藤本義一はダウンタウン&さんまと不仲?娘と嫁・藤本統紀子。自宅書斎は芦屋

映画の駅前シリーズやテレビ番組の脚本で知られた藤本義一(ふじもと ぎいち)さん。

テレビ番組「11PM」の司会としても活躍し、お茶の間で知られていました。

実はダウンタウンや明石家さんまさんなどの、大御所のお笑い芸人たちと不仲だったようです。

真相を確認しつつ、娘、嫁の藤本統紀子さんの詳細もチェック。

併せて兵庫県芦屋市にある、藤本さんの書斎について見ていきましょう。

藤本義一のプロフィール

本名:藤本義一(ふじもと よしかず)

生年月日:1933年1月26日

死没:2012年10月30日

身長:不明

出身地:大阪府堺市

最終学歴:大阪府立大学経済学部

藤本義一はダウンタウンと明石家さんまを酷評、松本人志は藤本を痛烈批判

藤本さんはユーモアを愛しつつも、芸人たちに対して厳しい批評をすることで知られていました。

批評は時に酷評となり、芸人たちを憤慨させることもあったといいます。

藤本さんと「犬猿の仲」と言われていたのが、ダウンタウンの松本人志さんと、明石家さんまさんでした。


藤本さんは駆け出し時代のダウンタウンを痛烈に批判しています。

司会を務めていた「11PM」にて、ダウンタウンは持ち時間が余っていたにもかかわらず、大幅に時間を短縮してネタを終えました。

すると藤本さんはダウンタウンの2人に対して「君たちは時間を短縮して逃げた卑怯者」と言い放ったのです。

松本さんは「二度と来るか、ボケ」と啖呵を切って退場。

その後著作『遺書』で、藤本さんの演芸批評を「素人以下」と痛烈に批判しました。

「卑怯者」呼ばわりされたことをよほど根に持っていたようですね。

ダウンタウンと藤本さんが、生涯不仲だったとしても無理はありません。

また同じく駆け出し時代の明石家さんまさんも、藤本さんから厳しく批判されました。

「11PM」で下ネタを披露したところ、藤本さんから「テレビ放送で言っていいことと、悪いことがある」と言われたのです。

お笑いを愛しながらも、低俗なネタは好まなかった人柄がうかがえますね。

批判を受けたさんまさんは、その後は藤本さんと距離を置くようにしていたそうです。

きっと再共演のオファーがあっても断って、当時のことを思い出さないように過ごしてきたのかもしれませんね。

後年大御所となる若手芸人たちにも容赦なく厳しい言葉をかけていた藤本さん。

多くの芸人から恐れられ嫌われていた、辛口司会者だったことがわかりました。

娘は関西学院大学卒、脚本家の藤本有紀は無関係

藤本さんの娘について色々な噂が飛び交っているようです。

「同姓の脚本家・藤本有紀さんが娘では?」と考えた人も多いとのこと。

2007年にNHK連続テレビ小説『ちりとてちん』、2012年にNHK大河ドラマ『平清盛』を手がけた脚本家です。

2人は苗字が同じだけでなく、出身地も同じ兵庫県ということで、何らかのつながりがありそうですよね。

しかし実際には2人は親子ではありません。

藤本さんの実の娘は2人いて、いずれも一般人とのこと。

名前は長女が有子さん、次女が名子さんだそうです。

2人とも1960年代生まれとのことで、今では結婚して子供にも恵まれているのでしょう。

有子さんは、「父は大の阪神ファンでしたが、阪神が負けても怒ったりしなかった」と語っています。

家庭ではつまらないことで怒らず、温厚な性格の男性だったのでしょう。

辛口の藤本さんも、娘たちにとっては優しい父だったに違いありませんね。

藤本義一の嫁は藤本統紀子

藤本さんの妻は、タレントでエッセイストの藤本統紀子さんです。

大阪女子大学(現在の大阪府立大学)英文科に在学中、演劇部で藤本さんと出会いました。

大学卒業後はスポーツニッポンの文化部記者として就職。

2年の勤務を経て、藤本さんと結婚し、主婦業の傍ら執筆活動を始めました。

『娘は相棒』『胸を張って生きなさい』などが代表作です。

さらにメディア出演もこなすようになり、ワイドショー、料理番組などで活躍しました。

夫が2012年10月30日に肺炎で亡くなったときは、娘1人と共に最期を看取ったそうです。

統紀子さんは58年間の夫婦生活を振り返り、「主人と出会えてよかった」と語りました。

かつては「生まれ変わったら別の人生を生きたい」と考えていたそうです。

しかし今では、生まれ変わっても藤本さんと再び結ばれたいとのこと。

別れを経て、少しずつ亡き夫への愛しさが増していったに違いありませんね。

自宅書斎は兵庫県芦屋市のギャラリーで無料公開中

兵庫県芦屋市に、藤本さんの生前の仕事を知ることが可能なギャラリー「藤本義一の書斎 Giichi Gallery」があります。

付近には「芦屋市谷崎潤一郎記念館」もあるとのこと。

藤本さんは1974年に『鬼の詩』で直木賞を受賞しており、れっきとした小説家でもありました。

文学好きなら谷崎の記念館と併せて、藤本さんのギャラリーも見てみたいことでしょう。

ギャラリーでは生前使っていた自宅書斎をそのまま再現したものを見られます。

さらにおよそ1,500冊の著作、蔵書が収められた書庫、愛用していた万年筆、原稿用紙なども鑑賞可能です。

取材旅行時に持参していたスケッチブックや、スケッチ作品も展示されているとのこと。

文章だけでなく絵の才能にも恵まれていたのですね。


文筆業や司会業などマルチに活躍し、時には歯に衣着せぬ物言いで敵も作っていた藤本さん。

故人となった今では、懐かしくその人柄を思い返さずにいられませんね。

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