意外と厳しいものがあり、当時の実力者の中で中曽根さんを買っていたのは田中角栄さんのみで、金丸信さんや後藤田正晴さんは嫌っていたそうです。
もっとも、中曽根さんの世話になった後輩に辛口の評価を求めるのは酷ですが、共産党の不破哲三さんや立憲民主党の枝野幸男さんまでもが一定の高評価をしているのは驚きました。
若い頃には”いつまでも明治生まれに任してて良いのか”と威勢の良いことを言っていたものの、最後は小泉純一郎さんに「定年制」を盾に引退を迫られたのは皮肉なことですね。
最後に代名詞になった「風見鶏」についてですが、これは見る側のスタンスによって「柔軟で臨機応変」や「コロコロ意見が変わる」など捉え方が変わるでしょう。
中曽根さんは大きな派閥のボスでは無かったので党内の空気や流れを読む必要があり、総理になってからも当時の様子を皮肉って「風見鶏」と言われていた節がありました。
いずれにしましても、中曽根さんの評価が定まるのには時間が掛かりそうですね。
日航機墜落に関する陰謀論について
次は中曽根康弘さんと日航機墜落事故の関係について見ていきます。
ありきたりの内容で関係を書き起こすと「中曽根首相、日航機墜落事故に哀悼の意。被害者の救済と再発防止を指示」といったところでしょうか。
しかし、一部で日航機墜落は事故ではなく事件という意見が根強くあり、訓練中の自衛隊が誤射をして撃墜してしまったという驚くべき噂も流れていました。
中でも中曽根さんの「真実は墓場まで持って行く」との発言が陰謀論に拍車をかけていますが、この発言は本当に言ったかどうかすら分かっていないので証拠にはなり得ません。
その他にも「救助に向かった自衛官が銃撃された」との報道や関わった自衛官が自ら命を絶ったなどの謎があり、いわゆる陰謀好きには興味が尽きない出来事として扱われています。
もちろん、520名もの尊い命が失われた大惨事なので軽々しく扱うことはできませんが、その他の交通・航空機事故に比べて謎の部分が多いのは間違いないところでしょう。
米国大統領との親密さで外交関係を大きく改善
ここでは中曽根康弘さんとアメリカのレーガン大統領との関係を見ていきましょう。
中曽根さんが総理に就任した1982年11月当時の日米関係は非常に険悪でしたが、これは日本が国防や安全保障について無頓着だったことが大きな要因と言われています。
この危機的状況を打開すべく中曽根さんは過剰とも言える親米路線に舵を取り、同世代だったレーガン大統領と「ロン・ヤス」と呼び合う関係を築いたことで日米関係も大きく改善。
日本の政治家はファーストネームで呼び合うことを重視していますが、国と国との外交であってもトップ同士の人間関係が多分に影響するのだと理解しているのでしょう。
しかし、アメリカはトップ同士の関係程度で容赦をしてくれるほど甘い国ではなく、関係改善をするために三木武夫内閣以来の伝統だった「防衛費のGNP1%枠」を撤廃しています。
一方で日米同盟が強固になったことで日本の防衛力が大きく向上したとも言えるので、失った物よりも得た物が大きい外交だったと評価しても良いのではないでしょうか。
中曽根康弘はCIAのスパイだった?
最後に中曽根康弘さんがCIAのスパイだったという衝撃的な噂について見ておきます。
噂の発端となったのは日本政界でも最大のスキャンダルと言われる「ロッキード事件」で、当時のアメリカの公文書に「中曽根氏がもみ消しを依頼してきた」とあったことでした。
全日空の航空機選定に中曽根さんや田中角栄さんらが関与し、その見返りとして日本にいる中央情報局(CIA)の関係者から金銭を受け取ったという噂が流れていたそうです。
当時の総理だった三木武夫さんは事件の徹底究明を指示しましたが、支えるべき自民党幹事長の中曽根さんが反対の内容をアメリカに依頼したのは極めて興味深いでしょう。
ただ、中曽根さんのもみ消し工作は不正を極度に嫌う国民性を心配した末のことだったらしく、決して自分自身の身を守るための依頼では無かったと言われています。
以上の点をまとめると中曽根さん自身はCIAのスパイでは無かったものの、政治活動の中で日本で活動するCIAのスパイやエージェントと関係があった可能性は否定できません。
一方で中国からの抗議で靖国神社の公式参拝を辞めたことから「中国のスパイ」とも言われていますが、一国の総理が米中のスパイだとしたら映画のような話ですね。
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