中曽根康弘は東京大学&性格は率直。自宅と別荘がすごい。最後の病院と政界引退劇

2019年に101歳でなくなった、元内閣総理大臣の中曽根康弘(なかそね やすひろ)さん。

亡くなる10年前、出身校の東京大学で講演をした際、その性格が垣間見られたようです。

また自宅と別荘、亡くなった病院がどこだったか調査。

併せて政界引退劇も振り返ってみましょう。

中曽根康弘のプロフィール

本名:中曽根康弘

生年月日:1918年5月27日

死没:2019年11月29日

身長:推定178cm

出身地:群馬県高崎市末広町

最終学歴:東京帝国大学法学部政治学科(現在の東京大学)

中曽根康弘は2009年に母校の東京大学で講演

中曽根さんの合同葬儀に際して、東京大学では弔旗掲揚が予定されていました。

しかし天候不順で中止になったとのこと。

掲揚予定だった時間帯には管理職の事務員が黙とうをささげたそうです。


中曽根さんの葬儀に際しては、文部科学省から国立大学宛てに、弔旗掲揚が求められていました。

一部の学生はこれに抗議し、東京大学でも数名の学生が、抗議活動に参加。

「国が学問に介入した」と批判する学生が集まったのです。

ただ東京大学としては、国からの要請に従わされたというよりは、偉大な卒業生の死を悼むつもりで掲揚予定だったのでしょう。

2009年3月13日、中曽根さんは母校の東京大学で特別講演会に参加。

当時90歳でしたが、真っ直ぐに伸ばされた背筋が若々しかったといいます。

政治家を目指した動機から、現代日本の政治に対する分析、坐禅経験を通して得た人生訓なども語ってくれたそうです。

受講生からは「日本での二大政党政治の可能性」に関する質問が投げかけられました。

中曽根さんの回答は、「昔と違い、今の政治家には国の政治を二大政党制に持っていける優れた人材がいない」とのことでした。

さらに「人間的な度量、深みが今の指導者たちに感じられない」と続けています。

中曽根康弘の性格まとめ。率直な物言いと鋭い人間観察力

講演でのコメントからうかがえる通り、中曽根さんは臆さず率直に意見を述べる人でした。

率直な言動ができるスキルを支えていたのは、おそらくご本人も自信があったであろう、鋭い人間観察力だったようです。

若き青年代議士だった1950年代、思想家の徳富蘇峰と交流を深める中で、蘇峰からさまざまな政治家の特徴を教示してもらっていました。

中曽根さんは政治家の特徴を客観的に分析した蘇峰のコメントを、著書『自省録』に書き残しています。

吉田茂については、「黒白はっきり」した男だったものの、「近頃は灰色」になってしまったとのことでした。

蘇峰の人間の本質を見抜く能力と、率直な物言いは、きっと中曽根さんに大きな影響をもたらしたのでしょう。

中曽根さんは相手の本質を見抜き、優れた相手は褒め、無能な相手には厳しく諭すスタイルを貫いていたのではないでしょうか。

率直ながら的確な言葉、高い観察力と分析力は今の政治家には不足しているスキルかもしれませんね。

中曽根康弘の自宅は東京都の豪邸

中曽根さんの自宅は、東京都世田谷区上北沢にありました。

7LDKの豪邸のため注目されてきたようですが、正確な位置までは公表されていません。

実は豪邸の正式な所有者は、長嶋茂雄さんです。

長嶋さんの豪邸を、交流のあった中曽根さんが家賃40万円で借りていたといいます。

2016年までは、要人警護用にポリスボックスが設置されていたそうです。

今は中曽根さんが亡くなったとはいえ、非常に目立つ豪邸です。

犯罪に巻き込まれないよう十分に注意して、今も防犯カメラなどはいくつも設置されているのではないでしょうか。

2023年現在は誰が暮らしているのか不明ですが、長嶋さんと関係のある方が利用している可能性が高いですね。

日の出町の別荘は日米首脳会談でも使用

中曽根さんは東京都西多摩郡日の出町に別荘を所有していました。

「日の出山荘」と呼ばれる、天心亭・青雲堂・書院の3棟から成る豪邸です。

1983年には当時のロナルド・レーガン大統領との日米首脳会談で、会場に選ばれました。

2人はお互いを「ロン」「ヤス」と呼び合っていたため、会談は「ロン・ヤス会談」とも呼ばれています。

またゴルバチョフ元旧ソ連大統領も招かれたことがあるそうです。

さらに中曽根さんが趣味の水泳を楽しむために、プールが入り口付近に設置されました。

2006年、中曽根さんが日の出町に別荘を寄付したため、翌年から一般公開されています。

歴史的瞬間に思いを馳せられる観光スポットです。

中曽根康弘が亡くなったのは東京都内の病院

中曽根さんは2019年11月29日、東京都内の病院で老衰により亡くなりました。

晩年は入退院をくり返し、亡くなるまでの2か月は入院生活を送っていたといいます。

入院先の病院は公表されていませんが、慶應義塾大学病院を信頼して入院した可能性はありそうです。

総理外遊の際に随行医を務めた、水町重範医師の元勤務先のためです。

入院先は推測するしかありませんが、亡くなる直前まで新聞を読み、国会中継を見て充実した日々を送っていたようです。

101歳とは思えぬバイタリティと政治への執着心がうかがえますね。

中曽根康弘の政界引退劇

中曽根さんが政界を引退したのは2003年のことです。

衆院選の直前、当時の小泉純一郎首相から、引退をすすめられたのです。

当時85歳の中曽根さんと、84歳の宮澤喜一さんという元首相2人に対する大胆な引退勧告でした。

自民党の73歳定年制を適用することが名目だったそうです。

小泉さんに対して中曽根さんは、「総理をやった者に対して、突如爆弾を投げるようなもの」と批判。

「一種のテロ」「非礼」という言葉で不快感をあらわにしつつも、引退を宣言しました。


一方宮沢さんは、「後進のため身を引く」と応じています。

執念深く熱い志を持つ中曽根さんと、ドライな宮澤さん。

元首相2人の性格の違いがうかがえる政界引退劇でした。

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